第108話、ヴォラール


 銀髪の娘――名をセラフィナ・アルゲナムと言う。


 それが今回の標的だ。

 狼人ヴォール傭兵団『ヴォラール』のリーダーであるラドローは、左肩に担いだ人間の少女を見やる。捕虜とした娘のその両手には、依頼者から渡された魔封じの手枷――四角い金属板に手を入れる穴が二つ開いている――がかけてある。 

 いざ、目を覚まされて反撃されても、魔法が使えないのであれば小娘一人黙らせるのは楽勝だ。一発殴ってお休みよ……。


 ――おっと、顔は殴っちゃいけないんだっけか。


 ラドローは、依頼人とのやりとりを思い出して、心の中で呟いた。



 ・ ・ ・



「そう、人間のお姫様だ」


 漆黒のフードローブをまとった小柄な少年は告げた。

 顔は見えない。ただその声音は成人のものとは異なる。

 多数の狼人らに取り囲まれている状況にも、まったく動じることもなく、その声はむしろ獣人を嘲るようなニュアンスさえ感じた。

 依頼者でなければ、ひん剥いて奴隷商に売り飛ばしてやろうか――おそらく、そう思ったのはラドロー以外にもいただろう。

 だが団長はもちろん、部下らは手を出さないし口も出さなかった。


 何故なら、この漆黒のフードローブは、とある邪教集団の正装であり、その使者ともなると並みの魔法使いではないということを皆が承知していたからだ。


 魔法使い。

 獣人の中には天敵視するほど、苦手としている種族や者がいる。狼人もどちらかと言えば、魔法は苦手な種族だ。……敵視している狐人が多少魔法に心得がある分、余計に。


「とても綺麗な人なんだ。……間違っても犯したらダメだよ?」

「俺らが人間ヒュージャンと性的行為をするとでも?」


 不本意だと言外ににじませるが、フードの奥で少年の口もとが嫌な笑みへと変わる。


「君たちは、犬種族とも、天敵である狐種族ともヤるって聞いたよ? 地方じゃ人間の娘だって犯したとか」

「そういう一部の異常者クレイジーサイコと、一緒にされるのは不快きわまるな」


ふふ、と少年は笑った。


「君たちが、正常な思考で仕事に掛かってくれるのを期待するよ。……報酬はいつもの三倍」


 ヒュー、と思わずラドローは口笛を吹いた。


「お姫様だからか?」


 人間のお姫様と言っても、多少偉いのだろう程度で、人間ほどその価値について深くはしらない。

 フードの少年は、チッチッチ、と舌を打ちながら指を振った。


「それもあるけど、護衛についている連中が手ごわいと思うんだ。……いまわかっている護衛の数は四人。うち一人は、君たちが大嫌いなフェネックだよ」

「フェネック! ……狐野郎がいるのか」


 ラドローはあからさまに悪態をついた。部下たちも同じく不満げな声を上げる。


「そいつは厄介だな」


 普段以上に用心重ねないと待ち伏せが看破されるかも知れない。ボンクラな人間と違い、獣人が一人ついているだけで、その警戒度は跳ね上がるのだ。


「そのあたりは君たちの仕事だ。上手くやってくれればボクらは何も言わないよ」


 興味なさげに少年は言うのである。


「ただ偽物とはいえツヴィクルーク倒しちゃうような奴らだから、腕はいい」

「つヴぃくるーく……? 何だそれは?」


 ラドローは聞いたが、少年は背中を向けた。


「まあ、魔物の類だよ。知らないなら別にいい」


 少年は振り返ると、すっとローブの裾から、黒い金属板を出した。


「何だそれは?」

「ボクらが使っている魔封じの枷だよ。アルゲナムのお姫様は魔法を使うからね。君たちが彼女を運んでいる最中に暴れられたら都合が悪いだろう?」

「そりゃありがたい。……傷つけて商品の価値を下げたくないからな」


 ラドローは少年から、枷を受け取った。

 不思議な光沢のある金属でできている。何やら重そうに渡されたが、ラドロー自身はそれ自体にあまり重量を感じなかった。


「そういや、狐で思い出したが、この前捕まえた奴は連れていかないのか?」

「この前?」

「あんたとこのお仲間だろう? 狐を誘拐してこいって依頼したやつ」

「それはボクの与り知らないことだ」


 少年は、どうでもよさそうに言った。


「そのうち、依頼した者が君たちのもとに引き取りにいくだろう」

「そんなもんなのかね」


 ラドローは首を捻るが、少年はさっさと歩き出した。


「それじゃ、頼んだよ。ボクらにとっても大事な人だから、くれぐれも乱暴に扱わないように」

「ああ、任せておけ」


 ラドローは犬歯を覗かせ不敵な笑みを浮かべた。


「俺たち狼人の脚力に喰らいつけるやつなど、早々いねえからな」



 ・ ・ ・



 一度走り出したら、逃げ切る自信がある。

 これは何もラドローだけの認識ではない。多くの狼人が自負していることだ。

 彼ら狼人は非常にタフな種族だ。足の速さ自体は他にも優れている種族がいるが、先祖である狼の脚力を色濃く受け継いでいるヴォールは、持久力において他の追随ついずいを許さない。


 何せ軽装であるなら、半日以上ノンストップで走り続けることができるだ。もちろん、全速力で走れば、一時間程度が限界ではあるのだが、それでも地上を走る獣で、そこまでの時間を全力で走って追いつけるものは滅多にない。


 とりあえず、標的であるお姫様は確保した。

 だがラドローに高揚感はまるでない。

 狐人がいると聞き、用心を重ねたにも関わらず、こちらは六名を失い、足をやられた仲間を背負って二人が別ルートで離脱した。

 いまだかつて、誘拐時にこれほどの損害を受けたことはない。


 依頼人から敵は手ごわいと聞いていたから、標的全員に睡眠薬を塗った吹矢を用いた。

 さらに誘拐担当と、それを援護する役、足止め役など入念に準備を重ねた。……ここまで作戦練ったのだから、損害なく切り抜ける気満々だったのだが。


 ――そうでなければ、失敗したということか……。


 しくじたる思いだ。自信から来る油断、慢心。部下の喪失がリーダーたるラドローを歯噛みさせる。


 ――つか、あいつら何なんだ!? 睡眠薬喰らって寝たのはお姫さん一人って!


 馬車に乗っていた魔法使いらしき青髪のやつは動きを封じたが眠るまではいかず、赤毛の修道女と黒髪の戦士は被弾したにも関わらずぴんぴんしてやがった。


 ――それに、あの狐ぇ……!


 あろうことか、吹矢を察知して避けやがった。あの狐娘、同族の中でも極めて戦闘に特化しているのだろう。

 いかに気配察知に優れるフェネックでも、吹矢を三発――追跡された際、一番厄介だとわかっているのでお姫様に次ぐ重要標的だった――撃たれたら一、二発は当たったはずだ。


 全部避けるとか……。


 煙幕と同時に、嗅覚麻痺用の粉塵を混ぜてなければ、即行で追跡されていた。

 ここまでやらなくても、という意見はあった。何せ破裂したら臭いからだ。だが結果的にそれが功を奏した形だ。


 まったく――


 時間は稼いだが、まだまだ安全圏ではない。

 特に狐人はそこそこ持久力がある上に、足の速さも狼人に劣らない。跳躍力に優れるため、障害物の多い地形では逆にこちらが不利だ。……しかもあの娘、かなり軽そうだ。嗅覚、聴覚まで動員されると振り切るのは困難。つくづく眠らせられなかったのが痛い。


「ボス!」


 すぐ後ろを走る部下が、ラドローのすぐ横にきた。


「オクルゥの『遠吠え』が……」


 ラドローは舌打ちすると同時に、耳をすませる。遠方より狼の――正確には狼人の遠吠えが聞こえてきた。


「……もう追跡に入りやがったか」


 見張り役の部下からの報せ。傍らを追走する狼人は耳をそばだてる。


「二人、ですな」

「例の狐は確実にいるだろうな」


 ラドローは『止まれ』と小さく吠えた。部下たちは、リーダーのまわりで足を止めた。

 その時、肩に担いでいた銀髪の娘が動いた。


「ちっ、目を覚ましやがったか」

「ここは……はっ!?」


 狼人に囲まれていることに気づき、動こうとするも腰をがっちり掴まれていてはジタバタするしかない。手に手枷をかけられていることに気づき、お姫様はさらに表情を引きつらせた。


「悪いがお姫さんよぉ……」


 ラドローは、そっと銀髪の少女を下ろした。地面に足がつき、しかも丁寧に下ろされたことで、セラはキョトンとしながらその場に大人しく立った。

 次の瞬間、ラドローは少女の胴体に拳を打ち込んだ。状況のわからないままの不意打ち。セラは再び意識を失い、ガクリと崩れ落ち……ラドローに支えられた。


「袋もってこい。こいつを入れる」


 リーダーの指示に、部下が大きな麻袋を開く。ラドローは言った。


「枷をはずせ。……ついでに、服を脱がせろ」

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