第220話、分岐点
そもそも、ここにいることが理不尽なのだ。
倉井は声を大にして言う。
「理不尽に召喚されて、それで自分が今まで生きていた世界を諦めろというのか! 殴られたら、はいそうですかと引き下がるってのか? 俺は御免だ!」
手の伸ばした倉井は、慧太の胸倉を掴んだ。
「俺は帰るぞ! そのために誰が死ぬのも構うものか。もし恨むのなら俺ではなく、俺をこの世界に召喚した奴を恨め。そいつが俺を召喚しなきゃ、そもそもこいつらだって死ぬことはなかったんだからな!」
「……被害者だったら何をしてもいいとでも?」
慧太は冷めていた。ヒートアップし感情をむき出しにする倉井に対し、慧太は深淵を連想させる瞳を向ける。
「あんたの境遇には同情するよ。オレ自身、あんたと同じくこの世界に召喚された人間だったからな。……だけどさ、それで子供を殺していい理由にはならないと思わないか?」
魔法陣の周りで眠らされている子供たちを見た。
「この子供たちが、あんたをこの世界に呼んだのか? 違うだろ? もしここで生贄にされるのが、あんたをハメた奴、それか胸糞悪くなるような犯罪者だったりしたなら俺は止めなかった。復讐する相手を間違ってるんじゃないか?」
「俺を召喚した魔術師とその仲間はとっくにくたばったよ!」
倉井は歯をむき出し怒鳴った。
「復讐とか……俺にそんな力なんてない。傭兵やってるお前と違って腕力で勝てるわけがない!」
「だから子供なのか」
大人の倉井は、より弱い子供なら御せると。
「とんだクズだな」
「ああ、そうだよ俺はクズだよ、卑怯者だよ! お前に何がわかるッ!?」
血走った目で倉井は言った。
「俺が子供を殺すことに何も感じないとでも! まったく躊躇わないとでも? 俺だって悩んださ。本当に殺していいかどうか。悩んで悩んで――」
「だったら、こんな馬鹿なことはやめなよ」
言い聞かすように、慧太は言った。
「まだ、ここの子供たちは生きてる」
「……だから、まだ間に合う、とでも? ……ふふ、慧太君。もう遅い。遅いんだよ」
なに? ――慧太は眉をひそめた。倉井は歪んだ笑みを浮かべる。
「もう、俺は子供を殺したんだよ。子供たちを生贄にする寸前になって、引き返してしまうなんていう間違いがないように。……今朝、子供を殺した。三人」
子供を三人殺した――その発言に、慧太の中で、最後まで残っていた糸がプッツリと切れた音がした。
――チッ、やっぱ昨日の殺しはこの人だったか……!
握手を交わした時、彼の袖についていた黒い染み。あれは酒ではなく、時間が経って黒くなった血液。おそらく子供を殺した際についた返り血だろう。とっさに染みを指摘され、思わず隠そうとしたのは、血だと悟られたくない反射行動だったのだろう。
それに。
――今朝、と言ってるよなこの人は。
夜に殺人が行われたと町では噂になっていた。だが倉井は、今朝と言った。実際に殺した時間を知っているのは、犯人か目撃者しかいない。
「覚悟をするために、まったく関係ない子供をさらに三人も殺したのか」
イかれてる。心底あきれ果てる慧太に、倉井は胸倉を掴んでいた手を離す。
「ああ、だがもう一人――」
素早く慧太の腰に差しているダガーを抜いた倉井は、そのまま慧太に刃を突き刺した。
「お前はどう言っても止めるんだろう? 子供っていうのは青臭い理想論を語るんだよなァ!」
深く突き刺し、そして抉る。強張る慧太の表情を見やり、倉井は嫌味な顔になる。
「大人になるってのは、こういうことだよ慧太君! 残念、俺より先にこの世界をおさらばできるなぁ……! 天国にいけることを祈ってやるよ。大丈夫、ここで十二人の子たちが君の後を追うから。俺の変わりに面倒みてやってくれ。そうすれば君も子育ての大変さがわかるはずだ」
「……いやにお喋りだな」
慧太は小さな声で言った。倉井は「は?」と怪訝に眉間にしわを寄せる。
「慣れないことをすると、人間はお喋りになるっていうぜ、倉井さん」
「!?」
倉井の顔が固まる。左胸に感じる違和感。慧太の身体から伸びる黒い『何か』が倉井の胸を貫いていた。
「子供を殺したという割には、油断し過ぎじゃないか? ダガーで相手を殺そうというなら急所を狙わなきゃ。……そうでないと何度も何度も差さないと相手を殺せないもんだ。予行演習は済ませたんじゃなかったのか?」
慧太の表情は無感動だった。どこまでも冷たい瞳が、倉井の……光を失いつつある瞳を覗き込む。
「残念だよ。俺もできれば同郷人を手にかけたくはなかった」
ずるりと、倉井の身体が沈み込む。床に両膝をつき、慧太の身体を撫でるようにその腕が下がっていく。
「でも、あんたが最初に手を出したんだからな? 殺されそうになって抵抗しない奴なんて、世の中にはいないだろう? だったら……覚悟はあっただろう。返り討ちに遭うかもしれないという覚悟は」
ドサリと、倉井だった身体が床に倒れた。慧太は遺体を見下ろす。
何秒、いや何十秒も。
胸のうちにこみ上げてくる様々な思い。それを消化するように小刻みに頷く。
「……オレも喋りすぎた」
慧太はその場でしゃがみこむと、その手を伸ばす。……同じ国の人間の命を奪ったのは初めてだった。だからこそ、これまでのそれとはまた、違った気分になって落ち込んだ。
・ ・ ・
「迷いはあった」
倉井は言った。
「生贄に十二人の人間の魂が必要だって知った。力もない、武術の心得もない俺が唯一抑えられるといえば、年端もいかないガキたちしかなかった」
「……」
慧太は無言。
倉井邸の裏庭。にわとりをふた回り大きくしたようなフン鳥が、せわしなく歩き回り、地面の草をついばんだりしている。……虫を食っているらしい。
「初めから生贄にするつもりで、身寄りのないガキたちを拾った。親がいなけりゃ、誰も探さないからな」
「よく十二人も集まったな」
慧太は木箱を椅子代わりにしながら、フン鳥を眺める。家の壁にもたれている倉井は苦笑した。
「シャンピエンは知ってるな? あと他にも盗賊とか。そういうのが町の外じゃ出没するからな。親のいない子供なんて割と珍しくない。……日本じゃ考えられないかもだけど」
四人は町の外で拾った、と倉井は言った。
「あと、奴隷商人が売り物にならない子供を貧民街で捨てたりな」
身体の一部が欠損していたり、日常生活送るのに不便な子供たち。慧太はいたたまれない気分になる。
「帰りたいという気持ちは日に日に強くなっていった。ガキたちの面倒を見ていたが、最近じゃ、しょっちゅう喧嘩ばかりして、俺も疲れてきたってのもある。いつまでこいつらの面倒を見なきゃいけないんだって」
「育児疲れ」
「大家族って大変」
倉井は目を回して見せた。
「まあ、いいこともあったし、だからこそ、本当に生贄にしていいのかって考えることもあった。……だけど、日本への思いには勝てなかった」
「オレがユウラを紹介しなかったら――」
慧太は淡々と言った。
「倉井は、子供たちを生贄にしようとしなかったかもしれない」
同郷人だから。
困っていたから、助けになればと思った。召喚・転移の魔法に人間の生贄が必要だと知らなかったから。もし知っていたら――
「それはどうだろう」
倉井は首を振った。
「
自分のことをさも人事のように話す倉井。……いや、倉井の姿をしたそれ。
「とりあえず、子供たちの引き取り手が見つかるまでは、面倒をよろしく頼む」
「ああ、任された。……兄弟」
倉井――慧太の分身体は手を振った。倉井本人の遺体と取り込み、彼の記憶や思考を吸収したシェイプシフター。今後、彼が倉井に成り代わり、しばらく子供たちの面倒を見る。
ただ――
「もしかしたら、俺はこのガキたちがそれぞれひとり立ちするまで、面倒見るかもしれないな」
「……ああ、オレもそんな気がしてる」
慧太は立ち上がると、家へと入る。様子を眺めていた子供たちが興味深げな視線を寄越したが、小さく手を振るだけに留め、声はかけなかった。
「幸運を。慧太君」
分身体――倉井は声をかけた。家の中を通り、玄関のドアを開けながら、慧太はちらりと振り返る。
「幸運を。倉井さん」
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