第235話、竜の棲む山


 二日後、慧太たちはアルトヴューとライガネンの国境線上に位置するジュルター山にたどり着いた。


 天候はかんばしくなく、低く雲が立ち込めている。こよみの上では冬に差し掛かりつつある。ジュルター山のいただきは雪化粧により白くなっていたが、山全体に雲が掛かっているように見えた。


 各自、外套をまとい防寒対策を施し、ジュルター山へと登る。ちなみにこの外套はシェイプシフター製。この世界の一般的防寒着より遥かに高性能だった。


 うっすらともやがかかっており、視界はあまりよくない。だがそれは天候ばかりのせいではなかった。地表のところどころから蒸気が噴き出していて、それが靄の原因の一つのようだった。

 ごつごつとした岩肌もあらわな、木がほとんど生えていない不毛な土地である。


 ヴェーアヴォルフに追跡されている――先日、リアナやサターナが感づいたそれだが、銀竜を見かけたあたりから、ぱったりと気配が消えたという。

 銀竜との遭遇を嫌って下がったのか。慧太は口にしてみたが、サターナは『それはありえない』と一蹴した。


『奴らは仕掛けてくるわよ。必ずね』


 ゆえに、銀竜ズィルバードラッケに加え、魔人軍の特殊部隊の襲撃にも神経を尖らせている。

 慧太は銀竜との遭遇をできるだけ避けるため、小分身体を七体、扇状に展開して前方索敵を行った。……正直、用心しすぎる気がするが、遠方とはいえその姿を見た後となっては、好奇心でも戦ってもいいなどとは思えなかった。


「聞こえる……」


 リアナがその狐耳をすませる。

 岩地を踏みしめ進んでいた一行は、足を止める。靄がかかっているジュルター山は、寒々とした風が吹き、かすかに小雪がちらつき始めていた。吐く息は白く、セラはかじかむのか手に息を吹きかけている。


 ふと、遠くから魔獣とおぼしきゴロゴロとした咆哮が聞こえた。岩に反響しているのか、長く咆哮が響いている。


「……いるな」


 慧太は低く呟いた。

 索敵に出した分身体はまだ報告を寄越していない。起伏に飛んだ地形のため、本来は分身体を飛行型にして上空から確認させるところだ。だが、低く立ち込めている靄のため、上からでは見逃す恐れがあった。ゆえに地上を走らせているが、地形のせいで思ったより進みが遅かった。


「リアナ」


 視線をむければ、岩に登った狐娘は進路左方向を指した。向こう――そこに銀竜がいるのだろう。まだ視界の外であるが、聴覚に優れる狐人フェネックさまさまである。


「右寄りに進む」


 岩のあいだを抜ける道が左右へとわかれており、当然ながら銀竜がいるとおぼしき場所を避けて、一行は進んだ。

 誰も、何も言わなかった。

 セラは何か思いつめたような顔をしている。アルトヴュー王国の人々のために銀竜を倒せないか――そう考えていたお姫様である。戦いを避け、逃げている現状に良心の呵責でもおぼえているのかもしれない。

 岩の道を進む一行とは別に、リアナはそれより高い位置を移動しながら周囲の音や気配に神経を尖らせている。

 やがて、斥候に放っていた分身体が『銀竜発見』を飛ばしてきた。それはシェイプシフターであるサターナも同時に受け取ったらしい。

 だが問題はそこではなかった。振り返った元魔人の少女は、驚きの表情で慧太を見た。


「……銀竜を見つけたみたい……だけど」

「ああ……!」


 慧太は顔を引きつらせた。ユウラやサターナが表情を硬くして見守り、キアハは唾を飲み込んだ。


 銀竜がいた。右へ迂回したにも関わらず、こちらの進路上に!


 発見したのは声を拾った左側ではなく、右側を索敵していた分身体だった。

 先回りしたとでもいうのか? 何故、こちらに奴がいる――!?


「ケイタ?」


 セラの声。慧太が口を開こうとした瞬間、またも残響を残しながらの咆哮が前方より聞こえてきた。……間違いない。銀竜の声だ。

 何も言わなくても、一同がそれを理解した。だがリアナが自身の狐耳に手をあて、呟くように言った。


「……違う」


 何が違うのか。皆が狐娘に注目した。


「……さっき聞こえたのと、声の感じが違う」


 どういう意味だ? その問いは、疑問として出される前に答えが返ってきた。

 竜の咆哮がした。

 前方からではなく、左側――いると思われ、避けた方角から。


「これはさっきの――」

「やめろ」


 聞きたくない。慧太は無表情ながら、リアナの答えを遮った。

 つまり、こういうことだ。前方に銀竜がいて、先ほど迂回した方向にももう一匹の竜がいる。


「二匹の竜……!」


 キアハが顔を青ざめさせる。ユウラも目を見開き、アスモディアも思わずその口もとに手を当てた。

 そこへ別の――左側を索敵していた分身体が『銀竜発見』を報告してきた。

 慧太はユウラを睨むように見た。


「オレたちは、銀竜が『一匹』だけだと思い込んでいた……」

「……二匹、いたんですね」


 その時、山全体に響き渡るような大音量の咆哮がビリビリと聞こえた。リアナの聴力に頼るまでもない。皆がそれを聞き、同時に理解した。……今のは、先ほどまでの二匹とも違う声だと。


「二匹だけでもなさそうだな」


 皮肉がこぼれた。慧太の顔に浮かぶのは不敵な笑み。いや、これはもう笑うしかない。


「ジュルター山が竜の山だなんて聞いてないぞ」

「アルトヴュー側では未開の場所です」


 ユウラは彼にしては珍しく、どこか怒りを含んだような表情を浮かべる。


「ここを通るような人間はほとんどいない。まさか、ここが銀竜の棲家であったなとど知る者もね」


 数十年前、あるいは百年ほど前――ユウラは続けた。


「おそらくその時に現れた銀竜が卵を残していたのでしょう。今回の出現は、その卵がかえって現れた個体」

「随分と眠っている期間が長いじゃないか」

「竜というのは一般的に長寿とされていますからね」


 青髪の魔術師は、視線をサターナへと向けた。彼女は唇を噛み締め、視線を俯かせていた。続きを、と促すような雰囲気に気づき、サターナは口を開いた。


「竜にも種類があるから、ひとまとめにはできないけれど、卵から孵るまでに早いものは一年未満、長いと数十年というのもあるわ」

「よく知っているのね」


 セラが言えば、サターナは皮肉げに唇の端を吊り上げた。だがどこかぎこちない。


「ワタシは竜の家系の出だからね。だいたい知っているわ」

「で、ここには少なくとも三匹以上の竜がいる」


 慧太はサターナを見やる。


「ええ、見たところ、若い竜だけどすでに飛行もできる状態」


 分身体からの情報をサターナも得ている。


「ひとつと交戦したら、もう一匹も向かってくるかもしれないわね」


 一匹でも面倒なのに二匹、いやひょっとしたら三匹も相手にしないといけない可能性もあるということだ。

 重苦しい空気があたりを包む。これは非常によろしくない。


「いまさら山を降りる、という選択肢はあるか?」

「交戦前なら、あるいは」


 しかしサターナは顔をしかめた。


「いえ、たぶん無理だわ。さっき、ひときわ大きな怒鳴り声したでしょう? あれ銀竜のぬしだったんだけれど――彼女はこう言ったの」


 彼女? ――周囲の疑問を他所に、サターナは告げた。


「『山に侵入者がいる』って。たぶん、もうじき――」


 斥候の分身体から追加の報告が入ってくる。銀竜が飛んだ、と。


「ワタシたちを狩るためにやってくるわ。……どうやら人間のことを、相当嫌っているようね」

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