第218話、貧民街の殺人
「オレはしばらく、日本に帰るつもりはないよ」
慧太が改めてそう宣言すれば、セラやキアハは、傍目にもわかるほど安堵していた。
ブルーメ亭での朝食のあと、ユウラは皆を再び図書館へと誘った。ライガネンを目指すルート選びで、セラや仲間たちの意見を聞きたいということらしい。
そういうことなら、と快諾するセラ。だが慧太は図書館行きを断った。
「ここを離れる前に、倉井さんに挨拶しておきたいんだが」
皆は快く了承してくれた。
かくて、慧太は仲間たちと離れ、倉井が勤めている店のほうへ足を運ぶ。しかしその道中、ふと立ち話をしている住民らの深刻な声が耳に入った。
「……昨晩、子供が殺されたらしい。三人も」
子供――慧太は足を止める。初老の男性とドレスで着飾ったご婦人、そして紳士の三人。
「貧民街のほうだろう?」
「身寄りのない子供ばかり。……一人は胸を裂かれていたんだって」
「まあ、恐ろしい」
「別の子供は喉をかき切られたらしい……」
殺しのようだ。慧太は自然を顔をしかめる。
貧民街のほう、身寄りのない子供――まさか倉井さんのところの子供たちじゃないよな……?
胸騒ぎがした。
慧太は道を変え、貧民街へと走る。倉井の家はその貧民街を超えた先だが。
途中、殺しがあったと思しき現場に遭遇した。すでに死体は片付けられていたが、人だかりが出来ていた。殺しがあったと思しき場所には、おびただしい血の跡が残っていた。
「……切り落とされたって」
「むごいことを……」
「誰か、見てないのかい?」
「夜あったみたいだから。……そんな時間こんなとこ出歩くやつなんて――」
野次馬の声に、慧太は思わず舌打ちした。そして倉井の家に急ぐ。そして家の前には、昨日も門番のようにいた男がいた。
「お前……」
「倉井さんは? いるのか?」
「クライ……ああ、留守だよ」
「仕事か?」
「そうだ」
他に何がある、と言わんばかりに、男は胡散臭いものを見る目を向けてくる。倉井がいつもどうり仕事に出ているというのなら、少なくともこの家の子供たちは無事だろう。ホッと一息つくと、慧太は引き返した。
倉井が勤めている店へ。だいぶ遠回りになってしまった。
店に入ろうと思ったとき、ちょうど裏手から倉井が出てきた。心なしか表情が暗かった。
「倉井さん」
「! ……やあ、慧太君」
彼は、少し驚いたような顔になった。
「今日はどうしたんだい?」
「この町を離れるので、その前に挨拶をと思いまして」
「律儀だねぇ、君も」
「よく言われます」
苦笑する慧太。
「今日はお仕事は?」
「もう上がらせてもらった。……君は知らないかもしれないけど、うちの近くで子供が殺される事件があってね」
「小耳に挟みました。三人、犠牲になったとか」
「むごいことをするよ。犯人、早く捕まるといいな」
どこか重い足取りだった。彼の家の比較的近くで起きた殺人。自分の家で見ている子供だったら――そう考えて、ショックを隠せないのかもしれない。
「それで、いつ日本へ帰るつもりです?」
「近いうちに」
倉井は視線を彷徨わせた。故郷に帰るとなれば、もっと喜んでもよさそうなものだが。……やはり。
「子供たちのことが気がかりなんですか?」
「ん?」
「あなたが帰ったら、面倒見ている子供たち、どうするんですか?」
「あ、あぁ。……そのことな。ああ、それがあるから、すぐに帰らなかったんだ」
倉井は自らに言い聞かせるように小刻みに首を振った。
「いま、この町の教会に相談しているところだ。……とりあえず、ちょっと町を離れることになって、子供たちを連れて行けないから保護してもらえないか交渉している」
「うまくまとまりそうですか?」
「教会はお布施をして祈りを欠かさない信徒には優しいんだよ。……たとえ異邦人でもね」
自嘲にも似た色が、彼の目によぎる。
「帰るのはそれが済んだらになるな。……君に魔法儀式を見せられないのが残念だ」
「まあ、方法があるなら、僕もいずれは」
いつになるかは未定だ。もしかしたら、帰れないかもしれない。だがそれは倉井に話すことでもないだろう。
「故郷に帰ったら、ネットに名前を出しておくよ。君も戻れたら、そこから辿って俺を見つけてくれ」
「ネットに個人情報を流すのは危なくないですか?」
悪戯っ子のようにいえば、倉井は笑みを浮かべた。
「名前だけな。そこから先はそうだな……シアードの町の話でもしよう。そうすれば本人かどうかわかるだろ?」
「確かに」
この世界の話が通じるだけで、本人かどうかはすぐにわかる。
「家まで来るか? 慧太君」
「いえ。仲間たちが図書館にいるので、そちらに行きます」
「じゃあ、ここでお別れだな」
倉井は立ち止り、慧太に正面から向き合った。その時になって、慧太は気づいた。
目が据わっている。昨日までと発散しているものが違った。
「倉井さん、昨晩何かありましたか?」
「……いや、何も」
彼は首を横に振った。何故、と聞き返してくる。
「雰囲気が、どこか違う」
「傭兵をしているとそんなこともわかるのか? ……まあ、今朝、あんな事件があったばかりだからね」
「なるほど」
慧太は首肯した。倉井は右手を出した。
「君が無事に日本に帰れるのを祈っているよ。……元気で」
「あなたも。魔法が成功するのを祈っています。幸運を」
「ありがとう」
力強く握手を交わす。慧太は倉井の手へと視線を落とし、ふと彼の上着の袖口が黒く変色していることに気づいた。
「……酒でもこぼしたんですか?」
「ん?」
「袖です」
「あ……ああ」
倉井は左手でそっと袖に手をやった。
「ぶどう酒をな。服を替えないと……」
「……」
「それじゃあな、慧太君。友人の魔術師にもお礼を言ってくれ。おかげで国に帰れると」
「伝えます」
倉井は左手を振りながら、家のほうへと歩き出した。慧太はその背中を見送る。
「……」
その目は険しい。何ともすっきりしない気分だった。気持ちよく別れの挨拶をしたというのに、どうにも心が晴れない。
――これでいいのか……?
思わず、慧太は心の中で呟いた。
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