3 気になる横顔

(どうしてこうなったんだろう……)


 学校へと向かう自動車の後部座席。その真ん中に座り、私はあまりの気まずい空気にそう考えずにはいられなかった。左隣には柊さん、右隣には五葉君が座っている。


(なぜ真ん中……)


 ちらりとそれぞれに目を向けると、二人とも各々足を組んだり頬杖をついたりして窓の外を見ている。表情はわからないけれど、目を合わせることはおろか、会話をする気配すらゼロだ。

 兄弟同士仲良くすることが難しいとは聞いていたけれど、それでも、この状況を見ると異様に思ってしまう。


(私だって兄弟がいるわけじゃないしよくわからないけど、普通はもっと喧嘩をしたりくだらないことを言って笑い合ったりしてるものなんじゃないのかな……?)


 考えてみて、けれどこれが七車家では普通なんだろうとそっと溜息をつく。そもそも、母親が全員違うという兄弟の背景からして普通ではないのだから、一般的な光景を求めるのが間違っているんだろう。

 前方には、運転手と助手席に座る蛍ちゃんの背中が見えた。彼女に後部座席にと押し切られ座ったものの、やっぱりこの気まずさをすぐそばで感じなくていい助手席を羨ましく思わずにはいられない。外を見ようにも真ん中に座っている以上左右のどちらかを向くか、真正面を見るしかない。右と左のどちらも向けない以上、ただ真っ直ぐフロントガラスの向こうに広がる景色を眺めているしかできなかった。


 車が走っているのは、これから通う事になる朱典学園へと続く道である。窓の外を過ぎ去っていく風景は、全く見た事のないものだ。

 学園が七車家から少し離れているらしいとわかったのは、朝食を終えた後だった。

 てっきり歩いて行くものだとばかり思っていた私は、食事を終えてもまだゆったりと構えている様子に思わず蛍ちゃんへ訊いてみたのだ。すると、事もなげに蛍ちゃんは答えた。


――徒歩で通おうと思えばそれもできる距離ではありますが……それでも、学園は少し離れていますので。


 やや言葉を濁したところもあったけれど、その時は、歩こうと思えば歩ける距離でも車を使うなんて、さすがお金持ちと妙に納得してしまって詳しく聞こうとは思わなかった。道がわからない以上一緒に車で行くしかなかったのだけど、まさかこんな配置で乗り込むことになるとは。短い期間とはいっても、朝夕こんな気まずい思いをするくらいなら、死ぬ気で道を覚えて徒歩で通った方がマシな気がする。


(よし、今回はあんまり覚えられなかったけど、帰りにもう一度周りの建物とかをよく見ておいて記憶すれば――)


「ねぇ、あんた」


 ふいに車内へ響いた声に、とっさには自分にかけられた言葉だとわからなかった。焦れたようにくり返され、初めて声の主を確かめようと右を見る。今まで窓の外を見ていた五葉君が、こちらを向いていた。近くで見ると、やっぱり肌や髪、瞳など色素の薄さは茅さんに似ている。けれど、柔らかそうな癖っ毛や目尻の上がった双眸、足を組んだ堂々とした態度は、怯えるばかりだった彼とは似ても似つかない。その瞳には、少し意地悪く、勝気に挑むような色さえ浮かんでいた。


「あんたが当主の隠し子って噂、本当なの?」


 形のいい唇が問う。一瞬、何を言われたのかわからなかった。脳内で反芻して、やっと意味を理解する。


「えぇ……!?」

「五葉様」


 すぐさま、前方から咎めるような蛍ちゃんの声が飛んでくる。


「なにを言いだすのですか。そんなでたらめな噂など……」

「蛍は黙ってろ。僕はこいつに聞いてるんだ」


 咎める蛍ちゃんにぴしゃりと返して、茶色い一対の目がじっとこちらを見る。呆然としていた私は、強い視線に我に返った。


(急に分家の子を呼び寄せるんだから、確かに周りも不思議に思うだろうけど……そんな噂をされてたなんて)


「で。あってるの? 違うの?」

「ち、違いますっ」

「本当に?」


 妙な迫力に圧されて、なぜか年下の相手なのに自然と敬語になっていた。けれど、そんなことを気にしている場合じゃない。私はなんとか真っ直ぐに視線を受け止めはっきりと言葉を口にする。


「本当です」


 八千代の家に引き取られる前の記憶は、幼いこともあって不鮮明なところもある。

 けれど、記憶のなかで優しく笑いかけてくれたり一緒に遊んでくれた父親の姿は、決して七車家の当主ではなかった。母も父もとても仲が良かったし、それだけは、確実に言える。

 もう顔も声もはっきりとは思い出せないけれど、温かく大きな手のひらに頬を包まれるのが好きだった。悲しいときにはその悲しい気持ちを、怒っているときにはその憤りを、父はそうやって聞いてくれた。手のひらの温かさは、嫌な気持ちは半分に、嬉しい気持ちは二倍にしてくれる。それは特別な魔法のようで。


「ふーん……ま、一応そういうことで納得しといてあげる」


 信じきっていないような様子ではあったけれど、五葉君がそう言ってくれてほっとする。けれど、安堵とともに小さな胸の痛みも感じた。

 一度思い出すと、やっと塞がっていたかさぶたを剥がそうとしてしまったようにひりひりとした疼きが胸に甦ってくる。八千代の家にいる間は、優しい二人のため極力思い出さないように努めていたのに。膝の上に置いた手を、思わず拳の形に握りしめていた。

 そんなこちらの様子を気づいてか気づかないでか、五葉君は少し皮肉気に口端を歪めた。


「けど、当主の隠し子じゃないなら、どうしていきなり中途半端な期間本家に来ることになったわけ?」

「……それは」


 鬼のことについてを考え言いよどむと、五葉君は明るい茶色の目をすっと細めた。好奇心と、少しの嘲りが混じった目。


「分家筋の両親に売られでもした?」

「……っ」

「大体そんなところでしょ。ごく平凡なくせに七車に堂々と入って来る子が子なら、親も親だな。どうせ、あんたの両親が本家のツテ欲しさで身の程知らずに当主に娘を差し出して――」


 眼裏が熱くなる。怒りで頭の芯が焼き切れそうな程の熱がせり上がってくる。その時だった。


「うるさい奴だな」


 思わずかっとなって声を荒げかけたのとほぼ同時。突然、ひやりとした声が左側から聞こえた。途端に、五葉君の顔が歪む。表情は明らかに機嫌を損ねたといっている。こちらに注がれていた視線が、私を通り越して反対側へと向けられた。


「……なんだって?」

「うるさいと言ったんだ。ただでさえ三人になって狭いんだ……横でくだらない話を騒々しくされたら、眠れもしない」


 振り返って見た柊さんの目は、声と同じく冷ややかだった。よくこんな状況で寝ようとしていたものだ。そう思って、感心している場合じゃないと脳内で頭を振る。これは、まずい状態じゃないだろうか。柊さんの落ち着いている態度が、なおさら五葉君の神経を逆なでしているのが、顔を見なくても背中側に感じる空気でわかる。


「親に売られた、か。自分のことでも言ってるのか?」


 淡々とした声に、かっと五葉君の白い肌が怒りで赤く染まる。


「……っこの」


 私を押しのけて、眼を鋭く吊り上げ今にも掴みかかりそうな異腹の弟の様子にも、柊さんは動じていなかった。


「分家の奴らなら、わざわざ遠い筋の人間を送らずに自分の家の人間を本家に寄越すだろう。他人に当たることでしか満たせない自尊心なんて、捨ててしまうんだな。あるだけ無駄だ」

「いくつか歳が上なだけで、兄貴面して偉そうにするな! 僕はあんたたちとは違うんだよ!」


 二人の一連のやりとりを、私はおろおろと左右に顔を向けつつ聞いているしかできなかった。一度は感情のままに言い返しそうにすらなったのに、だ。位置の関係もあるかもしれないけれど、まるで、剥きだしの感情を自分にぶつけられているようだったからかもしれない。ケンカをした事はあっても、こんなに一方的に敵意を向けられたことは今までなかった。


「お前らとは違う……! 僕は、違うんだ!」


 呪いを吐くかのように苦しそうな五葉君の声は、柊さんの言った言葉と合わせて、彼にもなにか私の知らない事情があるのだと察させた。


「と、とりあえず……落ち着いて!」

「陽さんの言うとおりです。柊様も口を慎んで……もうすぐ、学園に到着するのですから」


 宥めようと言えば、蛍ちゃんが加勢してくれた。

 学園、の言葉に外を見れば、確かに道を行く学生の姿が徐々に多くなっていくのが目に映る。気を削がれたのか、舌打ちをした五葉君は再び窓の外を見た。元通りの状況だ。

 けれど、私は学園に着く前に言っておかずにはいられなかった。


「五葉君」

「五葉“くん”……?」


 苛立ってるのを隠しもせずに、再び茶色の瞳がこちらを睨む。だけど、今度は圧されない。


「確かに、いきなり一緒に住むことになった人間は怪しく思えて当然だと思う。……だから、私のことは何て言っても構わないよ」


 勝気そうな瞳を見据えて告げる。と、その目が、少し驚いたように大きくなった。


「だけど。私は自分で、本家に来ることを決めたから。ここに私がいることに、親や周りの人は関係ないよ」


 ここに来た理由はどうであっても、決めたのは自分自身だ。流されたわけでも、押し付けられたわけでもない。それだけは、胸を張って言える。

 僅かに、五葉君の顔が歪む。けれど、すぐにその目は外へと戻されてしまった。


「……そう」


 ほんのちょっとだけ、力を失った声とともに。

 そこで、ふと気づく。いつの間にか、先程まであった胸の痛みを忘れていた。一触即発な雰囲気に、それどころではなくなったからだろう。

 私は、その空気を作った原因となる左隣をちらりと見る。相変わらず、柊さんは窓の外を見ていて表情はわからない。


(今までずっと黙っていたのに、どうしてわざわざ五葉君が怒りそうなことを言ったんだろ……)


 彼のほうが付き合いが長い分、性格や嫌がる言葉をよく知っているはずだ。おかげで冷静になれて助かったけれど、不思議に思わずにはいられなかった。

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