5 写真

「鬼について、ですか……?」


 蛍ちゃんはゆっくりと長い睫毛に縁どられた目を瞬かせて繰り返した。


「でしたら……当主様が仰った事が全てです。私からそれ以上は……」


 凪いだ海のように静かな表情で告げられたのは、予想していた通りの答え。けれど、それで納得はできない。


「七車家が鬼を見つけたいってことはわかったよ。だけど、どうしてもわからないの。鬼を見つけて、どうしてそれが七車の繁栄に繋がるの?」


 図書館で目にした資料には、様々な鬼の姿が描かれていた。けれど、七車家が探す鬼のような存在は見つけることができなかった。いくら鬼神を祀っているからといって、一族へ影響が及ぶほどの鬼というのはいったいどんなものだったのか。数代に一人、鬼に憑かれた男の子が生まれるというそのきっかけはなんだったのだろう。


「あと、どうして鬼を見つけることができるのは私だけなの?」


 それもずっと不思議だった。自慢じゃないけれど、両親のことを除けば今まで平々凡々に暮らしてきたつもりだ。

 何か特別な力を持っているような気もしないし、これから目覚めるような気配もない。


「なぜ鬼を見つけるのか、と問われても……ずっと昔からそうしてきたことで、七車家のためにはこれからも続けられるべきこと、としか私はお答えできません」


 草食動物を思わせる黒々とした大きな瞳が、こちらを真っ直ぐに見る。


「そして、なぜ陽さんなのかと問われたなら……それは、卜占で選ばれたのが貴女だったから……そうお答えするしかありません」

「占いで……? それじゃあ……」


 言いかけた私の言葉を継ぐように、彼女は頷いて告げた。


「はい。私が卜占で――貴女を選びました」

 

   ***


 結局、選ばれたきっかけ以外蛍ちゃんからそれ以上話を聞くことはできなかった。

 気まずいまま、仕事があるという彼女と途中で分かれて自室へと向かう。やっぱり、鬼については自分で調べるしかないのかもしれない。

 それか、七車家の人間に訊ねてみるか。図書館での柊君の反応を思い出し、そんなことを考えてみる。

 と、前方、ちょうど部屋の前の床に何かがあるのが見えた。踏まれないように脇へと寄せられたものへと近づいてみると、それは花と一枚の紙切れだった。


「これはあの庭の花? それと……」


 少し小ぶりで美しい紫陽花の一枝に添えられたのは、どうやら手紙のようだ。広げてみると、繊細な文字が並んでいた。


『こちらの不注意で落としてしまった物を、わざわざ届けてくださりありがとうございました。

 それと、失礼な態度をとってしまいすみませんでした。直接お礼を言えればいいのですが、どうしても、直接人と接することは苦手で……。

 あの庭を気に入っていただけたこと、嬉しく思っています。といっても、私はほんの少しお手伝いをさせてもらっているだけなので、綺麗な状態で残せているのは、庭師の方のおかげです。

 この花は、カエルの親子から貴女へ。気づいてくれたお礼です。

 ペン、本当にありがとうございました』


 手紙の最後には、茅と名前が入っていた。


「茅さん……」


 記された文章へと目を走らせて、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。添えられた花は瑞々しく、ここに置かれてまだそれほど時間が経っていないのだろう。

 思わず相好を崩す。

 怯えたような顔と、声をかける暇もないほど素早く立ち去った姿に嫌われたのではないかとすら思っていた。けれど、誰かに頼まず自分で返そうとしてみてよかった。


 貰った花を早速部屋へ飾ろうと戸を開ける。

 部屋に入って、今床の間に飾られている花以外に花瓶がなかったことを思い出し、机の上に花を置いた。綺麗に生けられた花々のなかに、勝手に一本増やすのは気が引ける。別のものを借りてこよう。そう決めて、制服から着替えようとして私はなぜかほんの少し違和感を感じた。


 部屋を見渡す。一見、室内は朝出た時から変わった様子はない。

 けれど、勘というのだろうか。なぜだか心がざわついた。

 学校に行っている間部屋に置いたままだった、唯一の自分の荷物であるバッグを引き寄せる。中を確認し、朝と変わらないことにほっとする。

 けれど、ポケットを探って私は血の気が引いた。


「……写真がない」


 思わず呟く。祖父たちの写真が、しまったはずの場所からなくなっている。

 別の場所にしまったのだろうか。考えて、すぐに否定する。学校には持っていっていないし、昨日来たばかりの自分がここ以外でどこに物をしまうというのだろう。


「なんで……」


 どうして。そんな疑問しか浮かばない。誰かが掃除に入ってうっかりはみ出していたものをゴミと間違いでもしたのだろうか。けれど、それも可能性は低いだろう。

 家からもってきた、唯一の写真。祖父と祖母の笑顔を支えに、あの写真さえあれば離れていても頑張れる気がした。それなのに。


――あんたが当主の隠し子って噂、本当なの?


 ふと思い出したのは、五葉君のそんな言葉。

 興味や好奇心をもってそんな噂をする人がここにはいると、あの言葉でわかったはずだ。そのなかには、私の存在を快く思っていない人だっているのかもしれない。

 この部屋の戸は、洋室の扉とは違う。鍵はかけられない。

 もしも、あの写真が故意に持ち去られたのだとしたら――。

 嫌な想像をした私の視界に、ふと綺麗な青の紫陽花が映った。


(茅さんが手紙を置いたのは、いつ……?)


 考えた途端、体は動いていた。

 

   ***


「茅さん……!!」

「ひぁっ!?」


 駆けた先で無遠慮に戸を開けると、部屋の主である彼は肉食獣に出会った小動物かのような声を出して飛び上がった。


「え、あ、貴女は……」


 目に見えて狼狽える相手の肩を逃げないようにがしっと掴む。と、茅さんの顔がさっと青くなった。けれど、そんなこと気にしていられる余裕もない。


「部屋の前に手紙を置いた時、誰かが部屋から入るところとか……出るところなんて見ませんでしたか!?」

「あ、え、あの……っ」

 

 彼は、両手を組み合わせかわいそうなほど震えながら口をぱくぱくとさせている。

 

「部屋に……ですか?」


 落ち着かなく目線を泳がせ、青い顔のまま卒倒しそうになりながらも、それでも茅さんは少しの間記憶を手繰り寄せるようにしてか細い声で答えてくれた。


「私は……見なかったと、思います……」

「本当に!?」

「ほ、本当ですっ……」


 消え入りそうではあったものの、声を振り絞っての返答。


「だから、離してください……っ」


 そこでやっと、私は我に返った。目の前には、怯えた茅さんがいる。罪悪感が一気に押し寄せ、手を離した。


「……ごめんなさい」


 項垂れると、そう謝罪の言葉を口にした。


「……いきなり部屋に押しかけて、失礼なことをして、すみません」


 もしも茅さんが目撃していたなら、そう考えたら、ほかに何も考えられなくなっていた。訊ねたい一心でここまで来たのだ。人と接することを苦手だと言っていた彼がどう感じるかなんて、どれだけ怖いと感じるかだなんて、頭になかった。あんなに温かな気持ちになれる手紙を貰ったというのに。


「いえ……」


 言った茅さんは、どこかぼんやりとしていた。こちらの剣幕に気圧されてかと思ったけれど、その目は、こちらを見ていない。よく耳をすませば、「聞こえなかった」だとか「そんなはずは……」だのと呟いている。


「……本当に、ごめんなさい」


 もう一度謝ると、深く頭を下げた。あの写真は、もう諦めなければいけないのだろう。大切なものなのに、持ち歩かなかった自分が悪いのだ。そう言い聞かせても、じわりと視界は滲んでいく。

 そこへ、おずおずと手が差し伸べられた。顔を上げれば、眉を下げて茅さんが微笑んでいた。


「あ、あの……私では何の役にも立てないかと思いますが……その、何かあったのなら、話していただけませんか……?」


 まだ、その手はかすかに震えている。顔も、どこか強張っていた。

 人と触れあうことは、彼にとってやはり恐ろしいことなんだろう。それでも、無理をして気遣ってくれている。その思いが、優しさがありがたくて、申し訳ない。夜香さんは、茅さんは友人も作ろうとしないと言っていた。けれど今の彼の様子からは、人と関わることが嫌で避けているという風には思えない。


 差し出された手をとると、彼はこちらに聞こえるか聞こえないくらいの小さな声で「やっぱり聞こえない」と呟いた。不思議に思って見ると、何でもないというように首を横に振る。少し、その態度は先程より落ち着いたように見えた。

 部屋であったことを言うべきか、少しの間逡巡する。

 心優しい彼なら、きっと心配して探す手段を一緒に考えてくれるのかもしれない。けれど。


「……気にしないでください。部屋の雰囲気が少しだけ変わっていたから、聞いてみただけです。誰か、部屋にお掃除に入ったのかもしれませんね」


 努めて笑顔でそう告げた。無理があるかもしれない。だけど、どうして写真が消えてしまったのかわからない以上、変に心配をかけたくない。

 すると、茅さんはほんの僅か困ったような表情を浮かべて、やがて小さく頷いた。


「……そうですか」


 と、苦い笑みを口元に浮かべて。

 その笑みに、改めて彼は優しい人だなと思った。

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七車の鬼 木崎京 @fukamiaki

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