第110話、雨の逃走


 雨が降る。

 標的を入れた麻袋を部下に抱えさせ、森の中を走っていた狼人ヴォール傭兵団のラドローだったが、激しさを増す雨には思わず舌打ちをこぼした。


 あまりに急激な天候の変化だ。バケツの水をひっくり返したような雨量、雨音。さすがの聴覚も、この雨は鬱陶しい。

 おかげで、追手を監視している偵察兵と、囮となった別働隊が遠吠えによる連絡がほぼ聞こえない状態になっていた。少なくとも移動しながらでは無理だ。


 視界が悪化している。ただでさえ暗い森だ。

 しかも地面の土が雨で泥と化し、こちらの足を引っ張っている。

 始末が悪いのは、雨により捕虜を入れた麻袋が水を含んできたことだ。麻袋は通気性がいい一方、気密性が低い。雨は中に染み渡り――現在、標的のお姫様は丸裸。依頼者に渡す前に風邪でも引かれたら、難癖つけられかねない。


 もっとも、いいこともある。

 まずこれだけ激しい雨だと、臭いを辿る行為が難しくなる。

 また場所によっては、こちらの痕跡も雨で流れる可能性がある。

 そうなると追跡側の足をかなり遅らせることになるだろう。徹底的に調べれば、やがては消えなかった痕跡を見つけることもできるが、その頃にはこちらが安全圏まで距離を稼いでいるだろう。


「ボス、この雨はマズイ!」


 部下の一人がラドローの脇まで来て声を張り上げた。


「無理に行軍を続ければ体力の消耗が――」

「もう少しで、中継点の廃村だ。そこまでは我慢しろ!」


 了解の吠えを返す部下は、定位置へと戻る。狼人の部隊は森を駆けた。


 数分後、森の中の獣道に達し、狼人は一列の単縦陣形で北へと走った。

 さらに数分後、打ち捨てられた村、その廃墟へとたどり着いた。


 十にも満たない木造家屋が立つ小さな村だった。

 だが人がいなくなって久しく、庭だったところの草は伸び放題、一部建物は草や木の侵食を許している。かつては人が住んでいたが、病が流行り村人はほぼ全滅したと言う。

 ラドローは分隊を適当に廃村に展開させると、近場の民家に足を踏み入れる。


 埃と蜘蛛の巣、お世辞にも綺麗とは言えないが、人間ほど狼人は気にしない。とりあえず厄介な大雨を凌ぐ屋根と壁があるのがありがたい。

 身体を震わせ、頭など露出している部分の毛についた水を払う。だが身に付けた革鎧ははそうはいかない。ついてきた部下の一人が尻尾を絞ると水が滴った。


「おい」


 ラドローは、捕虜を担いだ部下に、顎で合図する。麻袋の軽く横に傾け、勢いをつける。開いた口から、銀髪の少女が滑るように出てきた。……手枷を付けられた以外、全裸で。


「……っ!?」


 銀髪のお姫様はすぐに近くの壁に這うように移動し座ると、胸を拘束された手で、下腹部を足で庇った。羞恥に染まる表情は悔しげで、目じりには涙が浮かんでいる。

 捕虜を裸にすると、派手な抵抗できなくなるから楽なのだが――ラドローは汗拭き用の布を放り投げる。


「風邪を引きたくなけりゃそいつで拭いとけ」

「……」


 キッとセラは睨んでいる。子犬が威嚇するような視線だ。ラドローは湿っている自身の頭の毛を掻いた。


「何だ、枷ははずさねえぞ。……それともお姫様だから、俺たちに身体拭けっていうんじゃないだろうな?」

「!?」


 つまりは少女の身体に触れるということだ。

 セラは身の危険を察したのか、投げられた布で濡れた身体をゆっくりだが拭き始めた。もちろん、大事なところは隠しながら。

 バキバキと激しい音が部屋に響き渡り、セラはもちろん、ラドローもビクリと視線を向ける。

 部下の一人が休憩がてら椅子に座ろうとしたようだった。どうやら重みに耐えられずに椅子が潰れてしまったようだ。

 間抜け顔をする部下を呆れたように見やり、ラドローは首をふるのだった。



 ・ ・ ・



 捕まった――セラは顔面蒼白だった。

 震えがきているのは雨水に染みた麻袋の中に入れられていたからだけではないだろう。


 寒い。


 渡された布は臭かったが、拭かずに風邪を引くという選択肢は今のセラにはない。逃げる時に備え、体調を崩すなんてことはできない。

 ライガネンへ行く、その道中でもあるから健康第一、些細な病気だって冗談ではなかった。

 狼人の誘拐団――街道で出会った近隣の村の自警団の話にあった連中で間違いないだろう。

 その街道の真ん中に放置された死体と遭遇し、次に気づいたらこのザマだ。どうやら眠らされて、その間に獣人らに誘拐されたようだ。


 ケイタたちはどうなっただろう――セラは不安を覚える。


 まさか、彼らはやられてしまったのではないか。

 ケイタにリアナ、ユウラ、アスモディア――あの面子がそう簡単にやられるとは思えないが、それを言ったらセラは敵の姿を見る前に意識を失ってしまった。

 そうだ、ああやって眠らされてはいかにケイタたちでも――ぎゅっと胸が締め付けられた。


 ――殺されてないですよね、ケイタ!


 セラは顔を上げる。何とかこの場から逃げないと。

 しかし、いまセラは服を身に付けていなかった。あるものといえば、やたら光沢のある金属でできた手枷。あとは首から下げる白銀のペンダントのみ。

 白銀の鎧の鍵であり、アルゲナム王家の証であるペンダントが残っているのは幸いだった。


 しかし一方で、銀魔剣アルガ・ソラスがなかった。

 セラはちらと狼人を見やる。一人が、銀魔剣を腰から下げていた。

 戦利品のつもりだろうか? ……あれを取り返さないといけない。

 だが服がないのはセラに不安を煽る。裸というのは、恥ずかしいというのもあるし、無力感を強いる。ヘタな拘束より行動を奪う。裸に羞恥を覚える年頃を超える人間にとっては。


 ――せめて魔法が使えれば……!


 おそらく、このずっしりと重みを与えてくる手枷のせいだろう。理由はわからないが、魔法やそれに類する力を封じる効果があるようだ。おかげで魔法が使えず、白銀の鎧の召喚すら遮断した。……それがなければ自力で対応したのに!


 身体が震えた。

 じろりと狼人の視線を浴びるたびに、背筋がゾクリと凍る。


 まさか食べてしまうということはないだろうか? 服を脱がされたというのはそういうことでは、と考えがよぎり、思わず頭を振る。

 服を着ていないというだけでここまで恐怖を増幅させる効果があるなんて思いもしなかった。

 セラは狼人から視線を逸らす。


 古びた木造家屋、その内装を見やる。無人になって久しく薄汚れている壁、床、そして家具類。先ほど狼人が木の椅子を潰してしまった。

 外は大雨のようで、時々風がバタバタと窓を叩き、雨音以外、外からは聞こえなかった。

 外には他にも狼人の仲間たちがいるだろうが、いまこの部屋には三人。分散している今、各個撃破し――


 セラは祈るように嘆息した。


 手を封じられた。魔法を使えない。武器もない。これで狼人戦士を三人? 同時になんてほぼ無理。彼らが一人になる可能性は……。

 何らかの奇跡を期待しないと無理な気がした。一人に飛び掛っても何とかできる自信がない。


 ――えっと、ケイタは確か相手の後ろから飛び掛って、首もとを絞めていたような……。


 王都エアリア、ハイムヴァー宮殿からの脱出時、サターナという美女に化けたケイタがやっていた。……人間ならともかく、首もがっちり太い狼人に通用するかしら?


 その時、家の扉が開いた。新たな狼人が雨に濡れながら顔を覗かせたのだ。彼は狼人の言葉だろう、それで部屋の中にいるリーダーらしき狼人と話しているようだった。

 途端に室内の空気が変わった。他の二人の狼人らが、すっと背筋を伸ばし、身構えるような格好になったのだ。


 何か、起きた。


 セラは察した。

 だが何が起きたというのか? 狼人の誘拐団を慌てさせるようなものとは――

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