第164話、唐突な来訪者


 結局、サターナはアスモディアを軽くなぶった後、宿の外のアルフォンソのもとへ戻っていった。

 慧太はベッドに寝て天井を見上げながら、サターナとのやり取りを思い出していた。

 その隣では、戒めから解かれ、見事な裸体をさらしているアスモディアが寄り添うように寝転がっている。かけられたシーツが下腹部などの大事な部分は隠しているが、胸はそのまま晒していた。


「関係ない話、していいか?」


 聞けば、アスモディアは「なあに?」と慧太の短い黒髪に指を絡ませてきた。


「お前、尻尾あるだろ? あれどうしたんだ?」


 彼女は普段、魔法で魔人の特徴たる尻尾などを隠している。ただ見えないだけで、まったく存在していないわけではない。だから本来ベッドに寝転がる時、横向きかうつ伏せになりがちで、仰向けだと尻尾が干渉して少し浮き上がるような態勢になる。


「いきなりどうしたの?」

「さっきオレをベッドに誘った時、まるで尻尾がないように見えた」


 あと、サターナがアスモディアを椅子代わりにした時も同じだ。


「よく見てるのね」


 アスモディアは、くすくすと笑った。


「わたくしの身体は今や魔力で作られている召喚体。だから尻尾は消すこともできるのよ」


 触る? ――とアスモディアは慧太の手をとると、自身の背中からその丸みを帯びた尻の間、尻尾の付け根があるあたりを撫でさせた。


「……どう?」

「ないな、尻尾」

「わたくしの魔人としての特徴は、いまは見えなくしているのではなく、それそのものを消しているの。だから、身体の隅々まで調べても、魔人だってわかりはしないわ」

「……何気にオレの手を、お前の尻へ導くのやめてくれないか?」


 さわさわ、とその曲線を撫でている手は、アスモディアの誘導によるもので、慧太の意志ではない。


「……こんなところを、他の誰かに見られたら」


 そう口にした時だった。

 トン、トン、とドアがノックされた。慧太はビクリとして、思わず声を上げそうになった。だがそれより早く、アスモディアが口を開いた。


「なぁーに?」


 そう、ここはアスモディアとリアナに割り振られた部屋なのだ。返事する前でよかったと慧太は内心安堵した。


『アスモディア』


 ドアの向こうからの声はセラだった。


 ――うおぅ、全然よくねえ!


 こんな裸で同じベッドの上にいるところをセラに見られたら、とんでもなくヤバイ。シファードの町で娼館から出てきた時など、誤解とわかってもらえたとはいえ、相当不機嫌にさせたのだ。

 浮気したとか……いや、そもそもセラとは恋人でもないし、アスモディアとどうこうしたって……ってそれはマズいだろう。セラの認識では慧太は人間で、アスモディアは魔人。人間と魔人がエロい接触なんて、神を冒涜する所業と取られかねない!


『少しいい?』

「なにかしら? わたくし、いま裸なんだけど」


 ドアを睨みながら、アスモディアは返した。――そうだ、入ってくるな。そのまま外にいろよ!

 慧太は何故自分がこんなに慌てているのか理不尽に思いながらもめまぐるしく、状況改善の手段を講じる。最悪なのは、開けられてこの状況を見られることだ。


『どうして、あなた裸なのよ!?』


 セラはドアの向こうで声を張り上げた。


『あなた、ケイタを部屋に呼んだわよね!? そのあなたがどうして、裸なの!?』


 ドアノブがまわされた。入ってくる気だ。


「ちょっと、わたくし裸だって言ったでしょ! 開けないでくれる!?」


 アスモディアも声を荒らげたが、すでに手遅れだった。

 開けられるドア――セラが顔を覗かせる。ベッドの上のアスモディアを見やり、険しい表情。


「……本当に裸なのね」

「なによ……?」

「ケイタに用があったのだけれど、彼は?」

「もう出てったわよ」


 アスモディアはシーツを引っ張る。彼女の下半身を覆うシーツは、少し、いや不自然に盛り上がっていて――


「……」


 セラはつかつかとベッドへと歩み寄る。アスモディアは不満げにセラを見上げる。


「な、なによ……?」


 無言で、セラはシーツに手をかけると跳ね除けた。シーツの裏で盛り上がっていたものが露になる。……セラは固まった。


 鮮やかな紅色、太いサソリを思わす尻尾が丸まっていた。その先はアスモディアの臀部(でんぶ)のやや上に繋がっている。アスモディアはバッと大事なところを手で隠しながら、恥らうように目を逸らした。


「なに、貴女(あなた)、わたくしと寝たいの……?」

「……尻尾があることを忘れていたわ」


 ごめんなさい、とセラは詫びるとシーツを戻した。


「それで、ケイタはどこに?」

「さあ、知らないわよ。部屋に戻っていないのなら、夜の散歩にでも行ったんじゃない?」

「リアナもそう?」


 相部屋の狐娘がいないことを聞かれれば、アスモディアは「ええ」と頷いた。


「そう……ごめんなさい。邪魔をしたわ」


 セラは踵を返し、部屋から出て行く。だがドアを閉める段階で、一度立ち止まった。


「ケイタに、何の用だったの?」

「わたくしに聞くの?」


 いたずらっ子のようにアスモディアは皮肉げに唇を吊り上げた。


「男と女が部屋ですることと言ったら、アレしかないでしょう……?」

「……!」


 ぼっ、と音が聞こえそうなほど急激に顔を赤らめるセラ。どうやら、含みのある言葉から、大人の関係を想像するだけの知識はあるようだった。


「ムッツリ」

「ち、違います!」


 セラはぶんぶんと否定してから、ジト目を向けてきた。


「で……本当に、その、つもりで彼を?」

「そう言ったでしょ」

「彼は……どうしたんです?」


 ぶっ、と思わずアスモディアは笑い出したい衝動に駆られたが、嫌味のない微笑に留めた。


「安心なさい。わたくしの誘いは断ったわ。アルフォンソに遊んでもらえ、ですって」

「アル……」


 セラは思いがけない名前が出たことで言葉を失い、しかし意味がわからなかったのか首を傾げた後、ドアを閉めた。


「セラ姫って、案外そっちの知識もあるんじゃないかしら。清楚そうに見えて、エロいとかいいわ。喘がせたい」


 アスモディアは尻尾を撫で撫でと手を這わせる。だがその尻尾はぐにゃぐにゃと形を変え、慧太の姿に戻った。


「……セラには手を出すなよ。彼女を汚すのは、妄想だけにしておけ」

「あら、妄想なら汚してもいいのかしら?」

「……どうせ、もうしてるんだろ。変態女」

「バレた?」


 アスモディアは、ころころと笑う。


「ちなみに妄想の中では、貴方に拘束されて穴という穴を蹂躙されるのが、今のところ至高」

「付き合いきれないな」


 慧太はベッドを離れる。半裸だったが、次の瞬間にはいつもの服装に表面を変化させる。


「便利な身体よね。着替えが一瞬なんて」


 アスモディアは、自らが脱ぎ散らかした下着――シェイプシフター製――を手に取った。


「ねえ、ケイタ。いつか、わたくしの妄想どおりに付き合ってよね」

「お前の性癖、ヤバ過ぎだろ」


 慧太は肩をすくめ、ドアノブに手をかけたところで立ち止まった。そして振り返ると皮肉げに笑みを浮かべた。


「『アルフォンソに遊んでもらえ』」


 部屋を出る。自分の部屋に戻るか、と思い、いやセラに何の用だったか聞くのが先かと思った。

 だが、慧太の思考は中断した。

 廊下に、黒い小さな子狐が、ちょこんと座っていたのだ。慧太の分身体、昼間トラハダスの残党を追わせた分身が戻ってきたのだ。


『お楽しみでしたかー』


 慧太の分身体は、そんな皮肉げな冗談を口にした。これには苦笑した。


『おっぱいのさわり心地はいかがでしたがー』

「ああ、でかいおっぱいだった」


 慧太は自身の皮肉屋全開の分身体に対し、そう冗談めかした。

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