第109話、追跡


 慧太は沸き立つ感情を抑えるので必死だった。

 ライガネンに連れて行くと約束した。その彼女を連れ去られた。シェイプシフターである自分がついていながら。


 リアナが先導する。狼人の足跡と臭いを辿って――ただその比重は嗅覚のほうに重きを置いている。

 現状、狼人はその持ち味である持久力を活かして距離を稼いでいるだろう。一度距離さえ開いてしまえば、大抵の者は追いつけずに追跡を諦めると、彼らは知っているのだ。


 ゴロゴロ、と天が鳴った。雷の音――ちらと見上げれば曇天が空を覆い、一雨きそうな天候だ。

 厄介だ。

 雨がくれば、臭いも辿るのが難しくなる。雨量によっては追跡は不可能になる恐れがあった。そうなると、セラを助け出す可能性はほぼゼロだ。


 慧太は奥歯を噛み締める。その前に助け出す、必ずだ。


 森は薄暗い。

 すいすい森の中を進むリアナ。狐人の暗殺者は、まるで障害物など存在しないかのように軽々と駆け抜けていく。


 そんな彼女に随伴するのは普通の人間では無理だが、シェイプシフターである慧太は過去、彼女の走行を真似て追走した経験が何度もあった。さすがに回を重ねているだけあって、遅れは最低限である。


「……。……」

「どうした、リアナ!?」


 狐人の少女が、それまで真っ直ぐだった視線を一瞬逸らしたのが見えたのだ。慧太の問いに、リアナは視線を戻した。


「何でもない。……たぶん、陽動」


 リアナは足を速めた。慧太は駆け、邪魔な茂みを跳躍で越える。彼女の斜め右後ろに続き――目の前に木の枝。とっさに手を出して鉄棒の要領で回避、さらに前へ。

 進むことおよそ三十分ほど。先を行くリアナが口を開いた。


「見えた……!」


 狼人の集団、その後ろ姿だ。

 逃がすかよ――慧太は足に力を注ぐ。バネのように、跳ねるように――慧太の身体がグンと加速した。一気にリアナを追い越し、一番後ろを走る狼人の背後に迫る。

 気配に気づき、走りながら振り返った狼人の戦士は驚きに目を見開いた。


 強烈な殺意。


 悪鬼の如き眼光を見た狼人は恐怖に慄き、次の瞬間、その背中を貫かれた。

 狼人の戦士らは、足を止めた。

 追いつかれたから、迎え撃つしかないと判断したのだろう。


 人数は五人。真ん中のやつが肩に大きな麻袋を担いでいる。誘拐した人間を入れているのだろう。――セラはあそこだ。


 慧太は両手に戦斧一本ずつ作り出し握りこむ。両端の狼人が爪付き手甲を振るいながら向かってきた。

 人間のそれとは遥かに速い踏み込み。人間と同じ感覚で臨めば、まず間違いなくその間合いの違いに戸惑い、先手を許すだろう。……そう、経験がなければ。


 慧太はそれ以上の加速をもって、懐に踏み込む。驚いたのは狼人の戦士のほうだ。爪付きの拳より早く、その脳天を斧が穿った。

 もう一人は、慧太の背後に回りこむ。仲間――すでに死体だが――の懐に飛び込まれたために手が出せなかったのだ。


 慧太は後ろは見なかった。頭を叩き切った狼人を力任せにその場に膝をつかせると、前方のセラを抱える狼人へと威圧の眼光を飛ばす。……次はお前だと言わんばかりに。


『行かせるか!』


 背後の狼人が右拳を叩き込むべく構え、突進する。

 だが拳は届かない。慧太が背後を見なかったのは道理。その必要がなかったからだ。

 両手に短刀をそれぞれ抜いたリアナが狼人戦士のその背中を切り裂いた。


 残り三人。セラを抱えた狼人がきびすを返す。残り二人はその場で踏み留まり援護の態勢。


 ――お前らとこれ以上追いかけっこする気はない……!


 慧太は右手の斧が形を変える。手のひらに納まる白球ならぬ黒球。ステップからの右腕の振りかぶり――ボールを投げるように真っ直ぐ、腕を振るッ!


 緩い放物線を描きながら、しかし鋭い送球は、援護役の狼人二人を避け、走り去ろうとする狼人、その足を直撃した。思いがけない衝撃に、狼人は倒れ、肩に担いでいた麻袋を落としてしまう。


 コントロールは健在。無性に野球がしたくなった。一年以上前の、この世界に来る前のことがよぎったのは一瞬。狼人が二人、突進してきた。


 ――ああ、面倒くせ……!


 慧太は手を伸ばした。比喩ではなく、文字通り、伸ばした手は鋭いトゲ――いや槍となって、狼人の胴体を貫いた。


『なっ……!?』


 手が伸びて槍になるなど、ありえないことだ。胴を穿かれた獣人は目を見開き、口から血を吐きながら膝を突く。


『……ば、ばけ、もの……』 

「あ? 何だって」


 怒気のこもった慧太の声。追いついたリアナが言った。


「バケモノだって」

「……ああ、そうだな」


 慧太は淡々とした表情で手をもとの姿に戻すと、黒球を当てられて転んだ狼人のもとへと歩く。


「ケイタは、怒ると表情が消える」

「……そうか?」


 そっけなく応じるも、内心では煮えたぎるようなマグマの如き熱を感じている。……よくもセラをさらってくれたもんだ。

 最後に残った狼人の戦士は腰を抜かしていた。ガクガクと震え、慧太を恐れのこもった目で見ている。

 そして唐突に顔を上げ、天に向かって――


 すっと、リアナの右手の短刀『光牙』が、その狼人の喉を裂いた。声は出ず、もがき苦しみながら狼人は絶命した。


「……お前もわりと容赦ないよなリアナ。まあ、前から知ってたけど」

「こいつ、仲間を呼ぼうとした」


 リアナは短刀についた血を掃いながら言った。


 天を見上げる仕草――ああ、遠吠えか、と慧太は納得した。

 そのまま麻袋――セラが放り込まれているそれに歩を向ける。

 まったく動きがないのは、袋の中で意識を失っているせいか。慧太は袋の口を縛る縄を解きながら、違和感をおぼえる。なんか、人が入っているって感じがしない……!


「くそっ!」

 麻袋の中身は、セラではなかった。セラの着ていた服と枝と土。


「……やられた」


 リアナが珍しく唇を噛み締めた。


「あの足跡、陽動じゃなかった……」


 セラの匂いを追っていた。狐人のリアナが追手にいることを知っている狼人の誘拐団は、彼女が身に付けていた服を脱がし、囮に使ったのだ。リアナが途中気をとられ、しかしフェイクと見た痕跡が、本当の逃走ルート。


「ごめん、ケイタ」

「……連中は、リアナが追跡しているとふんでた」


 慧太はセラの普段身に付けていた服をとる。土を払いながら、すっと匂いを嗅ぐ。


「そうでなければ、服を囮に使いなんてしない」


 今、セラは身ぐるみはがされて素っ裸――慧太の内心は深い苛立ちがこみ上げる。


「戻るぞ。連中の跡を追う」

「……」


 面目なさげに俯く狐娘の肩を、慧太はポンと叩く。


「まだ取り戻せる。頼りにしてるぞ」

「うん……」


 リアナは眦を決した。

 慧太はセラの服をポーチにしまい込み――若干身体の中に埋まる形だが――歩き出そうとして、ぽつり、と頬に水滴が当たった。

 黒雲が立ち込めていた。あたりはまだまだ夕暮れ前にも関わらず暗い。

 見上げたリアナは呟いた。


「雨……」


 ぽつぽつと降り始めた雨は、途端に夕立もかくやの激しさを伴った。

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