第219話、生贄

 食材を調達し、昼前には帰宅。

 店から用心棒として雇われているゲルターに、いつものように見張り料を払い、今日はお引取りを願う。勤務時間がいつもの半分の時間で済んで、そのいかつい顔には珍しく笑みが浮かんでいた。


 いつもより早い帰宅に、子供たちははしゃいでいた。肉の入ったスープを昼に食べようと言ったら、男の子連中が飛び跳ねるほど喜んでいた。……ふだん具が少ない野菜スープ主体だから、肉はめったに食べられないからだろう。


 高かったんだから感謝しろよ、といったら、子供たちは意味を理解しているのかいないのか、大騒ぎしていた。……うるさい。


 コーニアとヒルンがスープ作りを手伝った。

 コーニアは無口だが、料理は上手だ。ヒルンはそんなお姉さんなコーニアのようになりたいみたいだ。……彼女らの目を盗み、そっとスープに粉末を混ぜる。


 だがそれをノッポのパッセルに見られた。彼は不思議そうな顔をしたので、「美味しいスープの隠し味」だと言っておいた。秘密だぞ、と仕草でみせれば、彼はコクリと頷いた。これがコルウスやアシオーだったら、秘密と言った次の瞬間には皆にバラしていただろう。


 やがて、スープが完成して、十二の子供たちが食卓についた。


「お肉だー!」


 コルウスは年長の癖に、こういう時は一番ガキみたいに振る舞う。お調子者でイタズラ好きのシッタが彼の真似をしてはしゃぐ。馬鹿みたいだが、同時に微笑ましくもあり、つられて笑いそうになる。

 子供たちはにぎやかだった。だが少し目を離した瞬間、アナスとグレースが喧嘩を始めた。


 ああ、くそ。またか……。


 すると今度はシッタがアシオーと言い争いをはじめた。肉の大きさがどうのこうの――いい加減にしろよ、お前ら。


 頭を抱えたくなる。こんなのは日常茶飯事だ。十二人も子供がいれば、一日たりとも喧嘩もなく済むなんてありえない。


 何度怒鳴っただろう。そしてそのたびに何度子供たちを泣かせただろう。


 頭を抱える。煩わしい。


 だが、この煩わしさから解放される。

 こちとらまだ未婚だ。血の繋がらないガキどもの面倒を見るのも、今日で最後だ。

 床に木製の皿が落ちる。誰かが喧嘩の勢いで投げたか。……しかし、そんなこともなく場は静かになっていた。


 子供たち全員が眠り込んでいた。……どうやら薬が効いたらしい。


 職場の商人から買った睡眠薬だ。正直言えば、その薬を買うだけでひと月分の食費と同等の金が消えたが構わなかった。どうせ、この世界の財産など、日本に持ち帰っても無価値なのだ。


 子供たちを一人ずつ、地下室へと運ぶ。すでに魔法陣は引いてある。昨日知り合った日本人の慧太君、その知り合いの魔術師が間違いないと確認してくれた。


 直径五メートルほどの輪。内側には魔法文字と線で模様を描き、輪の外縁には十二個の小さな輪がある。……この小さな輪に、一人ずつ眠っている子供たちを座らせていく。

 全員を運び、位置につかせるまで苦労した。パッセルやコーニアのような年長組は特に。最年長のコルウスは小さいから楽なほうだった。


 さて、十二人全員を配置し、いよいよその時がきた。

 あとは、召喚の逆――元の世界に転移するだけだ。……ようやく、この時がきたのだ。こんな不便で不潔な世界とおさらばできる。 


 十二人の子供たち――この時のために拾い、面倒を見てきた孤児(みなしご)たち。苦労はさせられたが、だからといって捨てたりはしない。


「みんな、俺とはお別れだけど、みんなを天国にいるパパやママに会わせてやるからね」


 すっ、と深呼吸する。胸の奥が高鳴る。やばい、国に帰れる。自然と口もとが緩む。やっと――


「……倉井さん」


 唐突な声に、ドキリとなる。心臓が跳ねた。


 振り返る。


 いつからいたのだろうか。まったく気配を感じなかった。

 昨日、町で出会った傭兵の少年――慧太がそこに立っていた。



 ・  ・  ・



「倉井さん、自分が何をしようとしているかわかっているんですか?」


 慧太は表情もなく、淡々と、しかし刃物を突きつけるような声を出した。

 年上にもかかわらず、倉井は少年傭兵の放つ雰囲気に、思わず一歩身を引く。


「け、慧太君。なんで、君がここに……?」

「あなたの様子がおかしかったので、様子を見に来たんですよ」


 慧太は前に出た。


「子供たちを生贄に、日本に帰るつもりですか」


 心底見下げ果てた目になる。まさかと思っていた危惧が的中してしまった。フン鳥を生贄に魔法を――彼はそう言っていたが、あの時感じていた嫌な予感そのままに、子供たちを生贄にしやがったのだ。

 慧太は表面こそ静かだったが、その心のうちは激しく煮えたぎっていた。


「何か、言い訳はありますか?」

「言い訳をさせてくれるのか?」


 倉井は口もとを歪めた。


「俺だって、本当は子供を犠牲にしたくはない。だが俺は日本に帰りたい!」

「……そうでしょうね」

「ここは異世界だ。ここで行われたことは、日本には関係ない。たとえ殺人を犯しても、日本に戻ればそれを証明出来ない!」

「だから子供を殺していい理由にはなりませんが?」

「こいつらは、俺が拾わなければ死んでいた!」


 倉井は声を荒らげた。


「俺が拾った命だ。俺が汗水たらして働いた金で生かしてやってる命だ。俺がいなきゃ死んでた命だ。だったら拾った俺が面倒を見る変わりに、その命、俺が使ってもいいだろう!」

「いいわけないでしょうが」


 慧太は睨みつける。


「あんた、言ってることが滅茶苦茶だ」

「滅茶苦茶? ああ、そうかもな。滅茶苦茶だ。こんな……違う世界に無理やり連れて来られて! 何もかも無茶苦茶なんだよ!」


 倉井は吠えるように言った。


「な、慧太君。見逃してくれよ。このガキどもは、別に君の友だちでも身内でもない。拾わなければ死んでた孤児なんだ。君にはまったく関係のない話だろう?」

「ええ、オレにはまったく関係ない話ですね」

「だったら、つまらない正義感を振りかざすのはよせ。同じ日本人じゃないか」

「同じ?」

「君だって傭兵だろう? その手で何人殺してきた? え? いまさら綺麗事抜かすなよ」


 倉井は歪んだ笑みを浮かべる。……なんて醜い表情だと思った。これが切羽詰った人間の顔だろうか。言ってることも支離滅裂である。


「あんたと一緒にされるいわれはないな。そもそも、あんたはオレの何を知っているって言うんだ?」


 慧太は距離を詰める。コツコツと靴音を地下室に響かせながら、倉井の眼前に立つ。


「少なくとも無抵抗な子供が殺されようとしているのを見過ごすつもりはない。異世界だろうが何だろうかは関係ない。人として、そういう外道な振る舞いを見て見ないふりなんてオレにはできない!」

「だったら、どうやって日本に帰る!?」


 倉井は叫んだ。


「君の連れにも確かめたぞ。召喚転移魔法には、人間を生贄にしないとできないって! つまり君が日本に帰る時、同じく十二人の人間を生贄にするんだよ!」

「……」

「それを聞いたら帰らないとでも言うか? 日本の生活より、こんな不便で危険な世界をとるって言うのか、ええっ!」

「言いたいことは、それだけか、おっさん」


 慧太は倉井の顔を正面から見やる。


「子供殺して日本に帰って何になる? そんなことをして、これから先、胸を張って生きていけるのか!?」

「殺さなきゃ、帰れないんだよ! 誰かを犠牲にしなければ帰れないんだ!」


 倉井は両手を握って拳を作った。それは心からの叫びだった。

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