第236話、出現


 銀竜ズィルバードラッケの巨体がもやの中からヌッと現れる。

 力強い羽ばたきに、風が地面に吹きつけられ、砂埃が舞った。低空をかすめるそれが頭上を通過するのを、慧太たちは固唾かたずを呑んで見守った。


 岩の道のあいだ、岩陰に身を潜め、銀竜をやり過ごす。岩場が複数の溝となって走るさまは、さながら岩の森、あるいは迷路と呼ぶに相応しい。靄の中に消えるズィルバードラッケを見送り、自然に止めていた呼吸をゆっくりと吐き出す。

 慧太の傍らで、岩影に身を預けていたキアハが呟く。


「心臓に悪いですね」

「まったくだな」


 他の岩場などに隠れていた仲間たちに『移動』するよう合図する。竜の聴覚についてはどれほどのものかわからないが、音をできるだけ立てないように注意する。


 すでに全員が戦えるように準備していた。

 セラは白銀の戦乙女鎧を展開していたし、アスモディアとサターナもそれぞれ武器を手にしていた。……もっとも銀竜相手にどこまで通用するかは疑問ではあるが。


 このまま遭遇せずに山を抜けられれば――


 正直、竜どもが警戒している今、簡単ではないと思われる。だが避けられるものなら避けたい。ひとたび交戦となれば、最低二匹の竜とやり合う羽目になるのだ。


 視界は相変わらずよくない。十数メートルミータ範囲なら見通せるが、銀竜の大きさを考えると、距離などあってないようなものだ。次の瞬間にも、靄の中からスッと白銀の竜が現れるのではないか――


 もっとも、リアナが聴覚を動員して、ズィルバードラッケの羽ばたきやその他挙動を聞き逃さない。視界に入る前に、近くの岩の影に隠れればやり過ごすことも可能だ。……問題は。


 岩場が切れて、少し開けた場所に出る。まっすぐ突っ切れば二〇メートルミータもないが、その途中で銀竜が飛来すれば隠れる場所がない。かといって、周囲の岩場に沿って移動すると遠回りとなってしまう。


 慧太はリアナへと視線を向ける。耳をすませている彼女は、銀竜の羽ばたき音を探る。無表情な彼女ではあるが、黙している時間が長すぎた。慧太は口だけ動かした。


『どうした?』

「……蒸気が噴き出している音、このあたり濃い」


 どうやら靄の原因ともなっている噴き出す蒸気の勢いが強いか、あるいは複数音を拾って、彼女の耳に一種の雑音となっているようだった。


 ――無理はするところじゃないな……。


 安全第一。岩壁に沿って移動するよう仕草で合図する。ユウラはアスモディア、サターナ、アルフォンソと共に左から。慧太はセラ、キアハ、リアナとアルフォンソの分身体を連れて右の壁に沿って移動する。

 分かれたのは、不意の遭遇戦に備え、一気に全滅するような事態を避けるためだ。……仮に、この開けた地に銀竜が着陸するようなことになれば、いくら岩の壁に沿っても丸見えなのだ。


 慎重に歩を進める一行。慧太は先頭を行き、ふと、壁に大きな穴が開いている箇所に差し掛かった。


 ――大きい……。


 翼をたためば、先ほど見かけた銀竜が通過できそうな大穴が地下へと通じているようだ。中でも蒸気が出ているのか、外へと流れて噴き出している。


「ケイタ」


 リアナの声。振り向けば、金髪碧眼の狐娘は首を横に振る。


「この中、一匹。……気配がする」


 ――マジか。


 三匹目のドラッケ。こいつが山に怒号を響かせた個体か? それとも別の個体か。

 静かに、と人差し指で示し、慧太はそっと穴の前を横断した。セラが続き、キアハも一度大穴を覗き込み、意を決して進み――


 ズン、と穴の奥から地響き。


「跳んだ……!」


 リアナの緊迫した声。キアハが思わず立ち止まる。それが幸いした。大穴から銀竜――ズィルバードラッケが頭から飛び出してきたのだ。

 もし無理に横断を続けていたら、その飛び出してきた竜の巨体の下敷きになっていたかもしれない。

 しかし幸運はそこまでだった。銀竜は慧太とセラのほうを見やり、一方でその長い尻尾が鞭のようにしなり、キアハを直撃したのだ。


 それは狙ってやったのか、あるいは偶然の一撃だったのかはわからない。ただはっきりしているのは、ズィルバードラッケの丸太のように太い尾が、猛スピードでキアハの身体をいとも容易く吹き飛ばしたことだ。

 普通の人間なら、おそらく即死しているだろう衝撃。大型トラックに跳ねられるが如くの一撃だった。


「くそっ……!」


 慧太が悪態をつくのと、ズィルバードラッケが咆哮するのはほぼ同時だった。バリバリと鼓膜を刺激する大音響。聞く者を戦意を一瞬で押し潰すかのような怒号。


「セラ、キアハを頼む!」


 両手に戦斧を出し、慧太は叫んだ。先ほどの咆哮で一瞬、我を忘れていたらしいセラは「え?」と声を出した。


「キアハだ! 治癒魔法を使えるのはセラだけだ! 行けっ!」


 声を張り上げながら、しかしキアハが生存している可能性について、慧太の思考に暗い影がよぎった。屈強なグノームの戦士、グレゴが水晶サソリの巨大な尻尾の一撃に死んだことが脳裏に浮かんだのだ。銀竜の一撃は劣るどころかさらに強いと思える。


 ズィルバードラッケが、接近する慧太にその角の生えた頭を伸ばしてくる。

 噛み付きか――頭だけで二メートル近い大きさがあるそれ。無数の歯はそれ一本一本が短剣にも等しい。大気を震動させる声と共に突っ込んできたドラッケの頭を避け、戦斧をその頬に叩き込む。


 ガシッ、とまるで岩を叩いたような手応えが返ってくる。刃が通らなかった。跳ね返されたのだ。


 銀色に鈍く輝いているその鱗は、ごつごつした岩のような表面と強度を持つ。空飛ぶ重戦車。その防御を抜けて一撃を与えるには、攻城兵器でも持ち出さなくては傷一つ付けられないのではないか。


 予想はできたが、目の当たりにするとやはりショックが大きい。……こんなものどうやって倒せって言うんだ?


 ドラウ――盗賊団シャンピエンが使役していた魔獣を相手にした時は、口の中に爆弾を放り込んで中から倒したものだが……。ズィルバードラッケの大きさを考えると、ちょっと火力が足りなさそうだった。

 銀竜の長い首が慧太を追う。ジャンプして、その首の上に飛び乗り、降り際に斧を叩きつけるが、やはり歯が立たない。


 ――まあ、嫌がらせにはなるか。


 左手の斧を戻し、爆弾を生成。そいつを銀竜の硬い竜鱗にぶつける。

 爆発と騒音。

 岩のように分厚い鱗の表面をいくら叩いても中にダメージは与えられないが、その音と衝撃は竜の注意を引くには充分だった。


 ――どうしたものか。


 視界の外から割り込むように銀竜の尻尾がなぎ払うように迫る。銀竜の頭の向きや視線などに注目していたらかわせない攻撃だが、身体全体を見てその姿勢の挙動を見れば――


「かわせなくはないっ!」



 ・  ・  ・


 

 セラが駆けつけた時、キアハはぴくりとも動かなかった。

 銀髪の姫の脳裏に浮かんだのは、慧太と同じく水晶サソリの一撃で致命傷を負い、死んでいったグレゴの姿。


「キアハ!」


 大人顔負けに発達しているとはいえ、グノーム人ほど身体が太いわけでもない。黒い外套姿の彼女は出血は見られないが、銀竜の尻尾の打撃に全身の骨を砕かれていることも想像できた。……死。


「キアハっ!」


 脈を確認する。脈、脈――感じら……。


「!」


 脈があった。一瞬、絶望に冷えかかった思考がホッと温かくなる。だが油断できない。このまま弱まり、生命の灯が途切れてしまうこともありえる。

 セラは治癒魔法を試みる。生き物の持つ自然治癒の力の効果を高め、損傷箇所の再生を促す。それにはまず対象が『生きている』ことが必要だ。キアハはまだ歳若い娘。治癒魔法の効果も効きやすい。……間にあえ! 間にあって!


「セラ!」


 サターナの声。ユウラたちが駆けつけたのだ。


「彼女は!?」

「まだ、生きてます。でも……!」


 危険なのは変わりない。ユウラは言った。


「ここは危ない。アルフォンソ、セラさんとキアハさんをここから運び出して」


 すっと影のように広がりながら、黒いカーペットのようになるアルフォンソ。横たわるキアハ、治癒魔法を使うセラの身体が地面からわずかに浮き上がるように押し上げられると、そのままの姿勢で地面を滑るようにシェイプシフターは二人を運んだ。


「さて……」


 ユウラは顔を上げた。視線の先には、翼をはためかせて飛来するもう一匹のズィルバードラッケの姿。


「結局、こうなるわけですね」


 アスモディアがシスター服から、漆黒のビキニアーマー的な戦闘服へと変え、手には愛槍スコルピオテイル。

 ユウラは皮肉げに言った。


「では皆さん、死なない程度に頑張りましょう。ここまで来て死ぬのは馬鹿らしいですし」

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