第11話 恥の形は様々です

 屈辱とは、与えた側より受けた側の方に鮮明で深い傷を残す。

 これは歴史が証明してきた事実だ。殴る方も痛いなどという言葉があるが、殴った側の痛みは時間がいずれ癒してくれる。しかし受けた側の心に刻まれた傷は千夜の月の光にも癒すことは出来ない。何度でも、何度でも幻のように実体のない悩みに苛まれる。


 終わりなく続く鬱屈が痛みを想起させ、痛みがまた鬱屈を齎す負の連鎖。

 あの日、あの時、間違いを犯さずにいたのなら、こんな痛みに苦しめられることなどなかったのに。自分がこんな苦しみをいつまでも抱え続けなければいけないことにはならなかっただろうに。


 屈辱には二種類の屈辱がある。

 すなわち、過去に自らの業で生んだ屈辱と、特定の人間に受けた屈辱だ。

 前者は自らの過ちを戒めるようなものであるが、後者は違う。

 その屈辱を倍にして返すことが出来れば、溜まりに溜まった鬱憤を一掃することが出来る。

 いや、それどころか相手に己の受けた屈辱を植え付けて悦楽を得ることさえ出来る。

 成功すればいいことづくめ。全ての苦しみから解放される。


 故に『元』王国最強騎士――『聖靴騎士団』団長のクシュー・ド・ヴェンデルは雪辱を果たすために復讐の炎に燃えていた。


 御年三十六歳、建てた武勲は数知れず。幼少期から剣の才覚を見せ、去年までは不敗の聖剣士だった古強者。年齢を重ねるごとに実力が増し、常に全盛期を伸ばし続ける『剣神』は、王国全土の憧れの的だった。

 ……だった、のだが。


(おのれ、平民の若造如きがぁ……この儂が二十年かけて積み上げてきた不動の栄光にたった一度のまぐれ勝利で泥を塗りおって……この恨み、必ずや貴様を叩きのめすことで晴らして見せよう!! そしてあの目障りなルガーを失脚させ、必ずや貴様もろとも騎士団から追い出してくれるッ!!)


 貴族にとって、平民たちの人気とは必ずしも重要なことではない。特権階級とはなるべき者がなる統治者の地位。多少の没落はあれど、平民の支持などなくとも問題なく生きていける。


 だが、騎士だけは別だ。騎士は王国貴族にとって最も平民と近い存在であるが故、騎士の評判はそのまま王国の支持率に直結する。つまり騎士団が品行方正で勇ましければ、それだけ騎士団によって治安を維持する王国への安心と期待が高まる。


 つまり騎士とは貴族であるだけでなく、王国の顔とでも呼べる選ばれた役職なのだ。

 よって、騎士団最強の存在というのはまさに国を代表する王国の希望でなくてはならない。

 由緒正しい騎士の家系に生まれた最強の戦士であるクシューこそ、その座に相応しいのだ。


 だというのに、現在平民や王宮の間では過去の存在になろうとしている。


(騎士ヴァルナぁ……っ!!)


 控室で、クシューはわなわなと手を振るわせて虚空に怒りのまなざしを向ける。


 騎士ヴァルナ。親も平民、祖父母も平民、先祖代々開拓と畑仕事しかしたことがないド田舎生まれのド田舎育ちの王国最下層から排出されたこのどこぞの馬の骨とも知れない男が、クシューを苛ませる。


 ヴァルナは平民出身としては最高の栄誉ともいわれる平民騎士だ。

 それだけならば脅威でも何でもなかった。そう――彼が百年に一人の剣の天才でなければ。


 習得に二十年かかると言われ、当時クシューが免許皆伝になった二十七歳が歴代最速だった『王国攻性抜剣術』を、ヴァルナは僅か半年でマスターした。自分の師でもあった士官学校教官からその知らせを聞いたときは偽物の手紙かと疑って部下に調べさせたほどだ。


 ヴァルナの事を知れば知るほど、クシューは内心で業を煮やした。

 平民如きが、という怨嗟だけで説明される一方的な不快感が募る程に、この男の軌跡が腹立たしかったのだ。


 習得しただけで歴史に刻まれる伝説の奥義、『十二の型・八咫烏』をマスターし、しかも国王の息子にて第三位王位継承権を持つ第二王子と懇意となり、士官学校は学歴五位、剣術一位という極めて優秀な成績を修めて卒業。

 

 その後、新人でありながらオーク狩りで幾度となく首級を上げ、豚狩り騎士団長のルガーが彼の手柄を喧伝しだしてからはすっかり平民の注目の的は彼へと変わっていった。


 容姿も悪くはなく、強く、なにより平民から成り上がったというサクセスストーリーが平民たちには大いに愉快だった。極めて優秀で王子からも認められているため、それほど王都にいないにも拘らず王宮での評判もいい。


 ――調子に乗りおって。御前試合にて格の違いを思い知らせてくれるわ。


 クシューはそれでもまだ余裕があった。王国最強を真に決めるのは御前試合だ。

 御前試合でクシューが勝ちさえすれば、「やはりクシューこそが最強だ」と周囲も改めて知り、浅ましい平民騎士のことなど忘れ行くだろうと考えたからだ。


 しかも、ルガーがヴァルナを最年少で御前試合に参加させると吹聴して回っていたこともあり、クシューは鼻っ柱を折るのに丁度いいとばかりに部下に「騎士ヴァルナと当たったらお前たちは棄権しろ。儂が自ら叩き潰す」とまで言った程だ。その場合、ヴァルナを含む五人に勝利しなければならなかったが、豚狩り騎士団の残り四名の騎士はとっくに実力を見切っているので恐れるに足らなかった。


 とはいえ、部下たちも誉れ高き剣士。新人如きに負けはしないと心地よい啖呵を切り、騎士団はより結束を深めていった。


 そして、敗北した。


 御前試合は、ヴァルナ一人の手によって全騎士団が倒されるという前代未聞の結果にて幕を閉じた。クシューの不敗伝説は幕を閉じ、王国は新たなる英雄の登場に沸き立った。


(しかしそれは単なる運命の女神の気まぐれに過ぎぬ!! 今日こそ真の実力者が誰になるかを王国は思い知る事になる。称えよ、崇めよ、我こそ最強――ッ!!)


 二度とまぐれの勝利など与えぬよう、クシューはこれまで以上に刃を研ぎ澄ました。

 自分でも分かる。去年より今の自分の方が強い。今、自分こそが最強の剣士だ。


 さあ、かりそめの英雄『首狩り』ヴァルナよ。

 貴様の偶然うまく行き過ぎた物語は、ここで一つの終焉を迎えるのだ。

 見る者を震わせるほどの激情を圧縮したような笑みを浮かべたクシューは、御前試合の行われる王宮決闘場へとその歩みを進めた。




 ◆ ◇




 御前試合の盛り上がりが凄まじいことを、肌で感じる。

 すぐ近くに特設された観客席からの会話が、俺の心に果てしないプレッシャーを押し付けてくる。


「次が最終試合だなぁ……『聖靴騎士団』と『豚狩り騎士団』のっ!」

「去年は凄かったわよねぇ! ホラ、あの平民出身の子! 一人で全員やっつけちゃうんだからビックリしちゃったわ!! でも楽しかった。今まで『聖靴騎士団』ばっかり優勝してて正直ちょっと飽きてたんだもん!」

「おいおい、ひどいな……とは言え確かに凄かった。今年は流石に一撃ケーオーではなかったけど、見事な試合運びで全部の騎士団長を下してたもんな。こりゃ今年も一発ケーオーあるかもよ?」

「アタシ『剣神』のおっちゃんより『首狩り』のにーちゃんの方が好きぃ! にーちゃんの方がクールだもの!」

「うちの家系は元は平民からお金を貯めた家でねぇ……外来種対策騎士団にはずっと優勝してほしいと思っていたんだよ。ふふふ、あの騎士ヴァルナには今年改めて『剣神』を下し、本当に最強であることを証明して欲しいねぇ……」

「聞いたか? 向こうにいるあの太った男。去年のトトカルチョで騎士ヴァルナが最優秀騎士に選ばれるのに財産全賭けして一夜で億万長者になったらしいぞ。おかげでヤツの一族郎党じゃ騎士ヴァルナは救世主扱いで、毎日ヴァルナの肖像画に拝んでるらしい。今年ももちろん騎士ヴァルナが最優秀騎士になる方に全賭けなんだと」

「まぁ『剣神』もいい歳だもんなぁ。そろそろ引導渡して次の世代に行ってもいいんじゃない?」

「『聖靴騎士団』の派閥もいい加減大きくなり過ぎた。腐る前に『首狩り』殿に間引いて貰えばいい」

「頑張れヴァルナ! 負けるなヴァルナ!!」

「ふれーっ!! ふれーっ!! ヴァールーナー!!」

「……おい、あそこで応援してるのってヴェンデル侯爵夫人とそのご子息じゃ……」

「ああ、噂じゃ政略結婚させられたダンナの事が滅茶苦茶嫌いらしいぞ。ご子息にも見事に受け継がれたらしいな……」


 なんなのだこの状況は。

 俺、どんだけ期待されてるんだ。いつの間にか賭けの対象にされたうえに俺より金持ちになってる一家いるし、崇められてるし、夫婦喧嘩の道具としてけしかけられてるし。こっちの応援団の皆様はどうやらアンチ『聖靴騎士団』の方から商人までバリエーション豊富らしい。


 勝たなきゃマズイ系のプレッシャーが半端ない。しかもクシュー騎士団長をもう一回一撃ケーオーしなきゃならない流れが勝手に出来てるし、どうも俺が勝たないと破産するっぽい家まで存在するとはどういう了見だ。本当に、さっさとオーク狩りに戻りたい。


 悶々と苦しんでいたら、いつの間にか次鋒のガーモン先輩が負けて俺の番が回ってきていた。

 ……もう悩むのも考えるのも嫌だ。速攻で残りを叩きのめして御前試合さっさと終わらせたい。


 いいかヴァルナ、見物人はみんなジャガイモだと思え。相手は生け捕り命令の出やすいメスのオークだ。速やかに状況を終了させ、他の余計なことは考えるな。最強騎士団長を任務状態で倒すのは流石に怖いから中堅と副将は瞬殺で行くぞ!!


 試合開始の合図と共に、俺は剣を掲げて突撃した。


「我ら伝統ある聖靴騎士団が貴様如きに負けドヴォルザあッ!?」

「そこまで! 勝者、騎士ヴァルナ!」

「中堅を倒したからと言って調子に乗るな!王家に仕えて三十年のワルスキーが相テベスェラッ!?」

「そこまで!! 勝者、騎士ヴァルナ!!」

「ば、馬鹿な――同じ『十二の型・八咫烏』を使って、何故儂が押し負けベボパァァァァッ!?」

「そこまで!!! 勝者、騎士ヴァルナ!!!」


 よし、勝った! 次の相手は騎士団長だ!!


「次ぃッ!!」


 ……あ、やべ。思わず声に出して叫んでしまった。

 これは騎士としてあまり褒められた礼儀ではないためか、周囲が静まり返っている。

 やっちまったか……? 最終決戦を前にやっちまったのか……? そう思って注意深く周囲を見回すと、審判とパッチリ目があった。

 審判に苦言を呈されるかと内心ビクビクしていると、こっちより更にビクビクした審判が俺に近づく。


「あの、騎士ヴァルナ……」

「あ、ああ。失礼した……それで?」

「いえ、申し訳ございません。御前試合は一騎士団五名が原則なので、『次』の騎士は用意できません……それに、クシュー騎士団長より強い剣士となると貴方以外には……」

「ん?」


 何やら、審判が言っていることの意味が良く分からない。

 何のことだろうと思っている俺の頭に、かすかな引っ掛かりがあった。


 そういえば、俺は団長の前にいる二人を瞬殺するために頭を切り替えていたのに、勝利の宣告を三回聞いた気がする。あれ、それでは三人目に倒したのは誰だ?何やら嫌な予感がしながら、俺は恐る恐る自分の前で倒れ伏す剣士の顔を見て……思わず「あっ」と声が出た


「け、剣……儂の、栄光とは……一体……」


 剣を折られ、魂が抜けたように愕然としたまま尻餅をつく『剣神』クシュー騎士団長がそこにいた。

 微かに遅れて、決闘場の隅に折れた剣先がカランと落ち、一拍置いて決闘場に爆発的な歓声が響き渡った。観客たちからは、いつまでも『王立外来危険種対策騎士団』と俺を讃える声が響き渡った。


(や……やらかしたぁぁぁぁぁ~~~~~ッ!!!)


 その日の夜、夕刊にデカデカと書かれた「強さの求道者ヴァルナ、もう『剣神』眼中になし」という文字を前に俺は後悔と羞恥でベッドの上を転げまわった。

 これは、ひどい。物語としても人生としても消せない一生ものの『恥辱』になりそうだ。

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