第168話、金狐乱舞
お姫様は、マラフ村が魔人によって滅ぼされたのは自分のせいだと言った。
だが、それはキアハがユウラから聞いた話と、少し違っていた。
あの青髪の魔術師曰く、大挙押し寄せる魔人軍から避難民を守るために、わずかな兵と共に時間稼ぎを行った末の、ナルヒェン山への退避だったらしい。
味方五十数名に対する魔人二千以上という戦力差。キアハにはその数字が実感できなかったが、絶望的な差があり、普通なら味方五十は全滅間違いなしだったのだそうだ。
誰もが全滅を覚悟する中、セラ姫は率先して部隊を指揮した。
怖くなかったのだろうか――その時、キアハはユウラに問うたが、彼は自分には人の心を読む力はありません、と前置きした上でこう言った。
『少なくとも、あの人は弱音を吐いたり、脅えを表には出しませんでした。隊が窮地に陥った際も、彼女は最後尾にいて、たった一人でも、味方を守ろうとしました』
美しい人だと思う。同時に、優しい人だとも。
一見すると、穏やかそうで、か弱さすら感じさせる。歳は近いが、やや大人びていて落ち着いている。
だがひとたび剣を抜けば、勇猛な戦士になることをキアハは身をもって知っている。……鬼のような姿の半魔人形態のキアハを見ても、怖気づくことなく正面から戦いを挑んだのだ。
そうだ、この人は強いのだ。
だからこそ、本人の口から聞きたくなる。
『あなたは、戦うことが怖くないですか』と。
銀髪のお姫様の答えは簡潔だった。
「怖い。でも、逃げるわけにはいかないもの」
アルゲナム国の王女にして騎士。そして白銀の勇者の末裔。民を守り、生命を脅かされる人々を守り、助けること――それは使命といってもいい。
その使命から逃げたら、おそらく自分を許せないと、彼女は言った。
「たぶん、一度でもそこから逃げたら、二度と顔向けできないと思うの。ずっとその後悔と脅えを胸に抱えて生きることになる……そんなの、私は耐えられないから」
だから――セラの青い瞳に、強い意志の光が宿る。
「私は戦う。どんなに怖くても。……これ以上、後悔はしたくないから」
逃げない強さ。
キアハには、それが胸に染みた。
トラハダスが怖い。身体を弄られ半魔人とした元凶。特にその研究を行っていた者たちと対峙すれば身体が強張って「逃げたい」という意識が働いてしまう。
でも。
このままでいいのだろうか。その脅えを一生抱え、逃げ続ける――いや、もうそれは無理だ。廃村同然のマラフ村、そこにいれば連中の手が届かないと思っていた。
だが現実は、彼らはキアハや他の住人を監視し、こちらの行動を掴んでいた。……彼らから、逃げられない。
逃げられないならどうするか。
キアハは、じっとセラを見つめた。この、体格だけならキアハよりも劣る銀髪の少女なら、鋼の意志を持ってこう言うだろう。
戦う、と。
恐怖をねじ伏せて。
・ ・ ・
最初に捕まえた奴の手を短刀で切り落とした時、そいつは悲鳴を上げかけたので喉にさらに短刀を押し付けてやった。
「どこへ行くの」と聞いたら、ケイタたちが宿泊する宿を襲う途中だと答えたので、人数を聞きだしたあと、始末した。
アイレスの町の夜。リアナは散歩――と言う名の徘徊中だった。
今夜は無性に血が騒いだ。時々起こる発作みたいなもので、そういう日はとても寝られる状態ではないので、宛てもなく彷徨っていたのだ。
そこへお誂え向きの獲物が飛び込んできた。
黒フード――トラハダスの武装信者だ。数人で移動するさまを目撃したので、最後尾の奴を路地に引き込み、先の尋問を行った。
攻撃に行く最中というなら、血祭りにあげても何の問題もない。リアナは、尋問した敵から聞きだした数を
アイレスの町の中央を走る大通り、そこを外れれば縦横に張り巡らされた道は狭く、周囲の建物が圧迫感を与えてくる。
しかし、身軽な狐人(フェネック)にこの手の高低差は障害とはなりえない。特に暗殺系戦闘術で鍛えたリアナにとっては。
――三つ。
先ほど見かけた小集団。最後尾の奴が消えたのに、まだ気づいていない大間抜け。
リアナは屋上を駆け抜け、下を行く連中に追いつくと、その真上から飛び降りた。
右手に闇色の刀身を持つ短刀『闇牙』。
左手には硬質な輝きを帯びる短刀『光牙』。
弓は持っていない。どの道、アイレスの町並みでは使い勝手が悪いのだ。
狐の戦術である上方からの攻撃は、古くから伝わる伝統的な攻撃方法だ。だがリアナのそれは精確かつ隙もない。
リアナが着地した時、先頭の一人は首を掻っ切られて倒れていた。
「何者――」
突然、降って来たそれに身構えた戦闘員だが、一人はリアナの『光牙』に飛燕の如く喉を裂かれ、最後尾となっている三人目も、『闇牙』が脳天を貫いた。
舞うように回転したリアナが、標的からそれぞれの愛刀を抜いた時、血が噴き出し石壁を染めた。リアナが静止したとき、刃物から血は払われ、光牙は冷水の如く煌きを取り戻し、闇牙はその名の如く闇に溶け込んだ。
「……」
リアナがトラハダス戦闘員の骸を見たのは、刹那だった。
数秒と経たず、次の標的求めて、建物の屋上へ。曲がりくねった狭く細い通路を行くより、屋根を横断したほうがショートカットできる。
連中の進行方向――目的地がケイタらの泊まる宿であるから、その方向を進めば、自然とリアナの聴覚や嗅覚、その索敵範囲が敵を捉えるという寸法だ。
――さっそく。
武器を携帯した複数人が狭い通路を走る音を聴覚が捉える。このような夜であることが、より発見を助けた。それらの真上に位置取り、追走しながら確認すれば、案の定黒いフードの戦闘員。……次の、獲物だ。
五人。
リアナは瞬時に、どう片付けるか頭のなかで組み立てる。それが形になった時には、飛び降りて、向かいの建物の壁を蹴りながらダイブを開始している。ベルトの煙幕弾を瞬きの間に抜くと、トラハダス戦闘員の先頭めがけて放り投げる。
黒煙が吹き上がる。
戦闘員たちは突然の煙に立ち止まり身構えた。煙に巻かれ、視界を覆われた時、一陣の風が吹き抜けた。
首から血がほとばしる。何が起こったかわからなかった。戦闘員たちは、次々喉元を切り裂かれ、喘ぎながらその場に膝をついていく。
ほどなくして、彼らが息絶えた頃、煙が晴れる。その時には、彼らを始末した暗殺者の姿は通路にはなかった。
次の標的を探し、すでに移動したのだ。
狐娘の狩りの夜は続いた。襲撃のために移動していたトラハダスの戦闘員たちで、狐人の暗殺者の姿を見た者は、極わずかだった。そしていずれもがその正体を報告することはついにできなかった。
狐人の暗殺者リアナ。
ハイマト傭兵団における、敵対者殺害数トップに君臨する少女。
その記録は、慧太やユウラですら引き離し、なお記録を更新し続けていた。
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