第3話 鎧なんて飾りです
騎士と言えば、やっぱり鎧は欠かせない。
あの鈍色の光沢とはためかせるマントこそが子供心を擽り憧れさせる正装だ。
敵の攻撃も強靭な鉄で弾き飛ばし、その重量は斬撃の重さに更なる迫力を与えている。
それに鎧は高価なので、一般人がおいそれと手に入れられる代物ではない。外見の分かりやすさで判断すれば、下手をすると国王より賜った剣よりこの鎧の方が国民にとって騎士の証に見えるかもしれない。
というわけでアホの俺は幼少期から当然の如く鎧に憧れて、将来自分はどんな鎧を着るのか妄想して眠れぬ夜を過ごしたりもした。無駄に重いものを担いで将来鎧を着る時の為に鍛えたり、王都の鍛冶屋に行って本物の鎧を見て羨ましさのあまり涎を垂らしたりもした。
そして騎士になり、俺は鎧を手に入れたのだが……騎士団に入ると同時に俺の密かな憧れは粉微塵に打ち砕かれた。
では、子供の密かな憧れを無慈悲に砕いたその理由とは何か。
――王立外来危険種対策騎士団は全騎士団の中で唯一つ、鎧を装備しない騎士団だったのだ。
鎧がいらないという衝撃の事実を知ったのは、王立外来危険種対策騎士団に入団してすぐのことだ。
なぜそれが判明したのかって、忌まわしきロック先輩の騎士鎧が碌に手入れされずに部屋の隅で寂しく埃を被っていることを指摘した時に発覚したからだ。
『鎧ぃ? 馬鹿言っちゃいけねぇよ。そんな人間の匂いがプンプンついたモン抱えて歩いてちゃ話になんねーぞ?』
『えっ』
ロック先輩の話をまとめると、こうだ。
まず、王立外来危険種対策騎士団の仕事は主に海外から国内に入り込みそのまま住み着いた外来種の魔物を叩いて潰して市民の安心と安全を守ること。
そのために西にオークあらば西にへ飛んでゆき、東にオークあらば東に飛んでゆく。基本的に休んで疲れを取る暇はないので、疲れの原因である鎧は着ない。
しかも魔物は基本的に聴覚や嗅覚が良く、鉄臭くて汗臭くて喧しい鎧は狩りにとって最悪の装備らしい。よって、この騎士団にとって鎧はそれ自体が完全な儀礼用装備であるとの事だ。
先輩殿は詳しい説明が面倒で途中から投げ出したものの、他にも「荷物がかさむ」、「着るのも整備するのも時間がかかる」、「機動力命のオーク狩りで鎧とか失笑する」、「破損したら修理費は自腹な」など様々な理由があったらしく、五〇年前にはもう誰も鎧を着てなかったとか。
なお、鎧を装備していた頃の我が騎士団のあだ名は『豚狩り騎士団』じゃなくて『山猿騎士団』。
当時、予算も装備も揃ってなかったせいでマジに風呂に入る暇がなくて臭かったそうだ。
今では『騎道車』という魔導機関を搭載した車両が騎士団に配備されたおかげで馬車の数倍は早く移動が出来るため、身なりを整える暇がある。在り難い限りである。
尤もその有難みも、現在の泥に塗れたこの体を見ると紙屑のように吹き飛ぶのだが。
仮設陣営に戻ってきた俺たちを出迎えたのは仲間の労いの言葉ではなく、いけ好かない男のネットリとした嫌味と悪意に塗れた言葉であった。
「うわぁーー、泥臭ぁーーーいッ! いやー相変わらず野伏班は大変ですねぇ! オークに存在を悟られないために全身に泥を塗りたくらなくちゃいけないなんて! オークより臭いんじゃないですかぁ? イノシシの泥浴びみたいですねぇ! 醜いですねぇ! あーかわいそうかわいそう! 王国直属記録官であり荒事に参加する必要は一生ないであろう出世街道まっしぐらのこのヤガラが同情して差し上げましょう!!」
「ヴァルナくぅん、浄化場から馬のたい肥持ってきてくれるぅ? こいつの鼻に詰めるから」
「やめといた方がいいですよ。こんなオークより目障りな奴でも一応は王国直属ですから手ぇ出したら最悪クビです」
「流石『首狩り』ヴァルナくんは自分の身分というものを分かっていらっしゃる!! そう、そうですよ! 平民というのはそうやって上の顔色を窺いながら過ごすのが正しい在り方であり――おんやぁ? そう考えると別に褒めることでもありませんでしたねぇ!! なにせ、あ・た・り・ま・え・なことですからねーーッ!!」
いかにも嫌味っぽい顔つきを裏切らない嫌味な性格に加えてなんとなく腹立たしい尖った顎髭が特徴的なヤガラ記録官は、残念なことに王国貴族の出で爵位も持っている立派なお偉いさんである。
記録官は騎士団の資金運用や職務態度を監視するために定期的に任務に同行する存在だ。
わざわざ俺達を出迎えに来たのは単なる嫌がらせの為だ。平民差別と騎士団間の格差の両方で。
そしてもしこの態度に耐え切れなくなった団員が殴りかかったりしたら報告書に「士道不覚悟につき騎士の適正なし」という裁定を書きこんでニヤニヤしながら王国に提出する。
もちろんそれだけが趣味なわけではなく、彼はうちの騎士団と仲が最悪である『聖靴騎士団』の団長の派閥の一員でもある。要するに平民出身の卑しい騎士が集う騎士団に少しでも恥をかかせる為に送り込まれた刺客なのだ。
うちの騎士団以外でも悪名は轟いており、その嫌らしさから『左遷執行官』の異名を持つ。
貴族階級のおかげで立場だけは立派な嫌がらせのプロ。厄介な御仁だ。
しかも記録官としての仕事以外では何の役にも立たない。
もはやオークに匹敵する嫌がらせ製造機である。
王国はこんなのを出世させて何を考えているんだろう。出世の判断を下している王国会議の顔ぶれが彼の同類だとしたら、この国の未来はヤバイかもしれない。
だがしかし、俺達『豚狩り騎士団』はその程度の権力には屈しないのだ。……度合いにもよるが。
「先輩、殺るんなら攫ってバラして浄化場のオークの死骸にこっそり混ぜた方が……」
「あっれえ!? 物分かりが良いかなと思った直後に平民どころか犯罪者予備軍!?」
「バレなきゃ犯罪は成立しないぜっ♪」
「キサマも悪乗りするな! そしてさり気なくこの私の高貴なる肩に泥まみれの手を置いて擦り込むなぁぁぁぁぁっ!? クビにするぞ!? 本気でクビにするぞぉ!?」
「肩に手ぇ置いただけじゃクビは無理ですよ、記録官殿。それに服は汚れるのが仕事です」
「そうですぞォ、記録官殿! 記録官殿は堅苦しいですなぁ! ここは自分が特別に自家製の脳みそをやわらかーくする薬を処方しましょう!!」
そう言いながらロック先輩が懐から取り出したるは――こっちが悲鳴を上げたくなるほど大量かつ特大のムカデが漬けこまれたオドロオドロしい地酒のビン。その様相、いっそ酒でなく悪魔を召喚する儀式の薬だと思いたい。
外見も中身もインパクト抜群の代物にヤガラの顔がサァっと青ざめさせて甲高い悲鳴を上げる。
「ヒャアアアアアアアッ!? なのななねななな何ですかその穢れが凝縮されたような毒々しい液体はッ!?」
「お薬ですぞぉ! 百薬の長ですぞぉ! こいつを一献グイっといけばキキますぞぉ~♪」
「良かったですね記録官。先輩はいつも酒の買いすぎで金欠なのでお酒を奢って貰えるなんて滅多にありませんよ? ほら、これも騎士団との心温まる交流というものです。さあ、一献グイっと」
「ヒギャアアアアアアアア!! 無理!! 無理無理無理天地がひっくり返ってもそんな気色悪い生物の汁が溶け込んだ悪魔の毒液なんて無理ぃいいいいいいいッ!!!」
右を先輩、左を俺でがっちり固められたヤガラは必死に逃れようとするが、アル中で四〇歳過ぎとはいえ現役騎士のロック先輩と二人かがりで抑えてるのだから抜け出せるはずもない。
グヘヘヘヘ……と先輩が絵に書いたような下種顔でビンの蓋を開け、ツンとした刺激臭がもうもうと漏れ出す液体をゆっくりヤガラの顔に近づけていく。恐怖と忌避に醜く顔を歪めるヤガラの顔がなんともウケる。
「やめろぉ……い、今ならまだ冗談で済むぞ……! あぁ、ヒギッ、やめ――そ、そうだ!! そんな酒より私が仕入れた六〇年物の赤ワインがあるんだ!! そうだ、それで飲み明かそうでは……」
「あ、マジですかい? じゃあそれも後でいただきまぁーす! そーれイッキ♪ イッキ♪」
「な、何故ぇぇーーッ!?」
ヤガラは上手く会話で誘導してロック先輩の酒を遠ざけたかったようだが、先輩は非常に残念なことに嫌がらせと酒を手に入れるための悪巧みだけは人並み外れた才覚を持っていらっしゃる。先程のヤガラの台詞を耳にしたロック先輩が考えたのは恐らく「こいつを酔い潰させた後にその赤ワインとやらを頂いておくか!」程度。控えめに言って強盗の思想だ。
哀れ、この男がしたのは敵に塩を送っただけの事である。
「ぁあ、悪魔……悪魔か貴様らぁッ!? や、やめさせろ騎士ヴァルナ! なんなら便宜を図って貴殿を別の騎士団に移してやってもいいぞ!?」
「あ、悪いんですけど俺そういう伝手もうあるんで。ここには飽きるまでいるつもりですよ」
「という訳で……レッツ、飲めやぁぁぁ~~~~~~っ!!!」
「げぐごばばばばばばばばばああああああ~~~~~ッ!?!?!?」
ムカデ入りな琥珀色の混沌を半ば強制的に口に注ぎ込まれたヤガラは、拘束されているせいで悶え狂うことも許されず言葉にならない悲鳴を響かせ――果てた。
数分後――全身に発疹を出しながら白目で泡を吹くヤガラを近くにあったオークの死体運び用担架に乗せた俺たちは、今度こそ陣営内で優しい声をかけてくれる人がいる救護テントに向かった。
ただし、目的は治療ではなくこの汚い貴族おじさんを預ける為である。
「しかし先輩、いくらヤガラ記録官がワイン以外の酒を飲むと即ぶっ倒れて明日には酒を飲む前の出来事を忘れるからって、何度もこんなことしてていいんですかねぇ? もう四度目ですよ?」
「いいのいいの。いない方が静かでいいし、意識がない間は記録官の調書を捏造できるからな♪ 団長も今回の記録書でお前さんの出世ルートをガッチリ固める気だぜぃ?」
「……あの狸じじい、まさかヤガラ記録官が査察に来ることと酒の弱点を知ってたんじゃないですかね?」
「勿論知ってたろうさ! なにせ騎士団の酒事情に一番詳しいこの俺が弱点チクったからな!」
「あんたもグルかよ!」
酒臭い息を吐きながら可愛くもないウインクをした先輩に、俺は大仰にため息を吐いた。
自分の出世ルートの一部がこのアル中先輩によって作られていたこともそうだが、そこまでして人を担ぎ上げたいルガー団長の面倒くさそうな計画で、果たして俺は何の役割をやらされるのかが不安でしょうがない。
拝啓、お父さまお母さま。うちの騎士団にはロクな大人がいません。
それでも士官学校時代より十倍はマシに感じる俺の人生って何なのでしょうか。
あとなんか出世するらしいですが、素直に喜べないのはなぜでしょう。敬具。
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