第8話:真意

 次の日も、相変わらず二人は一緒に登校し、一緒に下校した。


 くだんの宿題が終わったのかどうかは、それぞれの表情を見れば明らかだ。


 陶子はいつも通り、涼やかに前を向いて歩いている。


 松山百は、まるで世界の終わりを迎えたかのごとく、うつむいていた。


 調べによれば、現代文担当の尾張は、優しそうな外見に伴わず、生徒に対しては厳しいことで有名らしい。さすがに今時廊下に立たせるなんてことはせずとも、補習だけでは足りず、放課後に雑務を手伝わせるなり、生徒指導室に呼び出して個人指導を徹底するなり、それは教育熱心だという。


 つまり松山百はその格好の餌食であることを意味する。


「はぁ……高校生にもなって読書感想文とか何書けばいいのかわからないし……」


 がっくりうなだれ、ほとんど敗北宣言をしているに等しい。


「でも、ひとまず用紙を埋めれば再提出になることはないと思うよ」

「だからってさ! 心にも思っていないことをつらつらと書くのもどうかと思うんだよね! ジョバンニの気持ちとか、ブルカニロ博士の実験とか知ったこっちゃないし!」


 ブルカニロ博士は、確か第四校からは登場しなかったんじゃなかったっけ。そういえば昨日の帰り際、松山百は本を何冊かレンタルしていた。まさか全部の校を読破した上で感想文に臨もうというのか。図書館では集中力ゼロだったくせに。


「書くからにはさ、それなりにちゃんとした感想文にしたいじゃない!」


 本の内容に文句を言っているのか、自分のふがいなさに怒っているのか、いまいちよくわからない。とにかく、明日までには八百字以内に銀河鉄道の旅路についての、何らかの評価を見いださなければならない。


「……そうなのかな」


 百年以上前の、しかも架空の出来事について、僕らは何を語れば良いのだろう。教師が満足する内容か、それとも市の読書感想文コンテスト受賞に値するくらいの、含蓄ある言葉の羅列か。松山百は悩んでいるようだった。陶子は既に、それらにして、何とも思っていないようだった。


「……まあ、とりあえず、及第点がもらえればいいんじゃない?」

「それはそうかもしれないけどさ! 少なくともカムパネルラがどうしてあんな行動を取ったのかは抑えておくべきじゃない?」

「……ごめん、読んでないからわかんないんだけれど……」

「あ、うん。要はそういう話なんだよ」


 陶子と松山百の間に、不穏な空気が流れる。


「結局あの物語で、登場人物たちは何を実現できたのかって話じゃない? 人は自分のためだけに生きてるんじゃないけど、それでも、やっぱり最終的には自分を第一にするべきだと思うんだ。自分より他人を優先した上で、満足な人生を歩むことができなかったら本末転倒じゃない? いくら傲岸不遜と言われたって、それでも自分を最優先に考えるべきなんだよ」


 松山百が何を言おうとしているのか、僕にはいまいちわからなかった。


 それでも、十六歳の身の上で、人生をいい加減に、他人任せに歩んでいるようには思えなかった。松山百も、東陶子も、己の人生をないがしろにせず、自分たちなりに精いっぱい向き合っていた。


「……じゃあ」


 陶子は何かを決心したように、重く口を開いた。


「今日はうちに泊まって、宿題やらない?」

「え?」

「その、図書館だと、あまり喋れないからアドバイスとかしにくいし。まだほとんど書けてないんでしょ? 一人でやるよりも、誰かと話しながらの方が進むんじゃない? どう、かな?」


 あの陶子が、クラスメートを家に誘っている。目線を合わせ、最大限の勇気を振り絞っている。


「行くっ!」


 満開の花のような笑顔とともに、松山百は答えた。腕を絡みつけ、ぴったりと寄り添う。


 右隣で甘える松山百を見て。


 陶子は作った。


「……っ!」



 笑っているような泣いているような、あの、中途半端な笑みを。



 目じりを下げ、唇を片方だけ吊り上げて。



 僕は肩に掛けていたカバンを落とした。


 同時に、この三日間のすべてを悟った。


 僕はこれまで、松山百から陶子に声をかけたのだと思っていた。


 しかし実際は、その逆だったのだ。陶子から松山百に近づいた。


 それは友達になるためでも、前に進むためでもない。


 陶子はずっと横を見ていた。


 これまでの日々と何一つ変わらない、慣習だった。ただ一つ違ったのは、対象が虫でも愛玩動物でもなく、人間であるということ。



 陶子は松山百を殺そうとしている。

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