第3話:清掃員のお仕事

 もしも、万が一にも、陶子に彼氏などできてしまったら、容赦なく僕はその男をしまうだろう。


 それゆえに、僕はものすごい破壊衝動に駆られていた。


 スーパーのアルバイトと思しき若い男の店員と、陶子が立ち話をしていた。話しかけたのは陶子だ。


 男はまだ高校一年か二年くらいだろう。童顔なので中学生にも見える。美人に声を掛けられて、あからさまに嬉しそうにしている。気持ちの悪い笑みだ。


 僕が実力行使に踏みきらなかったのは、すぐ近くに子連れがいたからだ。子どもの前でとびかかるほど僕も自分の行動を制御できないわけではない。

 この子の父親は単身赴任中で、この土日は数か月ぶりに家に戻ってくるらしい。精肉コーナーで高級和牛のパックを持ったまま、嬉しそうに母親と話している。今夜はすき焼きかしゃぶしゃぶか。母親が持っているカゴには卵があったので、おそらく前者だ。


 男がバックヤードに消えた。そしてすぐにラベラーを手に取って戻ってくる。陶子の持っていたパックの惣菜を預かり、順々に打ち込んでゆく。どうやら今日はまだ割引前で、半額シールを貼ってもらえるよう直接交渉していたらしい。


 陶子は半額になったコロッケと青椒肉絲と甘露煮をカゴに入れ、惣菜コーナーを離れる。男の顔が少し寂しそうなのがまた腹立たしい。


 僕は陶子が選んだのと同じパックをつかみ、無言で男に突き出した。


 三種類の惣菜を五割引き、トータル四百円引きで入手し、レジに向かう。陶子はもう会計を済ませ、商品を袋に入れている。並んでいる間、僕にはひとつ気がかりなことがあった。


 その予感はあえなく現実となる。


 スーパーからの帰り道。陶子がきょろきょろと周囲を気にするので、遠くから帰りを見守っていた。いつものルートを少し逸れ、陶子は自宅近所の公園へと入る。昼間に僕が昼食をとったところだ。


 日はすっかり落ち、公園全体が闇と同化しかけていた。辺りに人の姿はない。この時間にもなると、住民以外、この一帯に近づこうとする者はいない。中央にぽつんと屹立した街灯だけが唯一の光源で、弱弱しく、頼りない。


 その光の中から突如、「イヤア」と悲鳴が響き渡った。


 僕はまだ敷地に踏み込まない。コトが終わるまでは、動かない方がいい。どちらにしろもう手遅れなのだ。


 やがて闇の中から人影が現れる。


 身長百六十センチ、体重五十キロ、年ごろの高校二年生ながら、腰まで伸びた純黒の髪は一度も染めたことがない。右手の甲には黒子がある。上は水色のギンガムチェックシャツに白のカーディガン、下は膝丈のデニムスカート。これがもし殺人現場であれば、有力な目撃情報だ。


 ビニール袋を提げた陶子が出てきた。その様子はいつもと変わりなく涼しげだ。


 入れ替わりで僕が公園に立ち入る。声のした、光の中へと向かう。


 街灯の真下に、物体が転がっていた。


 そいつの両足はぶるぶると震えており、転んでは立ち上がり、また転倒するのを繰り返している。

 口の端からはよだれか吐瀉物かわからない液体が垂れ、それまで整っていたであろう毛並みを汚している。


 白と茶色の毛並みを持つ猫は、まるで半分ゾンビになったかのような、虚ろで凶暴な色を瞳に宿していた。


 そいつは昼間、ベンチで食事を終えた僕が一時戯れていたやつだった。


 さっきの悲鳴はこいつのものだろう。千鳥足で僕の元へと近寄ってくる。大きさからして生後一年といったところか。


 僕はそいつを抱え、茂みに移動する。その間も猫はずっと「イヤア」とうめき声をあげていた。


 茂みでいったん猫を足元に置いてから、素手で足元の土を掘る。土は柔らかく、あっという間に縦横三十センチほどの穴ができた。


 その穴に猫を置く。もう立ち上がる気力もないようで、心なしか瞳が濁りを帯びてきている気がする。そこに映っているのは恐怖か、絶望か。僕はしゃがんだまま両手を合わせ、目をむった。


 まだ息のある猫に土をかぶせ、こんもりと山を作る。中からはもう、悲鳴は聞こえない。届かない。


 今すぐ動物病院に駆け込めば、あるいは一命を取り留めるかもしれない。でも僕は、この猫に対して特別な感情を抱いてはいなかった。かといって、やがて死ぬのをわかっていながら放っておくほどドライな心の持ち主というわけでもない。


 とはいえやっぱり、あと数十分、こいつが死にゆくのをじっと待つつもりはなかった。ならば先だって埋葬してやるのが妥協点だろう。


 ごめんなさい。苦しかったでしょう。怖かったでしょう。驚いたでしょう。せめて安からかにお眠りください。骨となり土となり花となり、すべてを忘れてください。二度と思い出すことなく、新しい命が与えられるその日まで。



 陶子が殺める命を葬る。他人様の迷惑にならないよう、始末する。



 これが陶子専属の清掃員である、僕の役割だ。

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