2 七車
外と変わらず、七車家の門の中も、私の予想をはるかに超えていた。
表門を抜ければ広い前庭が広がっていた。
左右を見ればそれぞれ庭師が手入れをしていると思われる桜や楠などの木が植えられており、季節の草花が彩りを添えている。敷石の傍らには、夜になると明かりを入れるのだろう石灯籠。個人の邸宅である事を忘れてしまいそうになった。
歩を進めれば徐々に近づく屋敷自体も、八千代の家と比べるまでもなく大きく、風格がある。
ふと、長く続く敷石の道の向こうに人が二人立っているのが見えた。
会話をしていたらしい二人のうちの一人が、こちらに気づく。そして、真っ直ぐに歩んでくる。
「野枝さん、その子が当主の招いたお客様?」
目の前に立ったその人を見て、私は呆気にとられてしまった。
背が高く、均整のとれた体つき。ダークブラウンに染められた髪は緩く癖が付けられ艶を感じさせ、涼やかな目元と通った鼻筋、薄い唇は絶妙なバランスで配置され、醸し出す雰囲気はまるでテレビや雑誌に出る芸能人のようだ。シックな色合いのシンプルな服装をしているものの、その人の容姿は人の目を引く魅力があった。
「
野枝さんが、男性に向かって言う。様、と呼んだという事は、彼は七車家の人間なのだろうか。
夜香と呼ばれたその人は、緩やかに口角を上げると片手を差し出した。
「君が、三か月の間本家で暮らすっていう女の子、だよね? 俺は七車夜香。よろしくね」
「八千代陽です。よろしく、お願いします……」
いまだに迫力に押されておずおずと差し出した手を、夜香さんは力強く握った。その途端、彼の表情が変わった。少し驚いたように、僅かに目を見張る。
「……へぇ」
「あの、どうかしましたか?」
私が問いかけると、すぐにその顔は元の笑顔へと戻っていた。
「何でもないよ」
それがあまりにも自然で、先程の表情は見間違いだったのかと思えたほどだ。
「当主の考えはわからないけれど、こんなに可愛い女の子が同じ屋敷で暮らす事になるんだったら大歓迎だね。なあ、
夜香さんは言って、後方へと目を向けた。その時だ。
「あ!」
急に、強い風が吹いた。
服をはためかせ、髪をなぶったそれが通り過ぎた時、視界を何かがちらついた。
「写真……!」
すぐにわかった。それは、先程ポケットにしまった写真だった。先程の強い風にあおられ、飛んでしまったのだ。
たった一枚だけの大事な物。慌てて手を伸ばしたけれど、届くはずもなかった。
強い風ではるか高い宙に舞い上がった写真は、風の力を失ってひらひらと私たちの頭上を舞い落ちていく。
落ちる先には、先程夜香さんが話をしていたもう一人の人。遅れてこちらへ歩んできていた、青年の姿があった。
彼は足元に落ちた写真を拾いあげ、こちらを見た。
黒髪に意思の強そうな目眉、夜香さんとは雰囲気が違うものの、こちらも整った容姿をしていた。見る限り、歳は同じ高校生くらいだろう。
けれど、一番に目についたのは何よりも、彼の表情。
柊と呼ばれた青年は、目があった瞬間まるで撃たれでもしたかのような顔をしたのだ。
その唇がかすかに動く。音は持たないものの、彼が口内でなにかを呟いたのはわかった。
「柊?」
夜香さんに声をかけられて、柊さんがはっとする。そして、すぐさま視線を外した。写真を夜香さんへ押し付ける。
「……くだらない事を言っていないで、戻るぞ」
そう言って、まるで私たちなどいないもののように踵を返して屋敷の方へと行ってしまう。
「相変わらず、冷たい事で」
先へ行った青年に、夜香さんが呆れ混じりの溜息をつくとこちらを見た。
「はい、大事な物。今度はちゃんとしまっておくようにね」
受け取った写真を慌てて確認する。幸運にも、傷は一つもなかった。
「ありがとうございます」
泣きそうになりながら写真を抱きしめて言うと、夜香さんは柔らかな笑みを浮かべて首を傾けた。
「可愛い女の子の助けができたなら何よりだけど、礼なら今度の時にでも柊に言ってやってよ。拾ったのは、あいつだからさ」
そう言って、すでに遠くなった背中を示す。柊さんの背は、一度も振り返る事なく徐々に小さくなっていく。
「それじゃあまたね、陽ちゃん」
にこやかな笑顔でひらりと片手を振り、夜香さんも後を追うように行ってしまった。
「……お二人ときたら……」
忠告を聞いてバッグの中にしっかりと写真をしまっていると、去って行った二人を見送って野枝さんが嘆息した。
「あの方たちは、七車家の現当主、
「よ、四男……」
という事は、当主には少なくとも、あと二人子息がいるということだろうか。
「当主様には、今のお二人を入れて五人ご子息がいらっしゃいます」
考えを読み取ったのか、春枝さんが言う。私は、先の二人の事を改めて思い返してみた。
どちらも顔立ちは下手な芸能人より整っている。けれど、二人を並べてみても、兄弟と言われなければ気づくことはできないかもしれない。とりまく雰囲気のためだろうか、あまりあの二人を似ているとは感じなかったのだ。
「きっと、奥様も綺麗な方なんでしょうね」
あれだけ端正な顔立ちの人たちの母親だ。きっと相当の美人なのだろうと思って言った言葉に、すぐに答えは返って来なかった。
複雑そうな表情を浮かべた野枝さんは、暫くの間をあけてただ一言、「そうですね……」とだけ言ったのだった。
***
「悪趣味だ」
歩を進めながら、柊はやっと追いついた夜香へ吐き捨てるように言った。
「偶然を装って、お前は"視た"かっただけだろ」
「あはは、わかってたんだ?」
悪びれる事なく、夜香は軽く笑うと先程握手をした手を持ち上げた。
「当主がわざわざ呼び寄せたっていう相手だ。どんな面白いものが視えるかと思ったんだけどね」
歩調は徐々に緩んでいき、自然と足が止まっていた。持ち上げた手を握り、また開いて夜香は双眸を眇める。
「……なーんにも、視えなかった」
「何も……?」
ぽつりと零された返答に、柊も思わず立ち止まっていた。信じられないというように後方の兄を振り返る。
「ああ、何も。こんな事、今まで無かったんだけどな……」
手を下ろした夜香のそんな呟きは、どこか愉しげにさえ感じさせた。
そんな兄の姿を視界に映し、柊は眉間に深い皺を刻みただ唇を引き結んだ。
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