第96話、疾風迅雷のベルゼ
「乱暴な言動、好戦的で大雑把。大変な悪食で、できれば彼女の隣で食事はしたくないものです」
アスモディアによるベルゼ評は、『美人である』点を除けば、散々なものだった。
リッケンシルト国に侵攻を開始したレリエンディール軍。
その進軍速度は驚嘆すべきものがあった。
国境を突破してわずか五日で王都エアリア西側にあるヴィーゼル城まで迫ったのだ。
当然ながら国境を守るリッケンシルト軍守備隊を撃破し、道すがらの拠点や集落をすべて突破してきたことを意味する。
それは徒歩や騎馬に頼る現状からすれば、驚愕のスピードだ。
拠点とぶつかれば、当然防衛戦力と衝突することになり、その攻略には時間がかかるものと相場が決まっている。守りが堅い城や砦とあればなおのことだ。
かといって、拠点を迂回すれば今度は背後から逆襲を食らい兼ねないため無視もできない。
結果、拠点をひとつひとつ潰していく行為は、相当な日数を消費するのだ。
だが、魔人軍は――ありえない速度で王都付近まで進軍していた。
「よほど数で圧倒しているのだろうか?」
子狐姿の慧太が言えば、ユウラは首を捻った。
「あるいは優れた攻城兵器を有しているとか?」
それに対して、元レリエンディール軍の将であるアスモディアは首を横に振った。
「よほどの新兵器でも開発されれば可能性はありますが、そのような話はわたくしは存じておりません。それにベルゼの指揮する部隊であるのなら、この進軍スピードのわけもある程度頷けます」
彼女は机の地図の上を、予想進軍ルートに沿ってなぞってみせる。
「まず、ベルゼ軍は速度と打撃力に優れております。ただしここで言う打撃力とは、平原上での戦闘においてであり、攻城戦の類ではありません。……要するに、彼女は野戦が得意である一方、攻城戦はそれほどではない」
「だがアスモディア。現にベルゼ軍はリッケンシルトの拠点を潰して王都へ進撃しているんじゃないか?」
机の上の
「違うわよ、ケイタ。おそらく彼女は村などは攻め滅ぼしているでしょうけど、城や砦は迂回しているわ」
「迂回? でもそれだと――」
拠点を守るリッケンシルトの軍隊に退路を断たれることになる。
さらに王都寄りの拠点との間に挟み撃ちにされる危険性もあるし、何より軍の後方を進んでいるだろう補給部隊が狙われる恐れもある。
食糧、武具などを運ぶそれらが叩かれれば、進撃速度の大幅な低下をきたす。
「……ケイタ、それは『人間の軍隊』の話。魔人の軍隊でもある程度当てはまるけれど、必ずしも、そうではないこともあるのよ」
アスモディアの伸ばした手、その細い指先が、
「特にベルゼ軍は規模に対して補給部隊が極端に小さい傾向にある。いえ、よりはっきり言うなら、補給部隊を必要としていない」
「必要としていない?」
「彼女とその軍勢は、基本的に現地調達なのよ。これはいちいち補給を待っていられないというベルゼ自身の性格にも起因するのだけれど」
「現地調達……略奪ですか」
ユウラは淡々と言った。
戦争において、古くより起こる略奪行為。
戦利品という面もあれば、必要物資の調達を兼ねていたりする。
特に町や村などは、軍に参加する傭兵部隊などのならず者によって襲われることがしばしばあった。傭兵がアウトローとして、一般の評価が低いのはそれも影響している。
「それを堂々とやる軍隊、ということですか」
「人間と魔人は元より敵対関係にあります」
アスモディアを指先で慧太を弄びながら言った。
「魔人でもベルゼ軍はその傾向が強いですが、逆に人間の軍でも魔人領なら平気で略奪する者どももおりましょう」
お互い様です。彼女はきっぱりと言い放った。
慧太自身、日本に居た頃、勉強した記憶があった。
「ベルゼ軍を構成するのは、持久力に優れた魔人、魔物の兵です。彼らは食糧がなくとも数日間、走る続けることができます」
「行軍速度の速さはそれか」
慧太は前足でアスモディアの指先を白羽取り、くすぐり攻撃を阻止する。
「でも数日間ってことは、腹はすくんだろ? その時メシがなかったら――」
「そこで彼らは集落や拠点外の敵部隊を襲うのよ。つまり、彼らは『人間』を食糧にして腹を満たしているの」
「……え?」
聞き違いかと思った。慧太はキョトンとしてしまう。
「もちろん、集落では家畜などを略奪しますし、人間が持っている食料も自分たちの補給に利用しますが」
「なるほど。それなら、確かに食糧面での補給はいりませんね」
ユウラは机に肘をつき手を組んだ。
「ベルゼは戦闘するだろう敵から食糧を得ることで、糧食の負担を大幅に軽減したわけですね。確かにこれなら後続の補給を待つこともない。一石二鳥というわけですか」
「単に補給を管理するのが面倒なのと、部下が血に飢えた肉食野郎ばかりだからです」
真顔でアスモディアは元同僚を切り捨てた。
「ともあれ、ベルゼ軍は防備の固い拠点は回避、迂回します。もしベルゼ軍の後方を突こうと敵が拠点から出てくれば、むしろ思う壺。ベルゼ軍は速やかに反転、得意の野戦に持ち込むことでしょう」
「……気のせいかな」
慧太は小首を傾げた。
「何か、ベルゼって奴は相当頭がいいんじゃないかな? 苦手な攻城戦を挑まず、得意な野戦に相手を誘い出して叩くってんだろ……」
「シンプルゆえの強さ、というのは感じますね」
ユウラが同意した。しかしアスモディアは頑なだった。
「結果的にそう見えるだけです。彼女は、そこまで頭が回っていません。何せ『結果よければそれでいいじゃねーか!』なんてのたまう女ですよ」
アスモディアが豊かな胸を持ち上げるように腕を組んだ。
「わたくしの立てる作戦とは、ことごとく相性が悪い。思いつきで行動しているから、時々余計なことをしでかす。……根が馬鹿なので、簡単に誘導に引っかかりますしね」
どうやら過去に、彼女はベルゼと作戦面で幾度となく衝突していたようだ。慧太は顔を上げてユウラを見れば、彼もまた頷いた。
「色々隙はありそうですね。特に彼女を知るあなたがいれば」
「……わたくしに、レリエンディールと戦えと、おっしゃいますか?」
アスモディアは背筋を伸ばして、ユウラに問うた。
ユウラの召喚奴隷となっている彼女だが、レリエンディールは故郷であり、魔人は同僚。それに直接敵対するのは、今まではなかった。
だが、これからは違う。ユウラは穏やかな表情ながら、どこか威圧するような空気をまとう。
「あなたの主人は誰ですか、アスモディア」
「……貴方です、マスター」
「では、わかりますね?」
「はい。すべては貴方様の仰せのままに」
席を立ち、その傍らで膝をついて頭を下げる女魔人。主人と奴隷――というより、王とその配下の騎士のような雰囲気だった。
――時々、こういう得体の知れない雰囲気があるんだよなぁ、ユウラは。
慧太は思ったが黙っていた。
改めて地図に視線を落とす。地図上にちょこんと座る
守りの堅い拠点を迂回する敵――ヴィーゼル城は堅固な要塞。……ヴィーゼル城へ援軍へと移動するリーベル王子軍。
「……!?」
それはつまり――慧太はゾクリと背筋が凍った。
ベルゼ軍は、ヴィーゼル城ではなく、平地を移動する王子率いる軍勢の傍にすでに迫っているのではないか、と。
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