第167話、優しいお姫様
人に弱いところを見せない人間がいる。
聖アルゲナム国の王女。魔人によって国を滅ぼされた彼女は、白銀の勇者の一族の末裔であり、伝説にも名を残す存在の血を引いている。
その生い立ちが、彼女をそうさせたのか。セラは周囲に優しく、困っている人を見捨てることができない少女だった。自ら大きな使命を背負っているにも関わらず、些細なことでさえ、何とかしたいと願っている。
まるで勇者とはそういうものだと言わんばかりに。さも、当たり前のこととばかりに。
それは同時に、人前で弱音を吐かないという性格を形作った。
強くならねばならない。弱さを見せてはいけない。
それは美徳であり、同時に弱点でもあった。
「なるほど」
宿の部屋で、慧太が告げるそれを聞き、少し驚いたような顔をしたユウラは、そこで微笑した。
「確かに。彼女は弱音を吐かないタイプでしたね。あなたは人をよく見ている。セラ姫のことを気にかけている。素晴らしい」
「……何か、癇に障る言い方だな」
「そう聞こえたのなら謝ります。国を離れ一人ぼっちのセラ姫を、そこまで気にかけてくれる人が傍にいるというのは、彼女にとってとてもありがたいことです。慧太くん、セラ姫を支えてあげてください」
「お、おう」
ただ――ユウラは至極真面目な顔になった。
「正直に言って、僕は今回、セラさんには絶対、トラハダスの所業を見てもらいたいと思っているんです。もちろん、愉快はものではありませんし、若い娘がそれを見ずして済むならそれに越したことはないのですが」
「……あえて見せる、というのか?」
「その通りです」
ユウラは、まったく躊躇いなく言った。
「何故なら、彼女は王族です。しかも今後、アルゲナム国を再建することになった時、その指導者になる可能性が高い人物。……そういう人物は、世の中の暗い面も知っておくべきだと僕は思います」
「……」
「世の中は綺麗なものばかりではない。汚い面もあれば、目を背けたくなるようなことも多々あります。だが彼女が国を導く段階になった時、見たくないから見ないということは、できないのです」
青髪の魔術師は、一瞬、何十年も歳を増したような重々しさで告げる。
「よりはっきり言うなら、目を逸らすようなら、指導者になどなってはいけないのです」
「……指導者として、なるほど、あんたの言うことはもっともだ」
慧太は同意した。
「今回のトラハダスの件は、そのためのいい経験になる……あんたはそう言いたいんだろう」
だが、だけど――慧太は躊躇いをおぼえる。あまりにショックが大きすぎて、必要以上に心的にダメージを追ってしまうのではないか。セラは、精一杯勇者であろうとするし、王族として頑張ってはいる。だが、それでも一人の女の子であることにも変わりがない。ここで潰れてしまうなんてことになったら――
「ここで潰れてしまうのなら」
ユウラの言葉が慧太の心の中のそれと重なる。
「酷な言い方ですが、それまでだったと言わざるをえないでしょう。指導者に『待った』はないんですよ」
「……さも、知っているような言い方をするんだな」
苦笑する慧太。ユウラは冗談の欠片も感じさせない顔のまま言った。
「あなたより年配ですから、少なくともその分は、世の中というのを知っていますよ」
・ ・ ・
少女は、うなされていた。
灰色の肌に浮かぶは無数の汗。額に二本の角を持った鬼――半魔人の身体にされてしまったキアハは、次の瞬間、ベッドから起き上がった。
荒ぶる呼吸。悪夢から目覚めた少女は、傍らに銀色の長い髪を持つ少女がいることに気づき、一瞬身構えた。
「大丈夫よ、キアハ」
セラは優しく声をかけた。汗を拭こうと布を持って手を伸ばせば、キアハは驚いたようにその手を払いのけようとした。……どうやら、まだ意識が夢に引っ張られたままらしい。
「大丈夫」
もう一度、安心させるように言えば、焦点の合ってきたキアハの目に光が戻る。
「……すみません、セラさん」
セラから布を受け取ると、自身がびっしりとかいた汗を拭う。
「怖い夢を見てたのね」
「……はい」
一瞬、否定しようかと思ったキアハだったが、すぐに無駄だと悟り、認めた。
まだ頭が重く、思考がぼんやりしていた。身震いしたのは寒さのせいではなく、夢の内容を思い出したくないゆえだった。
「いまは、まだ夜ですか?」
「ええ。そろそろ寝ようかと思っていたところよ」
セラは自分のベッドに腰を下ろした。キアハは前髪をかきわけ、自嘲した。
「参りました。……私は眠れそうにありません」
カーテンを開けても? ――セラに伺いを立てれば、彼女は頷いた。
キアハは立ち上がり、部屋のカーテンを開ける。
月明かりが室内に入り込んだ。同時に透明な板のはめ込まれた窓に触れて、苦笑する。
「これ、ガラス窓というんですよね? 私、初めて見ました」
マラフ村の建物に、ガラス窓はなかった。
「ここは商人向けの高級宿……らしいわ」
セラは、綺麗に整えられた室内を見回して言った。旅の商人が、その馬車を停めておける敷地をもつ宿ともなれば、自然と質も上がるらしい。何故なら客層である商人が、そこそこお金を持っているからだ。
「一般家庭にはガラス自体、あまり普及していないと聞いたわ。ガラス窓は、上流階級くらいなものかしら。アルゲナムでもそうだわ」
「アルゲナム……?」
「聖アルゲナム国。私の国」
知らないの? ――と、セラは不思議そうな顔をした。キアハは苦い笑い。
「すみません、私の知る世界は限られていて。私たちが隠れ済んでいた村がマラフという名前だったこととか……。教育も受けていませんし」
「でもガラスは知っているのね」
セラが指摘した。キアハは背を向けた。
「連中の――トラハダスに囚われていた時に、ガラスでできたものを見たことがありますから」
「あ――」
セラが押し黙る。背を向けていても、気まずい沈黙であることをキアハは察した。
「すみません、変なこと言って」
「いいのよ」
一度は殺しあった関係。なのに、それ以外の時は、セラはずっとキアハに優しかった。こんな半魔人という化け物にも――キアハは自身の身体を抱きしめるように腕を回した。
「私、自分のいる国とかよくわからないのですが……」
キアハは振り返った。
「セラさんの、アルゲナム国というのは、どういうところなんですか?」
会話のネタのつもりだった。自分の話など面白くないから。また気まずくさせてしまうから。
「いいところよ」
セラは答えた。
「涼やかな風が吹いて、森があって、高い山があって冬になると雪が積もって綺麗なの。空気も水も綺麗で、都市は清潔だった。いつもお城から、自然の豊かな景色を眺めるのが好きだった……」
「お城……」
キアハがかすかに眉を動かせば、セラは懐かしむように目を細めた。
「私、お姫様だったの。元、だけれど」
「お姫様」
あ――と、キアハは驚いた。まったく彼女は知らなかったのだ。
「かしこまらなくてもいいのよ。元、お姫様だから」
「元、というのは……?」
気になったのだろう。キアハの問いに、今度はセラが自嘲した。
「滅ぼされたの。私の国は。魔人軍によって」
「……それじゃあ、魔人軍に追われていたのは」
「まあ、そういうことかな」
ごめんなさい、とセラは言った。キアハは、何故謝られたのかわからなかった。
「あなたを巻き込んでしまったこと。マラフ村が全滅したのは私のせいだから。……だから、ごめんなさい」
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