第180話、聖教会の使者


 名前を聞かれたので、アルゲナム国の姫だと名乗ったら、殴られた。

 銀髪だから、アルゲナムの姫の名をかたっても騙されないぞ、と尋問担当の男は言った。


 はっきり言えば、ショックだった。


 本当のことを言ったのに、真っ向から否定され、しかも頬を叩かれるなんて。

 王族に暴力を振るうなど、国によっては死罪にも等しい暴挙である。……聖アルゲナム国が魔人に滅ぼされていなければ、温厚なセラといえども尋問官の態度を痛烈に非難しただろう。


「では、初めから」


 尋問官は、何事もなかったように席に戻った。怒っているでもなく、事務的な態度だ。しかし何も嘘は言っていないセラは「名前を」と言われたら、セラフィナ・アルゲナムと答えるしかなかった。

 尋問官は、今度は机を叩いた。


「次は殴る」


 そう宣言する尋問官。セラは怒りと共にやるせなさを覚える。……この人は私が嘘を言うまでこの態度だろうか。つまり、本名ではなく、誰か別の名前を、『嘘の』名前を言うまで。


「私は気が短いんだ。黙っているなら、暴力を振るうしかない」


 どっちにしても振るう気な癖に――セラは反発する。だが、どうすればいいのか。初っ端に理不尽に殴られたせいで、うまく考えがまとまらなかった。


 尋問官が溜息と共に立ち上がった。ビクリと席の上でみじろぎするセラ。手枷のかけられた腕を前に出して、せめて殴られないように身構えるが――

 唐突に扉がノックされた。


「何だ?」


 尋問官が確認すれば、扉の向こうから『聖教会の司祭様がおいでです』と返事がきた。


「聖教会……入ってもらえ」


 扉が開く。入ってきたのは教会の黒い祭服姿の――少年だった。


 年齢は十三、四くらいか。短い金髪をもった、なかなか可愛らしい顔の持ち主だ。少年は聖教会のアミュレット――金の指輪付きのネックレス――を掲げ、短く神への祈りを捧げると、尋問官もまた祈りの仕草をとって答えた。


「こんにちは」


 祭服の少年は、にっこりと笑みを浮かべて挨拶した。


「これは、司祭様……お初にお目にかかります」


 尋問官はどこか戸惑っていた。無理もない。随分と若い司祭だったからだ。外見で判断するなら、司祭なんてとても信じられなかった。


「聖教会より派遣されたディリーと申します。こちらに、セラフィナ・アルゲナム姫殿下がいらっしゃると通報を受けたのですが」

「セラフィナ・アルゲナム……」


 尋問官は、ちら、とセラを見やる。


「いえ、そのような者はここにはいません。姫の名を騙る者なら、ここにいるのですが……」


 ディリーと名乗った少年司祭は、セラを見た。

 セラもまた彼を見返す。聖教会の者なら助けを求めてもいい相手であるが、歳若い……少年とあって頼っていいものか迷う。


「ああ……」


 ディリー司祭は、セラのもとへ素早く歩み寄った。


「セラフィナ姫殿下、よくぞご無事で。アルゲナム陥落の報を聞いた時は嘆いたものですが、こうしてお目にかかれて光栄です」

「あ、ええ……」


 戸惑うセラに、ディリー司祭は小首を傾げた。


「セラフィナ姫殿下、その頬……」


 歳若い司祭は、振り向きざまに尋問官を睨んだ。


「このお方に手を上げたのか、貴様!」


 少年というには堂々たる叱責だった。年下の司祭の突然の剣幕に、尋問官はたじろぐ。


「あ……え」

「神聖なる白銀の勇者の末裔にして、聖アルゲナム王家の姫君に手を上げるとは万死に値する! 太陽神様のもとに逝けると思うなよ!」


 あわわ――尋問官は大慌てで、その場に跪き、額を床にこすりつける勢いで頭を下げた。


「申し訳ございませんッ! 本物の姫殿下で在らせられるとは思わず、何たるご無礼を!」

「それで許されるつもりかッ!」


 ディリー司祭が烈火のごとく怒りを露にするので、セラのほうが慌てた。


「司祭様、私は大丈夫ですから、その方を許してあげてください……」

「しかし……!」


 少年は振り返り、セラの顔を見やると、みるみるとその怒りを鎮めた。


「取り乱しました。あなた様に危害が加えられたなど、太陽神様も天罰を下すだろう所業……。しかし、あなた様はそれをも許すと仰せだ。……何たる慈悲深い方だ」


 ディリー司祭は、感動したようにアミュレットを手に、短く祈りを捧げた。

 尋問官とは別の兵が入ってきて、セラへ歩み寄る。


「失礼します」と頭を下げた後、セラの手枷を素早くはずし、再び頭を下げて退出した。


 どうやら、解放されるとみて間違いなさそうだった。セラは自由になった手首をほぐしつつ安堵する。

 ディリー司祭は、恭しく告げた。


「改めて、お迎えにあがりました、セラフィナ姫殿下。どうぞこちらへ」



 ・  ・  ・



 採掘場で掘っているのは、古代文明時代の遺物だと、守備隊兵の口から聞かされた。

 昼休みとなり、ぞろぞろと作業にあてられていた囚人や奴隷たちが食事と休憩を与えられる。

 地下をくり貫いて作られた簡易な居住区画。作業は大穴とはいえ地上だが、住むところが地下とは、まるでモグラか蟻にでもなった気分だ。


 ここで、慧太たち三人は、首輪をつけられた。鉄製だろう。だがその喉元に当たる位置に丸く削りだされた白い石がはめられていた。ガチャリと鍵をかけられ、中々に重みを感じるものを首につけられるのは、あまり気持ちのいいものではない。

 部署に案内される段階になり、慧太とユウラは、リアナと引き離された。男女別々ということなのだろう。


 リアナは一人になったところで諸問題に自力で対抗できるだろうが、拘束された状態かつ、丸腰では何かあった時に困る。慧太は別れ際に、小分身体を彼女の影に潜ませた。……まあ、大丈夫だろうが。念のためである。


 慧太とユウラは、そのまま兵に案内される形で、囚人区画へと連れて行かれた。休憩時間の後、今日から作業だから先輩方によく教えてもらえと言われた。……いい加減、手枷をはずしてもらいたいもんだ。

 一方、リアナは別の場所へ宛がわれた。


 ――休憩所……?


 狐娘は小首をかしげる。同時に、その休憩所と呼ばれる部屋の置くから聞こえる、弱々しい声に、何とも嫌な予感がした。

 ピクリと、リアナは狐耳を動かす。手枷をかけられたまま、部屋へと放り込まれる。


「新しいエサだ」


 そういい残して立ち去る兵士。薄暗い部屋。採掘作業で鍛えられた、たくましい労働奴隷たちが十数人。汗と、とある粘液の臭い、オス臭でむせそうな空気に満たされていた。


「何だ、獣人かよ……」


 男の一人が言った。暗い室内で、その目はぎらぎらと光っているようにも見えた。


「女は女だ」


 別の誰かが言った。暗さになれたリアナは、部屋の奥で数人の娘たちが壁に繋がれ、それに覆いかぶさる大男たちを見た。――なるほど、慰み者か。


 ぐへへ、と卑下た笑みを浮かべて近づく男たち。さて――リアナは素早く視線を走らせ、ここに看守やその他の兵がいないことを確認。


「ケイタ」


 リアナは呟いた。


「出番」


 次の瞬間、真下から伸びた影が手枷に取り付き、素早く鍵穴に入ると開錠した。


 ――まあ、枷がついていても問題ないけど。


 リアナはむかってきた大男に逆に突進した。


 ――ないほうが、楽よね。


 狐娘の右手には、漆黒の短刀――シェイプシフターの分身体が変化したものが握られる。


 ――ここが休憩所というなら、休ませてあげる。……永遠にね。


 飛燕が舞い、血が撒き散らされた。

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