第7話 人参は経費で落ちません

 馬といえば、騎士の相方で人参大好きな縁の下の力持ち。

 楽しい時も、悲しい時も、馬はいつだって望めば背中に乗せてくれる。

 その優しさにいったい何人の騎士が心を救われてきただろうか。

 戦うときは馬を頼り、逃げる時も馬を頼り、孤独を埋めるように馬に縋ることだってあるかもしれないし、もし傷つき倒れてしまえば見捨てることが出来ずに立ち往生してしまうかもしれない。

 人馬一体。馬と人の間に結ばれる絆は、時として人間以上に深い。


 という訳で、アホの俺は幼少期に自分の馬を手に入れようと王都の外の平原に駆け出したことがある。

 もちろん当時の俺はアホなので馬を捕まえることは出来なかった。なぜ1週間外で過ごせるキャンプ装備は万全だったのに肝心の部分がブランクのまま計画を続行したのかは謎である。

 子供というのは多面的に物事を見るのが苦手なのだ。


 なお、俺の計画の杜撰な部分をいくつかピックアップすると「野生の馬をどのように手懐けるのか」、「捕まえたあとどうするのか」、「馬術も学んだこともないのにどうやって馬に乗る気だったのか」など多岐に亘るが、最も大きな欠点は一つだろう。


 そもそも、王都周辺に野生の馬は生息していない。


 数年後にその事実を知った俺は、羞恥のあまりベッドの枕に全力で顔を押し付けながら奇声をあげた。

 昔は住んでいたらしいが、騎士団や商人の乱獲によってこの周辺に馬が近寄らなくなったんだそうだ。

 騎士団よ、お前らもか。


 閑話休題。

 馬に対する憧れだけは一丁前に強かった俺の夢はいつだって途中で現実に手折られてしまう。

 折れたのは王立外来危険種対策騎士団に所属してすぐの事だった。


『はい、馬ですか? いませんけど』

『えっ……騎士団なのに?』

『はい、騎士団なのに』


 騎士団本部を案内してもらっている最中に、残酷な事実はサラッと告げられた。


『昔は使ってたみたいですけど、魔法の恩恵のおかげでいらなくなったんですよ。飼ってるとそれだけでお金がかかるんで、今は凱旋や式典など必要な時だけレンタルで済ませています』

『け、ケチ臭い……』

『しょうがないんです。経費削減です』


 その後、この騎士団が馬を持たなくなった主な原因は『騎道車』と『ファミリヤ』にあることを知らされた。

 騎道車は魔導機関という全く新しい発想の動力を組み込んだ馬車の進化形だ。

 その利点は馬より長く走れ、馬より速く走れ、魔法研究院との提携のおかげで馬より管理が安上がり――すなわち、長い速い安いのトリプルセットである。

 しかも乗り心地も馬車よりよく、車としての積載重量も馬車より勝っているという上位互換っぷり。


 まぁ、現在の騎動車は魔導機関のダウンサイズが難しいので平民の家二つ分はある大型のものしかなく小回りが利かないという欠点はあるのだが……魔物に対する隠密性を重きに置く我ら騎士団はそもそも細かい移動に馬を使わない。ついでに言うとルガー騎士団長が「何のために鎧脱がせてると思っとるんじゃ? 経費削減の為に走れや!」と言い出してしまったので馬は完全に引退するに至ったそうだ。


 ……なお、引退した馬を買い取ったのも馬を借りている相手も退役した『豚狩り騎士団』の同一人物である。これは俺の勝手な想像だが、その人絶対ルガー団長と裏で悪い話をしているに違いない。癒着ってレベルじゃねーぞ。


 さて、移動はさておき馬といえば昔から情報斥候や伝令に欠かせない代物だ。

 オークは一定の場所を縄張りにしているのでこちらで攻めるタイミングを選べるが、情報の伝達速度は遅くなると不都合なことが多すぎる。

 そんな問題をサクッと解決したのが魔法契約動物――『ファミリヤ』である。

 これは簡単に言うと伝書バトの強化版みたいなものだ。人間の代わりに迅速に情報を伝達してくれるが故に、馬の移動力は不要になった。ファミリヤについては専門ではないのであまり多くは知らないが、とにかくそのせいで馬の肩身はさらに狭苦しくなったのである。


 つまるところ、馬は時代に置いて行かれたのだ。これが悲しい現実である。


 馬に乗れないことに一抹の寂しさを感じはするが、騎道車も慣れれば愛着が湧いてくる。

 なにせ、こいつがあるから無茶なスケジュールでもなんとか王都に戻ることが出来る。


 騎道車前部の運転室に座る俺は、流れるように過ぎてゆく平原の景色を眺めていた。

 運転席の位置は地表より二メートルほど上で、自分が浮かんでいるような不思議な錯覚を覚える。

 この景色を見れるのはこの国で限られた人間のみだろう。


 オーク狩りに関してはノノカさん発案の「人材を減らしてもリスクが増えない方法」を採用することになり、騎士団は御前試合参加組とオーク狩り続行組に分かれることになった。御前試合組には試合に出場する代表五名と最低限の人員だけが乗っている。

 その最低限の人員の一人、隣でこの巨大な車を運転する男に俺は声をかける。


「ライ、どうだ? 翌日には王都に着きそうか?」

「任せてください。コイツの馬力と走破能力なら予定通りに中継の村に到着します。試合前日の昼には余裕で間に合いますよ!」


 俺の問いに、この騎道車の専属機関士であるライが親指を立てて答える。

 ライはツンツンの金髪とニカっとした爽やかな笑みが売りな移住者で、王立魔法研究院で魔科学を専攻する人間だ。ノノカと違って教授ランクの研究者ではなく、魔科学を研究する教授の教え子という立場になる。同年齢なので時々一緒に酒を飲むこともある仲でもあり、士官学校の親友とは違う形の友達だ。


「……っとと、こっちから先の道は確か林だったな。少し北北西に進路を変えておくか」


 俺の方を見たのは一瞬で、ライはすぐに運転に集中する。素人目には用途の分からない物体――ハンドルやスイッチ、レバーと言うらしく何度か使い方を教えてもらった――を操って騎道車の速度や方向転換を行っているらしい。


 特に騎道車の動力に火を入れる際にあちこちのレバーやスイッチを弄る仕草はやたらと格好いい感じがする。俺もいつかは一般化された騎道車をあんな風に使いこなしてみたいものだ。きっと子供の頃ならアホみたいに機関士に目を輝かせたことだろう。


「もし十年遅く生まれてたら、俺も機関士を目指してたかもな」

「おお、ヴァルナさんがジョークなんて珍しい」

「ジョークじゃないさ。ガキの頃はビックリするほど単純だったからな。騎士を目指したのも単にかっこいいと思ったからだ」

「ええー、意外だなぁ。ヴァルナさんなんて騎士になる為に生まれてきたような男じゃないですか。若くして現れた天才剣士っ! くぅー、まさに物語の主人公に相応しいインパクトッ!!」

「なんじゃそりゃ? 意味が分からんぞ」


 自分の事でもないのに勝手に盛り上がるライのこういう所だけは前からイマイチ分からない。

 俺が物語の主人公……ないな。志に燃えていないし、剣の天才と言ったって発揮する相手がもっぱらオークなのではとても盛り上がる話にはならないだろう。


「つーか、そういうライはどうなんだ。お前さんは騎士に憧れたりしなかったのか?」

「そりゃ憧れましたよ。しかも俺の母国はこっちの国より平民騎士の枠が広かったんです。当然受けましたけど……ここでショックな事実が一つ! 俺、勉強はなんとかなったんですが剣術がダメダメだったんです!」

「あぁ、それは仕方ないな……俺は勉強に自信がなかったから剣に賭けたタチだよ。受かったのはまぁ、奇跡の類だな」

「一年に五人しか入らない超特別エリート枠ですからね……でも、そこで運命の女神を振り返らせたヴァルナさんはやっぱ選ばれた人だと思いますよ。それに去年の平民枠、もうヴァルナさんしか騎士団に残ってないじゃないですか」

「……淋しい事思い出させんなよ」

「す、すんません……」


 そう、俺以外にいた騎士枠の同期四名はその全員が既に騎士を辞めている。

 一人は団の金を横流しした罪で牢屋にぶち込まれた。

 一人は人の話を聞かずに正面からオークと戦って敗北、失意のまま騎士を辞退した。

 残りの二人は出世の道が見えない『豚狩り騎士団』の現状に絶望して夜逃げした。


 そして一番悲しいのは、同期で同じ騎士団だったのにその四人と全然仲良くなれなかったことである。

 それが証拠に辞めた同期の顔は思い出せても名前が出てこない。

 あれ、おかしいなぁ。俺ってもしかして友達作るの全然ダメな人なのか。

 出世街道に旅立ったあの二人も人気者タイプだったし……。


 あれ? 士官学校に入る前も友達三、四人しかいなかったっけ?

 しかもその数人とも既に三年は会ってないぞ。

 あれ……あれ? 俺の青春時代はカラスにアホーと蔑まれる禿山の夕暮れなのか?


「青春が淋しい……」

「俺がいるじゃないですか」

「お前ずっと俺に対して敬語じゃんか。他人行儀じゃんか。ロック先輩みたいな馴れ馴れしいのがいいって訳じゃないけど、お前のそれもいい気はしないんだぜ?」

「他のみんながどうかは知らないですけど、俺のは純粋な敬意のつもりですよ?」


 少しおどけたようにそう言って笑ったライは、少しだけ目を細めた。


「ヴァルナさんは凄いですよ……『格好いいから』っていう憧れを実現させるために頑張って、頑張って、頑張り抜いて今じゃ一目置かれる存在になっている。挫折して別の道に逸れた俺にとっては、ヴァルナさんは夜空の一番星みたいにキラキラ輝いているんです」


 そこにあるのは羨望、劣等感、眩しさから目を逸らすような窮屈な感情の入り混じった感情。

 ほんの一瞬だけ垣間見えたそれは、まるで臆病な獣のように心の中に瞬時に身を潜めてしまった。

 しかし、何をそんなに卑屈になっているのだか。

 俺は知っている……ライという男は、時々眩しく思えるほどに輝く瞬間があるこを。


「ライ、今はもう夜の十時だ。恐らく騎道車の面子は今日の疲れと明日に備えて爆睡してる頃だろう」

「そ、そうですね……ヴァルナさんも上がっちゃっていいですよ? いくら運転席が常に二人体制だからって、もう一時間運転したら今日の移動は終了ですからね」

「いや、そうやって気が緩んでるときに限って睡魔が襲ってくるもんさ。それよりも――」


 俺は躊躇いなく、運転席にある魔導機関出力調整ツマミをでかい数字の目盛り方向に押し込んだ。

 瞬間、騎道車のエンジンがグォォォオオオオオオオオッ!! と唸りを上げる。

 今、この騎道車は移動速度に必要なエネルギーを過剰に作り出す状態になっている。

 はっきり言って、魔導機関に無駄な負担をかける無意味な行為だ。


 ただし機関士が「あること」をすれば、その無意味に意味が生まれる。

 突然の奇行に目を見開くライの方を見て、俺は自分で自覚する程悪い笑みを浮かべた。


「あと一時間の勤務だけど、一時間の間にもっと速度かっ飛ばせばもう一つくらい隣の村まで行けるんじゃないかねぇ?」

「いや、その、予定とズレますし研究院の方で決められた速度規則とかありますし……」

「助手席の俺が規則違反がなかったと言えば、規則違反はない! 第一お前さん、魔導機関調整しながら『本当は二倍は速度出せるんですよ~?』って自慢げに言ってたろ。大丈夫、予定より早まる分には何も言われねぇって。むしろ褒められるぞ」

「か、カンベンしてくれませんかヴァルナさ……」

「何よりもお前――」


 規則違反以上の物を恐れるように大仰に仰け反ったライに指を刺した俺は、悪魔の囁きよろしくライの理性を解き放つ魔法の言葉を唱えた。


「アクセル全開でカッ飛ばしたくて内心ウズウズしてるくせになぁ?」

「…………………………ヴァルナさんには敵いません、ね」


 その言葉を聞いたライは一度がっくりと膝に手をついて項垂れ――どこからか取り出したハチマキをバシッと音を立てて額に巻き付けた。


 その鉢巻にはこの王国では見たこともない文字で「帝韻堕狼襲」と描き込まれ、何の意味があるのか中央部分に真っ赤な日の丸の模様がある。

 これこそが彼の輝きスイッチ。

 これをひとたび額に巻こうものなら、彼の暴走は止まらない。


「上等ォォォッ!!! この帝都一の走り屋の称号を欲しい侭にした暴走族『帝韻堕狼襲てぃんだろす』元バイク魔導機関エンジン改造の神にしてカチコミ隊長だったライ様がァァァッ!! 加速の限界の先に何があるのか見せてやるぜェェェェェエッ!!!」


 瞬間、さっきまでの好青年っぷりが嘘のように凶悪な舌なめずりをしたライが手元のギアをガココンッ!! と押し込みながら何から危なげな赤いスイッチを次々に押し込み、足元のアクセルを凄まじい力で押し込んだ。


 ギュオオオオオオオオオオッ!! と移動キャタピラの回転速度が上昇し、体を後ろに押し付けるような加速の反動が体に伸し掛かり――次の瞬間、騎道車が爆発的な速度で暴走した。

 巨大な車が周辺の空気を強引に押しのけ獣のような唸りを上げてぐんぐん加速していく。

 もはやこれは騎道車というよりは、王国史に名を残す巨大な怪物である。


「かはははははは!! サイッコー!! マジでサイッコー!! まさか公用車でこんなにかっ飛ばせるなんて脳内麻薬ドバドバの超絶エクスタシぃぃーーーッ!!」

「おう、やれやれ!! こんなバカ組織なんだからこれぐらいやってもバチは当たらん!」

「そういう懐の広い所も大好きだぜヴァルナさぁぁ~~~~んッ!! ィイイッハァァーーーッ!!!」


 ライの本性、それは海外の大国家『帝都』で既に何年も前から普及している小型魔導機関搭載型車両「バイク」を違法改造して加速の限界に挑むイカレた技術者集団『帝韻堕狼襲てぃんだろす』の元メンバーなのだ。なお、件の組織はなんとテロリスト予備軍と揶揄されるほどデンジャーな集団だ。

 あの鉢巻はその時代の思い出の品らしく、身に着けると暴走人格が蘇る仕組みになっている。


 本人曰く、いい加減にヤンチャは辞めて本格的に真面目な技術者になろうとしたところ、その経歴のせいでそこかしこから採用を断られた末に王国に辿り着いたらしい。

 技術力だけは本物だったのとある程度の自制心があることが重なって研究院に迎え入れられてはいるが、ちょっと追い詰めてやればこの有様だ。


(というか、騎士団に入れなかったのってどちらかというとこっちが原因……ま、いっか)


 正直こっちのノリの方が俺も楽しいので時々唆していたりする。


「おおッ!! 前方にはぐれオーク発見!! 轢きますか!? 轢きませんか!? どっちなんですかァァーーーッ!?」

「依頼は出てないし、どうしてもいいだろ。せっかくだから轢け轢け」

「ラジャーッ!! 貴様も過ぎ去りし日々の幻影になれぇぇぇーーーーッ!!」

『ブギョエエエエエエエエエエエエエッ!?!?』


 その夜――ゴインッ、と小気味のいい音を立てて醜い魔物が空を舞ったのを近隣住民が目撃した。



 ――翌日。


「な、なぁヴァルナ……朝起きたらベッドから転げ落ちてたんだけど、昨日運転席でなんかあったりしたか?? テーブルの上の酒瓶も割れちまっててよぉ」

「いや、ちゃんと規定通りの時間に止まりましたよ。寝相のせいじゃないですか?」

「うぅぅん……あ、いや。大したことじゃないからいいんだ」


 なにか釈然としない様子の先輩を渾身のポーカーフェイスで見送る俺の後ろには、口笛を吹きつつ滝のような油汗を流しながら騎道車正面に付着したオークの返り血を洗うライ。もしも昨日のことがバレたら教授に叱られるらしいが、また暇になったらやってもらおうかなと思った俺であった。

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