第159話、アイレスの町
しばらくアルフォンソの中にいるわ――と、サターナは言った。
彼女曰く、アルフォンソ本体には、彼のおぼろけながら意識が生まれていて、それをサターナがどうこうしたわけではないらしい。
「ただ、ワタシ色に染めちゃうかも」
黒馬の姿をしているアルフォンソの身体に入るように、その身体を沈めていくサターナ。漆黒のドレスだったものが、うっすらと彼女の裸体へと変わっていくような……。
「それにしても、『アルフォンソ』なんて、いい名前よね」
「そうか?」
「だって、レリエンディールの初代魔王が愛用した魔馬の名前よ」
そういうと、サターナの身体はアルフォンソの中に溶け込んだ。
慧太は小首をかしげ、黒馬を従え、仲間たちのもとへ戻る。……アルフォンソの名前をつけたのはユウラだ。これは単なる偶然か、あるいは知っててわざと付けたのだろうか。何せユウラは古代魔術の研究をしている。かつての魔王が愛馬にそのような名前をつけていたのを知っていたのかもしれない。
慧太とアルフォンソが戻ると、キアハが見張り番だった。ユウラは馬車の脇で外套にくるまって寝ていた。アスモディアも同様だ。
「お帰りなさい、ケイタさん」
灰色の肌、額に二本の小さな角を生やした鬼魔人姿のキアハは、穏やかな表情だった。
「ただいま。……交代したのか?」
「ええ、眠れなくて」
聞けば、落ち着かないのだという。マラフ村のことを思い出し感傷に浸っているのだが、今まですべて自分ひとりでこなしていた環境から、何もしなくても周囲がやってくれる環境になったことで戸惑っているのだという。……すべてを失ったことで、少し甘えさせていたところはあった。
「わかった。それならキアハにもこれから割り振っていくから」
頼むぞ、と慧太がいえば、キアハは「はい」と素直な返事をした。
今は何かやらせることで、マラフ村のことを考えないようにさせたほうがいいかもしれない、と思った。
その後、リアナが約束どおり、鹿もどきを一頭仕留めて戻ってきた。こいつは朝飯が楽しみだ、と慧太が言えば、狐娘は淡々と頷きだけ返した。
かくて、日が変わる。
・ ・ ・
翌朝は、鹿もどきの肉を使った焼肉だった。朝からヘビーではあるが、皆空腹を覚えていたので食事は進んだ。
馬車は道に沿って走る。舗装されているわけでない道は、ガタガタと馬車を揺らす。
どこまでも広がる草原地帯。東に目向ければ森が、西に向ければ遥かなるグラル山脈が連なっている。遠くにあるはずなのに壁のようにそびえる山々。その山頂部は雲が掛かっており、天候は荒れているようだった。
数時間後、のどかな牧草地帯を抜ける。家畜と思しき牛もどき――フーブ牛というらしい――が草を食む光景をのんびり眺めていると、道の端に木の立て札があった。アルフォンソと馬車は、止まることなく駆け抜ける。
「何て書いてあった?」
慧太が問えば、ユウラが答えた。
「『アイレスの町』です」
進路上にその町が見えてきた。明るいオレンジ屋根の民家が立ち並ぶそれは遠くからでも、それなりに規模があるのがわかる。
町の入り口にさしかかり、町の守護神と思しき像が訪れる者をお出迎え――と、慧太はもちろん、セラもまた眉をひそめた。
通過した像は――おそらくこのあたりではポピュラーな信仰の対象である太陽神像だったようだが、その頭がなくなっていたのだ。
「……穏やかじゃありませんね」
ユウラが遠ざかっていく首なし像の背中を眺めながら言った。普通に首が折れる、という代物でもないから、何者かによって破壊されたと見るべきだろうが……。こんな罰当たりなことがあって、そのままというのも妙な話だった。
「おい、シスター。お前ももっと怒っていいぞ」
慧太は、修道女の格好をしている女魔人に告げた。
当のアスモディアは、十字に円という神への祈りのサインを真似てみせたが、その口もとは皮肉げに笑っていた。……そもそもエセシスターなので、人間の神がどうなろうが知ったことではないのだ。
これにはセラが顔を曇らせた。不謹慎だとでも言うのだろう。真面目なセラらしいが、それを察したユウラが咳払いをした。
「冗談が過ぎますよ、慧太くん」
何故かこちらへ来た。――まあ、けしかけたのはオレだけど。
リアナは無関心だった。彼女も信仰は狐神なので、魔人同様、あまり関心がないのだろう。一方でキアハだけは、興味深げに仲間たちの反応を見比べていた。
町自体は昼間ということもあり、活気があった。中央を走る道は、複数の馬車の通行ができるよう幅が広くとられていた。すれ違う人々は、カゴに麦パンやチーズの塊を入れていた。リアナは軽く鼻を押さえる。
「チーズだらけ……」
「チーズ祭りでもやっていたんですかね」
ユウラが冗談めかしたが、男女問わず、切断された丸太のようなチーズを運ぶ姿を見ると、あながち間違いでもなさそうだった。
「でかいバウムクーヘンだ」
「チーズですよ。……バウムクーヘンって何です?」
「お菓子だよ。それで、この町はチーズが特産品か?」
慧太が、物知りの魔術師を見やれば、彼は「さあ」と小首を傾げた。
「僕は、ここに来たことがないので」
頷く慧太だが、鼻腔をくすぐるチーズの香りに、さすがに眉をひそめた。
「濃厚な匂いだな」
やがて馬車を止める。車を降りながら、慧太は周囲を見回す。セラやアスモディアは座りっぱなしの身体をほぐすように伸びをする。キアハはそんな二人を見比べている。……圧倒的に揺れるアスモディアの胸もと。
「キアハ?」
「え?」
ビクリと、慧太を見るキアハ。
「どうした?」
「いえ……別に」
何故か自身の胸を見やるキアハ。彼女のお胸もまたこの中では大きい部類に入る。アスモディアが『巨』過ぎるというのもあるが。
それでは――とユウラが一同を見回した。
「ここ数日、ろくに身体を伸ばして休んでいないので、この町で一泊したいと思います」
賛成です、とアスモディア。肩がこっているのか手で揉んでいる。先を急ぎたいだろうセラは無言。リアナもまた『お任せ』モードの無言。
「それで、これから宿を手配する組と食糧調達組に分けたいと思います。志願はありますか?」
セラとアスモディアが互いに顔をあわせた。おそらく、それぞれが相手と違う組を希望しているので、反応を見ているのだ。ユウラが慧太を見た。
「慧太くん?」
どうやら率先して、決めてくれと振られたようだ。確かに、この面子を見回した時、慧太が一抜けすれば、自然と組み分けができそうな感じでもある。
「じゃ、食糧組で」
「私も」とセラが言えば、リアナもまた挙手した。
残るはユウラとアスモディアとキアハだ。
ほら、決まった。組み分け完了――と思えば、キアハはそわそわしていた。しきりに慧太を見るのだが、言い出せずにモジモジしているような。
ユウラもまた、そんな彼女の仕草に気づいた。
「キアハさんも、食糧組にどうぞ」
「え?」と吃驚する黒髪の大柄少女。
「宿は僕とアスモディアで事足りますので。……その代わり、何か美味しいそうな携帯食、お願いしますね」
「は、はい!」
生真面目な返事するキアハ。まだ周囲に慣れていないキアハだ。ユウラは、この中で一番彼女が慣れているだろう慧太とセラと一緒にいるよう気を配ったのだろう。
「じゃあ、慧太くん。そちらは任せましたよ」
「待ち合わせはどうする?」
「後で、アルフォンソの分身体を送りますよ」
「わかった」
慧太は頷く。セラ、リアナ、キアハを連れて、賑わう中央広場を離れる。
「やっぱ、チーズか?」
「主食はパンですよね」
セラが物珍しげにアイレスの町並みを眺めながら言った。小洒落た店舗が立ち並ぶ。パンやぶどう酒や、香水――
セラが足を止めかけるが、リアナは珍しく露骨に嫌そうな顔をして足早にその店の前を通過した。……狐人だから、というわけではないが、リアナは暗殺関係の生い立ちから、過剰な匂い成分を嫌うところがあった。
「あの、ケイタ……」
少し興味を引かれているセラが、香水商品を扱っている店前を見ている。……お姫様という身分上、自らの発する体臭を気にしているのだろう。特に香水は匂い消し――というより誤魔化し――という効果が強いので、レディーにとっては不可欠なものと言える。日常的に風呂に入る習慣がある日本人には、あまり馴染みがないが。
ここしばらく旅を続けている身なので、女性陣が自分の発する臭いを気にしているだろうことは想像に難くない。慧太とて、少し彼女らが臭っているのは感じてはいたが、慣れというのは恐ろしい。案外気にならなくなるものだ。
意外なのは、キアハが思ったより臭わなかったことだ。辺境の隠れ里で、ろくな設備もないはずだが、身体を日常的に拭いたりして清潔に保っていたのだろう。
今日は、宿で行水なり、濡らした布で身体を拭くだろうことは、ほぼ決定事項だろう。……それで完全にとれるようなものでもないが、やらないよりはマシだ。
「ケイタ」
リアナの声。それは注意を促す時のそれだった。行きかう町の人たちを尻目に、狐人は鋭い視線を飛ばす。
「囲まれた。例の黒フード」
黒フード――人々の間を縫うように、接近してくるのは、ナルヒェン山で出くわしたトラハダスの黒フードと同じ姿の者たち。
――狙いはキアハか……?
慧太はリアナに、路地へ入れ――と顎で指し示す。先頭を行く彼女に続き、慧太たちも路地へ入り込む。
取り囲むように迫っていた黒ローブ連中は追ってきた。そして短剣や爪手甲を構えると、襲い掛かってきた。
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