第113話、人質
「どうして、お前がここにいやがる?」
ラドローの声は、石造りの壁に反響した。
目の前の首領席に腰掛けている若い男、慧太は、すっと立ち上がった。
「どうしてかって……?」
感情を感じさせない淡々とした表情。傲慢さをにじませたその声は、そっけない。
「お前の仲間から、ここを教えてもらったんだよ」
靴音を響かせ、慧太は前に出る。
「雨で臭いも足跡も消えちまったからな。仕方ねぇからお前らが必ず来るだろうアジトの場所聞きだして、先回りしたんだ」
「……」
ラドローは奥歯を噛み締めた。
アジトの場所を漏らしたのは誰だ――おそらくセラ姫の服を渡して囮とした部下の誰かだろう。追い詰められた程度で簡単に口を割るとは思いたくなかったが、ここに転がっている仲間たちの死体を見れば、おぞましい拷問によって吐かされたのかもしれない。
それだけ、目の前の男からは、得体の知れない畏怖を感じた。狼人の勘――こいつは、ただの人間じゃねえ。
「セラを返してもらうぞ」
慧太は言った。セラ――その名前に、ラドローはまだ自分が切り札を有していることに気づいた。……そうとも、人質はこちらの手にあるのだ。
「返して欲しいのか? 生憎だったなぁ」
麻袋を引っ張りセラ姫を――と彼女は麻袋を掴んで抵抗した。ラドローは無理やり引っ張り出す。裸のままの銀髪のお姫様の身体を左腕で抱えるようにして固定し、慧太と対峙する。
「……」
「ケ、ケイタ……」
見ないで、とか細い声を出すセラ。
ラドローは、そういえばこの娘、素っ裸だったなと思った。人間の裸で欲情しない、ある意味正常なラドローは関心がない。
「ありきたりなセリフだが、武器を捨てて、そこで
ラドローはセラの首筋に爪を当てる。すっと引っかけば、その首は鮮血が溢れ出ておしまいだ。
しかし、慧太は首を傾けただけで、動揺するそぶりもなく、冷淡な目を向ける。
「ヘタな脅しは無駄だぞ。お前がセラを殺すとは思えんな」
「ほう? 俺は
「お前はよくても、お前の依頼人はそれを許さないんじゃねえの?」
依頼人――ラドローは、ドキリとしてしまう。何故、こいつはそんなことを知っているのか。
「わざわざセラだけ狙ったんだ。お前らが敵視している狐人がいる中で。誰でもいいなら、そんなリスクの高い獲物は狙わねえよな? 誰かから依頼されでもしない限りはな」
なるほど、こいつは状況証拠を積み立てて、ラドローの行動や目的を推測したわけだ。的確な推理だ。抜け目ない。
「まあ、お前の言うとおり、依頼ではあるがな」
ラドローは認めた。しかし不敵に笑う。
「が、あくまで依頼は依頼。大事なのは自分の命だからなァ。状況によっては、この娘を殺してでも逃げ延びることもあるさ。……傭兵だからな、俺たちは」
「傭兵か……」
慧太はそこで、ふと懐かしそうな顔をした。
「親爺も言ってたな。傭兵は命あってのモノダネだって」
「そういうことだ」
ラドローは、セラの白い喉もとを指先で撫でた。びくりと身体を奮わせる銀髪の少女。
「さあ、跪け!」
「断る」
慧太は即答だった。
「お前、わかってんのか? セラに傷をつけたら、オレがお前を八つ裂きにするってことを。主導権を握ってるつもりらしいが、逆だ。お前の選択肢は、彼女を解放し、オレの怒りに触れる前にさっさと逃げ出すことだ。でなければ――」
慧太は、首筋を掻っ切る仕草をした。
「死ぬのはお前だ」
「言ってもわかんねえなら、しょうがない」
ラドローはセラの首筋から手をずらし、ゆっくり胸へと下げる。
「どこを傷つけて欲しい? リクエストは受け付けるぞ」
下衆い挑発だ。慧太の視線はとことん冷めていた。
「……とりあえず、
その声がしたのと、背後の部下が声をあげたのは同時だった。
ぐえっ、と潰れた声。
瞬時に得体の知れない危険を察知したラドローが振り返った時、真っ黒な影のようなモノがそこに立っていて、ラドローの顔面に『何か』を差し込んだ。
それが刃物だったのかはわからなかった。
何故なら、その時にはすでに狼人のリーダーは絶命していたのだから。
・ ・ ・
ラドローは力を失い倒れる。彼に抱えられているセラもまた、それに巻き込まれる形で床へと横倒しになった。
何が起きたかわからず目を回す彼女のもとに、慧太は駆けつけた。まず毛むくじゃらの狼人の腕をセラから引き剥がし、裸のままの彼女を助け起こす。
「セラ、怪我はないか?」
「ケイタ……っ」
じわっとその青い瞳に涙が溢れる。
とりあえず白い肌も露な彼女をそのままにしておけず、慧太は腰のポーチ――半分以上身体に埋まる形で収納していたが――にしまっている服を引っ張り出した。
「ほら、服――」
言い終わる前に、セラが慧太に抱きついてきた。そのほどよく育った胸が押し付けられ、慧太は戸惑ったが、それよりも彼女の涙声のほうが響いてきて。
「ケイタ……ケイタぁ……」
安堵からか、堪えていたものが決壊したが如く、セラは抱きつき涙を流している。前にもこんなことがあったが、その時よりもより感情は激しく揺れ動き、ただただ抑えられないようだった。
――相当、怖かったんだろうな……。
慧太は、セラの背中に手を回し泣きじゃくる彼女を抱きしめてやる。
――そりゃ誘拐された挙句脱がされるなんてさ。普通じゃいられないよなぁ……。
剣を振り回し、姫でありながら戦士でもあるが、まだまだ十代後半の少女なのだ。そのショックは計り知れない。手枷をかけられ、抵抗は困難ともあれば尚のことだ。
セラは魔法が使える。それで抵抗もできそうなものだが、多分できなかったのだろう、と慧太は思った。彼女も馬鹿じゃない。できれば当にやっているのだ。それができなかったから……セラは泣いているのだ。無力な自分が悲しくて、悔しくて……。
「怖かったか? ……ああ、怖かったんだよな。遅れてごめん――」
慧太の胸で、肩を震わせ泣きじゃくるお姫様。その銀色の長い髪を優しく撫でてやる。
「守ってやれなくてごめんな。君をライガネンまで連れてくって約束したのに……こんなことになっちまって」
ごめん――
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