第101話、かくて零時の鐘がなる


 息を切らせながらアーミラ姫が、セラが部屋にいないことを告げる。


 何とも悪いタイミングだった。これから脱出しようという最中に、呼び止められるなんて。

 サターナという姫を演じる慧太。その傍にいるフードを被った役人――その中身が、アーミラを探すセラその人なのだから。


「セラが、いない……?」


 慧太サターナは扇子で口もとを隠しながら、怪訝な表情を作って見せた。


「どういうことかしら?」

「あの、王都を離れることになりまして、セラフィナ姉様にご挨拶をと思い、部屋を訪ねたのですが……いらっしゃらなくて」


 王都を離れる――サターナはちらと役人セラを見たが、無論彼女も初耳だった。


「しかも兵が縛られていて……これは何か大変なことがあったのではと――」

「とりあえず、落ち着いて。……呼吸を整えなさい」


 あまり走らないだろう幼い姫が肩で息をしているのを見やり、サターナは言うのである。


「王都を離れるとは? 外は危険ではなくて?」


 話を摩り替えるべく、疑問に思っていたことをついでに聞いてみる。アーミラ姫の侍女が追いつく中、彼女は言った。


「エアリアは戦場になります。父上はここで籠城する構えですが、戦えない女子供は戦闘になる前に王都から避難するようにと――」


 完全に包囲される前なら、まだ離脱の余地がある、という思考だろう。

 だが、果たしてそうだろうか、と慧太は考える。

 アスモディア曰く、敵将は、攻城戦より野戦を好むベルゼ。その兵力の中心は騎兵だ。追手がかかれば、まず、逃げ切れない。


 オルター王は長期の籠城を睨んでいるのだろう。その間に各地方からの援軍を待つ構えだ。

 女子供とて手伝えることはあるが、避難させるのは長期間の籠城に備えて食い扶持を減らす算段と見るべきか。外部からの補給が見込めない籠城の末期とは飢餓との戦いとなるのだから。


「そんなことより、サターナ様――」

「ん?」


 慧太サターナは我に返る。アーミラ姫は切実な口調で言った。


「セラフィナ姉様をご存知ありませんか!? もしかして、さらわれてしまったのでは――」

「何故、セラを探すの?」


 サターナは問うた。


「彼女も王都から避難させる組なのかしら……?」


 もしそうなら、波風立てずに王都から出ることができる。いや、見張り兵を昏倒させた時点でそれは無理かもしれない。すでに脱出計画は進行中だが答え次第では柔軟に対応するつもりだった。


「いえ……セラフィナ姉様とご一緒できないと伺いまして、それならばと、せめてお声をおかけしたいと思い……」

「セラを、まだここに留めておくつもりなの?」


 サターナの目は冷淡だった。

 婚約発表したから、もう彼女はリッケンシルト国のモノとでも言うのか? 死んだ王子の命令を後生大事にして、セラを軟禁し続けるつもりか。オルター王はそこまで気が回らないほど血迷っているのだろうか。


「あの、サターナ様……?」


 怖い顔をしていたのだろう、アーミラ姫は怯えた顔になった。……彼女に罪はない。サターナは顔を背けた。


「ごめんなさい。あなたは何も悪くないわ。セラがどこにいるのかは私も知らないわ。お父上に確認なさい」

「はい……わかりました」


 中庭が騒がしくなっていた。セラが部屋にいなかったことで、兵たちが捜索を始めているのだろう。長居するのは危険だ。


「さ、行くわよ」


 サターナは傍らの役人――に変装するセラに声をかける。だが彼女はフードの奥で何か言いたげな表情を浮かべていた。


「あの、サターナ様」


 去ろうとする二人に、アーミラが声をかけた。


「あなた様も避難され――」


 同時に振り返ったのがいけなかった。サターナの隣のセラ――その目と、アーミラ姫の目が合った。……合ってしまった。


「セラフィナ姉様!?」

「え、いや……」


 慌てて顔を逸らすセラだが、もはやフードは何の役にも立たなかった。


「どうして、セラフィナ姉様、そんな格好を――?」


 バレた――慧太サターナは天を仰ぎたい気分だったが、しかし表情は逆に妖艶な笑みを形作った。


「それはね……こういうことよ!」

「!?」


 ばっと、漆黒の美姫は、セラのフードを払った。

 吃驚したのはセラだ。露になる銀髪。何が起きたか分からず硬直した彼女の身体に手を回し、サターナは抱き上げた。――お姫様を文字通りお姫様抱っこする。


「それじゃあね、アーミラ。あなたも早く王都から脱出なさい!」


 セラを抱えて踵を返し、サターナは駆けた。


「待ってくださいっ!」


 警備兵! と侍女が叫んだ。

 歩廊に姫君らがいたので、兵たちは注目していたのだろう。サターナの正面から兵が駆けてくる。取り押さえるつもりだろう。……サターナは思わず舌で唇を舐めた。

 防壁東側。その端の狭間の上に飛び乗る。

 強い風が吹いて、煽られれば転落の恐れがある位置だ。兵は近くまで迫ったものの、そこで止まった。


「あ、あのサターナ?」


 抱き上げられてる格好のセラが赤面しながら、サターナの顔を見上げれば――


「跳ぶわよ」

「え、あ――」


 ふわりと、一瞬舞ったような気がした。だがすぐに二人の身体は落下し、その下にあった馬車の上にドスリと落ちた。


「お待たせ!」


 サターナの声に「待ちました」と返したのは黒い頭巾を被り、顔を隠したユウラだった。他に漆黒の外套をまとったその姿は、砂漠の民あたりに居そうな格好だ。

 セラは目を疑う。そこには真っ黒な馬が二頭、そして馬車。サターナとセラはその屋根の上に着地したのだ。


「アルフォンソ!」


 ユウラの声に弾かれ、馬が走り出す。驚いている間に馬車の屋根が沈みこみ、床と同化、オープンタイプの馬車へと様変わりする。この馬車全体がアルフォンソ――シェイプシフターなのだ。


「あーら、お姫様がお姫様を抱っこ?」


 黒頭巾を被っているアスモディアが茶化す。セラは真っ赤になりながら反論しようとしたら、サターナにその身体を下ろされた。


 馬車アルフォンソは、王都東南東方向を走る小道を駆け抜ける。

 針路上には、木材でこしらえられたバリケードが、幾重にも立ちふさがっていた。

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