第107話、ウルフパック
街道に置かれた死体は、言ってしまえば『トラップ』だ。
通行を妨げる障害物であるが、大抵の人間は人が倒れていると止まる。それは一人ないし二人、少人数であればあるほど顕著だ。……不思議なことに、人数が多いほど無視する確率が上がる。
別の場所で殺した遺体を街道上に放置し、通りかかった人間がそれを確認した時が、『彼ら』の襲撃開始の合図だった。
東西に走る街道。北に面した森に潜んでいた者たちが、先手を取って飛び出す。
不意を突かれた標的たちは、注意をそちらに引かれる。……その瞬間、反対側である南側の森に潜んでいた者たちは、背中を向けた標的らに睡眠薬を塗った吹矢を飛ばす。
標的らが気づいた時には、すでに吹矢が刺さり、身体の自由を奪われる。
・ ・ ・
首筋にちくりとした刺激が走る。
蜂に刺されたような、そんな痛みを感じたのは一瞬のこと。振り返った慧太は、南側の茂みから、筒のようなものが顔を覗かせているのに気づいた。
痛みが走った箇所に手を当て、刺さっていたものを引き抜く。
吹矢の矢だ――それを確認した時、ばたり、と隣でセラが倒れた。
どうやら彼女も吹矢を喰らっったようだ。
――睡眠薬の
慧太は刹那の間に走った身体の重さを、薬のそれと察知する。ついでにシェイプシフターの身体で止まっている睡眠薬に冒された部分を指でつまみ千切ると投げ捨ていた。
北側で姿を現したのは狼人――例の誘拐団だろう。
だがそちらにはリアナが弓矢で反撃に出ていた。馬車の上から射撃する彼女は、早くも二人目の狼人戦士の脳天を貫き、倒す。
慧太は南側の敵に備える。
視線を向けた時、そちらの茂みに潜んでいた狼人らが飛び出してきた。人間に比べて筋肉が盛り上がりマッチョな体格。その狂暴そうな狼顔のせいで、見た目から恐れられる種族の一つだ。
慧太は両手にダガーを握り迎え撃つ。――三……五人か。
「アスモディア! セラを回収しろ!」
まさか睡眠矢を喰らって反撃してくるとは思わず、狼人らは一瞬うろたえる。
そのわずかな反応の隙をつくように、慧太は獣人の間を瞬く間に駆け抜けた。
飛び散る鮮血。つやのない漆黒の刀身が、狼人の首を切りつけ、二人を倒した。
――次……!
傍らを抜けようとする狼人。姿勢を低く突進するは、倒れているセラ。――彼女をさらおうと言うのか。させるかよ!
ちっ――と慧太の右耳が、舌打ちような音を拾った。
手甲をつけた狼人の戦士が、慧太を正面に見ていた。セラに迫る敵を狙えば、横合いを突いてくる構えか。
だがその狼人は手に握っていたものを投擲してきた。ナイフ、手裏剣……いや、石?
慧太はとっさに右手で庇ったが、それが当たった瞬間、小さく破裂し大量の黒煙を吐き出した。
「煙幕かよっ!?」
ということは――その煙が視界を遮る前、セラへと突っ込んで行った狼人が、倒れている彼女を抱え上げて……。
「逃がすと思って?」
アスモディアの声。
「走れ、
火が地面の上を走る。それはセラを抱え上げた狼人の足付近に追いすがり――
バッと、その狼人はセラの身体を放り投げた。
宙を舞った銀髪のお姫様だが、黒煙にまぎれて接近した別の狼人にキャッチされ、そのまま運ばれる。
まるで、走りながら併走する選手にパスをするラグビーを見ているかのような手並み。獣人らの連携が鮮やか過ぎた。
狼人らのチームワークは有名だが、それをまざまざと見せ付けられる。
意識を失っているセラを担いで走る狼人。……だがそうは問屋が許さない。飛来した矢が自慢の足を貫いたのだ。
リアナだ。彼女の正確無比な矢を喰らい転倒。ついでにセラの身体も地面に転がる。
だが北側から現れた狼人らが煙幕弾を放りつつ、一度は阻止した誘拐を継続した。セラの身体を抱え上げて――
「だから、逃がすかよっ!」
慧太は追いついた。狼人の顔に動揺が走る。そいつにダガーを振り上げ――
ドス、ドス、と慧太の身体を何かが突き刺さった。
――あ……?
短めの矢が三本、胴に突き刺さっていた。クロスボウ――見れば、北側の森の木の陰に石弓を構えていた狼人の戦士らがいる。
それがいけなかった。シェイプシフターである慧太自身、矢は致命傷どころか傷ですらないが、それで注意が逸れてしまった。
セラへと視線を戻した時、彼女を抱えていた狼人がその太い腕を右腕を横薙ぎに払い、慧太の腹部に一撃を見舞ったのだ。
「……くそっ!」
痛み云々ではなく、弾き飛ばされたことが慧太に悪態をつかせた。
転倒。届きかけた手が遠のく。
セラを抱える狼獣人が、口笛らしきものを吹いた。
何らかの合図。同時に他の狼戦士らが一斉に煙幕弾を破裂させた。あたりは、たちまち視界不良。
明らかに離脱行動だ。
慧太は起き上がり、連中が引き上げた方向へと走る。一刻も早く黒煙を向けて、セラを見失わないように――
突然、視界に茂みが現れ、慧太はそれに引っかかってしまう。
やられた――煙幕対策でさっさと煙を抜ける傾向にある慧太は、周囲の地形を失念していた。煙で覆われた中、森の木々が見えない壁となるため、迂闊に進めないのだ。
まんまとセラをさらわれてしまった。
誘拐団の噂を聞いていて、用心はしていたのだが、いざ目の当たりにすると連中の用意周到さと連携に終始後手になった。
――だが、このままじゃ終わらねえぞ……。
煙幕晴れたら、追跡開始だ。
慧太の内心は熱く滾っていた。
普通の人間なら、獣人に仲間を誘拐されたら取り戻すのは困難だろうが、こちとら追跡のスペシャリストの
煙が風に流れる中、慧太は追跡に備え、馬車のある街道に戻る。……そういえば、何だこのツンと来る臭気は?
慧太は漂っている匂いに眉をひそめる。そして耳に、咽ている声が聞こえた。煙を思い切り吸い込んだのか。アスモディアか……と思っていたら、意外なことにリアナだった。
彼女にしては珍しいな、と慧太が向かえば、彼女は何故か木の上に避難した上で、咽ていたのだ。
「……ッ! なんてこった!」
慧太は自然を鼻に手をやった。
ツンと来る臭いが原因だ。煙幕弾に混ぜたか、あるいは別に破裂させたかわからないが、この臭いが鋭敏な獣人の嗅覚を一時的に不能に追いやったのだ。
――おいおい、何だよ。ちょっと、用意周到過ぎやしねえか……?
まるでこちらに獣人がいることを織り込み済みのような対応だ。
完全に流れた煙、慧太は仲間たちを見やる。
ユウラは馬車の上、吹矢が刺さったのか首もとを押さえているが意識はある。リアナは木の上、アスモディアは馬車の前で赤槍を手に立っている。
慧太は思わず天を仰いだ。
――どういう理由かは知らないが、連中、最初から
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