第7話:あるいは、友情

 二人が学校帰りに寄ったのは、地元の図書館だった。この施設は比較的新しいこともあり、利用者を増やすべく様々な取り組みを実施している。キッズルームはもちろん、喫煙エリアや飲食ができるスペース、漫画コーナーなんてのもある。


 中でも惹かれるのはドリンクサービスだ。はじめに空のグラスと制限時間の書かれたチケットを受け取る。チケットに書かれた時間(一時間)内なら、カウンターにグラスを持っていけば、ドリンクがお代わり自由なのだ。種類はウーロン茶、オレンジジュース、コーラ、アイスコーヒーの四種類だ。受験生や大学生に人気で、夏休みになると連日、図書館とは思えないほどに混み合っている。


 陶子はアイスコーヒーを(ガムシロップをもらうのを忘れない)、松山百はコーラを受け取って、三階の学習スペースへ向かう。


 ここへ来た目的はなんとなく想像がつく。昨日、松山百がドーナツ店で言っていた「現文の宿題」をやるためだろう。


 図書館に向かう道すがらの会話によると、本来次の現文は水曜日の三時間目だったが、木曜日の一時間目の世界史と入れ替わったらしい。現文の担当が研修で出張に行くことになったのだそうだ。


 二人は横並びの席を確保し、カバンから筆記用具と四百字詰めの作文用紙を二枚取り出した。


 宿題というのはどうやら読書感想文らしい。図書館を選んだのは、集中できるからとフリードリンクであるからという理由以外に、題材を探すという大前提があったようだ。


 まず向かったのは、文学書コーナー。二人は本がぎっしりと詰められた棚の中から適当に抜いて、ぱらぱらとページをめくって、そして戻すという一連の行為を何度も繰り返す。特に陶子は険しい顔つきで、切り殺さんとばかりに鋭い目つきで本の中身を凝視している。まるで街中で変質者を見つけたかのような辛辣な表情だ。


 架空の愛や恋に共感するというのは、陶子には難易度が高すぎるのではないだろうか。


 あるいは、友情なら。


 松山百は宮沢賢治の棚から選んだ本を取り、先に席へ戻っていった。陶子は文学コーナーを離れ、階段で四階に移動する。上は確か心理学や哲学、歴史書のフロアだ。本棚が胸の高さまでしかないので、身を隠すことが難しい。


 ならば今は、松山百について探りを入れるのが適切かもしれない。机に目線を移すと、松山百は先ほど選んだハードカバーをめくっていた。だがそのスピードは、文章を読んで内容を理解しているそれではない。明らかにめくるのが早すぎる。やはり落ち着きのない子どもに純文学は不向きのようだ。


 正直、松山百は何らかの狙いがあって、陶子に近づいているのだと思っていた。


 自分より下の女を置くことで自らの地位を確立するとか、実はそれまで友達と呼べる存在が高校にいなくて、「ぼっち」の肩書を捨てるために陶子を手元に置こうとしていたとか。だが実際、そんなことはなかった。松山百は自分の教室にはもちろん、他のクラスの友達もいるし、男子からも好かれているようだ。彼女に対しての本格的な調査はたったの一日だったが、それでも学校で低カーストであるということはなかった。


 純粋に、松山百は東陶子を好いている。


 友達になろうというその気持ちに、嘘偽りはなかったのだ。


 やがて、陶子がハードカバーを手に戻ってきた。さすがにタイトルは確認できないが、四階から戻ってきたということは心理学、あるいは哲学書ということだ。


 あのアンチ活字の陶子が、小難しそうな本を選んでいる! 


 夢分析でもするつもりか。それとも女子高生にしてニヒリズムでも語るのか。席に座ると、親の仇と向かい合うかのような鋭い目つきで読み始めた。


 それから二時間ほど、二つの席で会話はなかった。


 ちゃんと作文を書いているのはもっぱら陶子の方で、松山百は三十分もしないうちに再びスマートフォンをいじっていた。こりゃあ、補習は確実だ。


 夕方の五時半を回ったころ。陶子がシャーペンを置いた。作文用紙二枚分、八百字相当の読書感想文をなんとか終えたらしい。松山百は待ちかねたと言わんばかりに空のカップを置く。結局、あれから二度と宮沢賢治の感性に触れることはなかった。


 図書館を出たところで、二人は別れた。


 僕が注目していたのは、もちろん陶子の方だ。これから帰途につく途中、スーパーもしくは弁当屋に出向いて半額シールの貼られた惣菜を狙いにいくのだろう。


 普段とは違う道のりではあるが、陶子の足取りに迷いはない。自分の進むべき道に従って、ひたすらに歩を進めるだけだ。


 アパート周辺の住宅街に差し掛かったところで、陶子の前に真っ黒な猫が現れる。

 耳の先から尻尾まで黒一色に包まれた、首輪もされていない、野良猫のようだ。


 辺りに人はいない。手をかけるなら絶好のチャンスだ。


 陶子が少しずつ距離を詰めてゆく。野良猫は逃げる素振りを見せず、陶子の双眸に照準を合わせていた。


 ゆっくりと、陶子の手が伸びる。


 その手はカバンに入っているであろうナイフにも、猫の首元にも伸びず、ふかふかの頭部へと触れた。猫はそれを受け入れ、気持ちよさそうに目をつむり、されるがままに受け入れている。引っ掻くこともなければ、距離を取る様子もない。


 一分ほど戯れて、陶子は猫に別れを告げた。大人しくアパートに戻り、その日は二度と部屋を出ることはなかった。


 この日を、いや、昨日を境に、陶子がまともな高校生活を歩んでくれればいい。


 僕は素直にそう思っていた。


 しかしそれはあまりにも愚かで、身勝手な考えであるということを、翌日に思い知ることとなる。

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