第112話、フェネック


 慧太とリアナを乗せた馬は、廃村を通過し走り去った。

 絶望に打ちひしがれるセラ。どれくらいそうしていたか、雨音が静かになり、やがて聞こえなくなった。


「出発するぞ」


 ラドローは部下に指示を出し、セラを再び麻袋に放り込んだ。大事なところを隠す仕草はしたが、だいぶ大人しかった。もう抵抗する気力も失せたのだろうか。

 これまでも幾度となく人間の女子供を誘拐してきたが、大抵は服を脱がすと静かになったものだった。


 廃屋を出る。雲はまだ濃いが、雨はほぼ止んでいた。地面を踏めば全体水溜り状態で、水が跳ねた。

 ラドローは、雨上がりの空気を胸いっぱいに吸い込み、ふと違和感を覚えた。

 何だろう。背中の毛がちりちりとしているような……直感じみたものだが、何か面倒ごとになりそうな時にそれを感じるのだ。


 つまり、嫌な予感がする、である。


『ボス、この銀髪娘、だいぶ静かですね』


 麻袋に入れたお姫様を肩に担ぐ部下が、暢気にそんなことを言った。


『まだアジトについてないだろが。気を抜くのははやぇぞ』


 ラドローがその部下に言えば、彼は『そうですな!』と朗らかに笑う。


 だがその時だった。

 風を切る音。ほぼ同時に、麻袋を抱えた狼人の眉間を矢が打ち抜いた。


『ウォ!?』


 ラドローはギョっとする。部下が倒れ、捕虜を入れた麻袋が落ちるのを何とか掴んだが、視線は素早く周囲へ走る。

 次々に矢が飛来し、部下が一人、二人と打ち倒される。


『敵襲!』の声と遠吠えは同時だった。


 さっきの奴らが戻ってきたか――いや、矢は廃村を囲むように三方向から飛来する。しかもすべて風下の位置からだ。こちらの嗅覚に引っかからないように配置しているのだ。

 敵――いた、民家の屋根に緑色と白のフード付き外套をまとい、弓を構えている戦士が複数人。


 ――つか、あのフードの尖り……!


 ラドローは唸った。

 フードで顔を隠しているが、その頭頂部には獣人の特徴である耳が見えた。猫でも犬でもない。あれは……。


 ――狐野郎!


 フェネックの戦士団。狼人と険悪な関係にある狐人の戦闘部隊だ。


 ――畜生、何でここで出くわす!


 ラドローは口笛で合図する。離脱するという指示だ。捕虜を抱えているラドローを援護しつつ、順次退却するのである。


『ダオ!』


 部下に呼びかけ、ハンドシグナルを送る。……お前ら、陽動ルートを使って敵をひきつけろ。

 指示を受けた狼人は頷くと、残っている仲間に迎撃を命じながら、弓矢を使う狐人へと突撃をかける。

 一方、ラドローの周りには護衛が三人。


「お前、剣を忘れるな」


 お姫さんを運ぶはずだった戦士が倒れ、その腰に巻きつけていた銀魔剣を回収させる。ラドローはセラを入れた麻袋を肩に担ぎ、走り出す。廃屋の壁に沿い、できるだけ建物を遮蔽に使う。

 が、そこにフードを被っている狐人の男が現れる。手には細剣が握られ、ラドローらの退路をふさぐ構えだ。


「どけよ小僧!」

「銀姫を返してもらうぞ、オオカミ!」


 狐人の戦士が細身の身体に似合わぬ迫力に満ちた声を出した。ラドローは、首をかすかに振る。


「しつけえんだよ!」


 護衛の一人が小型の戦斧を振りかぶり、狐人の戦士に突っ込んだ。狐人はたちまち応戦するが、ラドローはその隙に護衛二人を連れて廃村を駆け抜ける。


「姫様!」

『余所見スンナヨ、狐野郎!』

「くっ」


 廃村でぶつかる狼と狐――ラドローらが離れていくにつれ、村の複数箇所から黒煙が上がった。煙幕による離脱行動だ。


 ――うまく逃げてひきつけろよ……後でアジトについたら増援出すからな!


 ラドローは走る。森の道を逸れ、道とはいえない木々のあいだへと。


『ボス?』


 護衛として付いている部下が怪訝そうに言った。ラドローは答えた。


『さっき、こっちのお姫さんの連れが先行してっただろう? 痕跡なくて引き返してきたら厄介だからな』


 雲が流れる。隙間から太陽の光が漏れ、先ほどまでの薄暗さが嘘のように明るくなる。……当に昼は過ぎている。日が傾けば、また森は暗くなる。


 ラドローらは駆けた。このペースを守れば、森のアジトまで一時間ほど。狐人の追跡を警戒するが、陽動が上手くいっているのか、気配は感じられなかった。


 だが油断はできない。

 狐人は、その先祖たる狐同様、狡猾だ。気配が感じられないからと言って追尾していないという保証はないのだ。アジトについたら、部下を出して確認しないといけない。


 やがて、森の奥に、さびれた石造りの建物が現れる。

 ヴォラール傭兵団がアジトにしている古い砦だ。といっても城壁は垂直に七メートルミータ程度とあまり高くなく、また所々、崩れて穴が開いていたりする。

 開け放たれた門を、ラドローと部下ふたりは潜り抜ける。

 城壁内は石材が敷き詰められていて平ら。砦の建物は生活の拠点として用いられている。


「……妙だな」


 ラドローは首を捻った。

 アジトにいるはずの部下たちの姿が見えなかった。見張り台も空っぽ。砦入り口の見張りもいなければ、中庭で雑用している奴らの姿もない。

 すっ、と臭いを嗅いだラドローは顔をしかめる。


「血の臭いだ……」


 様子を見て来い、と部下の一人の命じる。城壁への階段を登っていく部下を見送り、残る一人と共に砦の中に入る。

 嫌な予感しかしない。血の臭いがぷんぷんしている。


「……」


 予感は的中する。壁や床に、比較的新しい血痕。喧嘩というのは出血量も多く、一箇所や二箇所ではなかった。

 戦闘があったのだ。だが何と戦った?

 ひょっとしたら姫様を奪回しようとしていたあの狐人が別働隊を送ってここを急襲したのかもしれない。


 一段と血の臭いが強くなった。

 かつて領主の謁見の間だった部屋にたどり着く。奥にはリーダーであるラドローの席があるが、その前に部下が十人ほど集まっていた。……なんだ、いるじゃないか。脅かしやがって。


「何だ、お前ら。こんなところで何をやって――」

 ラドローが声をかけるが、部下たちは振り返らなかった。肩に担いでいた麻袋をそっと下ろしながら、ラドローは声を張り上げた。


「おい、お前ら! 聞いてるのかっ!?」


 それが合図だったのか、部下たちが動いた。一斉に振り返ったかと思うと、胸や首もとを血に染め、その場で崩れ落ちた。

 ラドローのそばにいた護衛の部下が『ひぇっ』と悲鳴をあげる。

 目の前の光景が信じられなかった。十人の部下が死体となって立っていて、それが倒れたのだから。……何とも趣味の悪い演出だ。ラドローの視界が怒りで真っ赤に染まった。


「……遅かったな。待ってたぞ」


 声が降りかかる。若い男、しかし、ふてぶてしさをたっぷりと含んだ声だ。


「お前……!」


 リーダーの席に、それは座っていた。黒髪の若い人間の男。……セラ姫の護衛についていたやつだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る