博之の夢1

 気がつくと、眠気を催す古典の授業はまだ続いていた。教壇からは子守歌のように、訳の分からない古典の音読が聞こえてくる。

 授業中いつものように寝ていた。博之は何だかおかしな夢を見ていたことを思い出して、机から顔を起こす。カモフラージュに使っている教科書は開かれた状態のまま机の上に立っており、居眠りがばれていないことに博之はほっとしていた。

 妙な夢を見た。

 夢の中で自分は竜の鱗になって少女にじっと見つめられているのだ。

 赤い髪を美しい、色の白い少女だった。

彼女の赤い眼は悩ましげに長い紅の睫毛に覆われていた。声をかけようと思っても自分は鱗で、身動き一つとれない。しまいに、彼女がなんと喋っているのか博之には理解できなかった。

 中国語だろうか。それにしては妙にゆっくりとした喋り方だった気がする。

 自分たちのいる部屋の壁一面には、美しい鱗が陳列されていた。彼女はその鱗を見ながらため息ばかりつく。今にも泣きそうなその顔を見て、慰めてあげたいと思ってもそれすらできない。自分は、鱗だからだ。

「変な夢……」

 ぼりぼりと頭を掻きながら、博之は大きく欠伸をする。

「ようやくお目覚め?」

 すると、博之の顔を覗き込んでくる女性がいた。中国生まれの伽藍先生。はっきりとした眉と卵型の輪郭が美しい女性だ。

彼女は古典の専門講師だ。伽藍先生の、玻璃を想わせる眼がじっと自分を見つめている。博之は思わず喉を鳴らし、言葉をはっしていた。

「お、おはようございます……」

 博之の言葉に、教室中から笑い声が漏れる。なんだか急に恥ずかしくなって、博之は机に立てていた教科書で顔を覆っていた。

「たっく、このくそ先公……」

「はぁい、くそ先公で悪かったわね。じゃあ、この漢文読んでみようかっ!」

 教壇に戻った伽藍先生が、黒板に書いた漢文を読めと迫ってくる。ぎょっと博之は眼を見開いて、すごすごと立ちあがっていた。

 書き出し分が書いてあるので何とか読めるが、漢文自体が博之にとってはちんぷんかんぷんだ。そんなものを読むぐらいだったら、WEB小説で話題のファンタジーを読んでいた方がまだいい。博之が黒板の漢文を読み終えると、教壇の伽藍先生が割れんばかりの拍手を送ってくれた。

「はーい、博之君よくできました。これはある中国民話を漢文にしたものです。この漢文を訳すとこんな感じになるわ。中国の奥地に崑崙山という仙人たちが住まう山がある。そこから水晶山脈と呼ばれる地に降りた仙人がいた。その名も伽藍仙人。とっても美人なのよぉ。彼女は人の里に住む者のから仙人になる素質のある子供たちを水晶山脈に呼び寄せ、仙人にするべく教育を始めた。そんな彼女のもとに一匹の竜の子やってきたの。赤い美しいその竜は彼女に言ったそうよ。自分を仙人にしてくれってね」

 竜は神じゃないか。それに比べ仙人は、人がつらい修行に耐えて超能力のような力を身に着けた存在だ。そんな竜がなぜ仙人に弟子入りするのか、訳が分からない。

 そんな博之の疑問を他所に、伽藍先生は話を続けていく。

「なぜ神である竜が仙人に弟子入りをしたがるのか。伽藍仙人は尋ねた。すると龍はこう言って泣いたそうよ。愛しい人を取り戻したいって。その龍の手には蒼い眼が握られていたの」

 笑みを深め、彼女は話を締めくくる。伽藍先生の話に博之はぎょっと眼を見開いていた。

 彼女の笑みがじっと博之に向けられているような気がしたからだ。その彼女の顔を映す博之の双眸は、空のように美しい蒼色をしていた。

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