第165話、廃教会のアジト


 地方の土着神が、例えば現在一般的に信仰されている教会による宗教的迫害や弾圧の結果、邪神と扱われるようになった――というのは、よくある話だった。

 歴史を振り返ってみれば、悪魔に転落した、いやさせられた神様というのも、それなりの数があったとされる。

 トラハダスという組織は、邪神と呼ばれる存在を信仰する宗教団体である。しかしよくある、元神様から悪魔に貶められた存在を敬っている、というわけでもなかった。

 そもそも、『トラハダス』という神について、一般の人間はまったく知らなかった。伝説にその名を残すような神ないし悪魔でもなく、その姿や伝承など皆無だった。


 トラハダス第九神獣課に属するクルアスは、トラハダスという神が『作り物』であることを知っている人物のひとりだった。つまり、彼は教団の人間にも関わらず、『神』などという存在をまったく信じていないことを意味していた。

 アイレスの町にある廃教会――この地方におけるトラハダスの有力な拠点があり、布教活動のほか、その他非合法の実験場が存在していた。

 ナルヒェン山のマラフ村実験場から帰還したクルアスを迎えたのは、武装教団員と、当施設の副責任者であるザギー神父だった。


「お勤めご苦労様です、クルアス様」


 石造りのアーチ、その下にある教会入り口の前に整列する彼ら。邪神トラハダスへの祈りの仕草のあと、深々と一礼するザギー神父だが、クルアスは形ばかりの祈りで応えた。


「それで、プレトゥ司教は……?」


 男性的な渋みのある声には、かすかに咎めるような響きがあった。

 ザギー神父は三十代半ば。細い体格の男で、その顔だちはやや神経質にも見られる。今その表情は、わずかに苦いものが走った。


「司教様は、邪神様への感謝の儀を執り行っておりまして……」


 ぴくり、とクルアスの唇の端が引きつった。彼はそのまま、廃教会の中へと足を踏み入れる。


「私が戻ることは報せたはずだ。出迎えもせず、また娘を侍らせて淫猥な行為にふけっているのか」

「……はあ、クルアス様の帰還の旨、お伝えしたのですが」


 ザギー神父は続く。足早に歩くクルアスに遅れまいとしながら。


「感謝の儀は、トラハダス様への重要な『捧げ』の儀式であり、一日たりとも欠かすことはできない、と」

「単に肉欲に溺れているだけだ」


 クルアスは吐き捨てた。感謝の儀というのは、要するに男女入り乱れた性行為のことであり、一言で言えば『乱交』だ。


「若い娘を洗脳して、肉の奉仕をさせているだけだろう。己の欲求を満たし、快楽に溺れ、堕落する――」


 そう口にしたところで、ふと、クルアスの声から怒りの成分が消えた。


「誠にもって邪教などと言われる教団の幹部らしい振る舞いである。……そう考えるなら、彼は模倣的な邪教信徒でもある」

「あの、クルアス様」


 ザギー神父は、神経質な顔立ちをゆがめた。


「我らが信仰するトラハダス様を、邪神呼ばわりするのは如何なものかと……」

「そうか……」


 クルアスは立ち止まり、ザギー神父をジロリと見た。一瞬、怒らせてしまったのではないかとザギー神父は身をすくめたが、クルアスの口もとは笑みの形に歪んだ。


「貴様の言うとおりだ、神父」


 ホッとする神父だが、クルアスの本音は、存在しない信仰にすがる愚か者を嘲笑したに過ぎない。


「感謝の儀を邪魔するのも無粋だろう。地下へ行く」


 神獣課の管轄である研究施設へ。教会の階段を下るクルアスに、付き従うザギー神父。

 やがて、悲鳴と咆哮が木霊する大部屋に到着した。

 悲鳴は鎖で繋がれた少年少女が苦痛に張り上げるそれであり、咆哮は新たに作り出された魔獣や半魔人のあげるそれだった。

 神獣課というのは、なんてことはない。生命の神秘に触れ、探求し、いずれは不老不死へと繋がる道を模索する――という建前のもと、魔獣や半魔人を作り出している部署だ。

 階段を下りた先は地下二階部。壁に沿って細い通路があり、部屋の中央は吹き抜け構造となっている。下には拷問区画、実験区画、そして最下層には実戦場があって、上から見下ろせる形となっていた。


「マラフ村のサンプルは惜しいことをした」


 クルアスが呟くように言えば、ザギー神父は口を開いた。


「先月いただいた報告では、例の鬼娘以外、戦闘に耐えうる体力も残っていないとありましたが……」

「ああ、夜になると徘徊するのが精々と言った状況だった。定期的に投与していた薬物が切れた影響だろうな。ミュルエだけでは足りんかったとみえる」

「ミュルエ」


 ザギー神父は頷いた。


「あれは、半魔人用に作られた餌。人間を魔人化させる魔因子の変化、維持に不可欠なもの。それが断たれれば、身体の組織が崩壊をはじめ、やがては死を迎える……」

「摂取はしていた。だが維持するためには、まだ不足だったのだろう」


 クルアスは、拷問区画で、実験体の子供に細剣を突き刺す研究員を見やる。

 泣きじゃくり耳障りな悲鳴と懇願を繰り返す十にも満たない少年を、ただ無感動に突き刺していく研究員。細剣を抜けば、血がほとばしり、研究員のケープを赤く染めた。だがその血はほどなく止まり、その傷口がみるみる塞がっていった。……どうやら破損した身体を再生する技術の研究のようだった。


「より質の高いミュルエを研究します」


 ザギー神父の声に、クルアスは頷くと、再び通路に沿って歩き出した。


「しかし、お話を聞く限り、例の鬼娘が健康体であることが不思議でなりません。ミュルエの摂取量が多かったとか……?」

「貴様は知らなかったか? キアハは魔因子が身体に定着し、外部からの供給なくとも活動ができる数少ない成功体だ」

「成功体」


 ザギー神父は頷いた。

 人間を魔人化させる魔因子。これは基本的に、人間の身体にはないもので、外部から投入すれば多かれ少なかれ拒否反応が出る。人間の身体にとって、最悪、死に至る魔因子だが、中には拒絶反応も起こさず受け付けることがある者がいる。それがいわゆる成功体。一般的な半魔人に比べ、能力も高くなる傾向にあるのだ。


「なるほど。それなら納得です」


 クルアスの表情は曇った。


「だから、あのサンプルをみすみす奪われたのが惜しいというのだ」


 実験区画から、奥の研究室へ。これまでの実験で得られた資料を本として保管、分析を行う場所だ。扉を閉めれば、実験区から響いていた悲鳴などがピタリと止んだ。


「それで、到着早々、報告しなかったところからして、サンプル奪回には失敗したか」

「は、誠に申し訳ございません」


 ザギー神父は頭をたれた。クルアスは先んじて、サンプル――キアハ奪回をアイレス支部に命じていた。


「白昼の都市内で戦闘を強いることで行動を制限させようとしたのですが、戦闘員の大半が返り討ちにあいました」

「腕利きだと伝えたはずだが?」

「はい。しかし白昼堂々と魔獣や半魔人を投入するわけにもいきませぬゆえ……」


 うむ――クルアスは席に着く。机の上に用意されているのは報告書と実験資料。


「次の手は用意してあろうな?」

「もちろんです、クルアス様」


 ザギー神父は不敵な笑みを浮かべた。


「奴らの居場所は把握しております。戦闘員と共に実験体を複数体、すでに派遣してあります」

「結構」


 クルアスは深く頷くと報告書に目を通し始めた。ザギー神父は一礼すると、部屋を退出した。その足で向かうのは、廃教会の上層にあるプレトゥ司教のもと。クルアス到着を報告せねばならない。

 もっとも、司教殿は神獣課とは別部署の人間であり、半魔人や魔獣とはまったく無関係な人間だった。……クルアスの言うとおり、女との性的な行為を愉しんでいる俗物であり、宗教を利用して己の快楽を満たすだけの、醜く太った豚だ。

 そんな彼でも、一応、ここの責任者であるわけから、報告だけはしておく。何といっても教団内ではプレトゥ司教よりも、クルアスのほうが上位であり、彼の機嫌をひどく損ねることはプレトゥ司教も望まないのだ。


 ――まあ、あの豚が生かされているのは、何かあった時に生贄スケープゴートにするために過ぎないのだが。

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