第97話、魔騎兵の行進


 王都を出て半日。

 リーベル王子率いるリッケンシルト軍は、王都南西に広がる丘陵地帯にあった。ヴィーゼル城へと通じる西の街道を行軍隊形で移動する。


 先導するは騎兵五十騎からなる前哨部隊。

 王子とその親衛隊二百名が続き、その後方には五列に並ぶ百八十騎の騎兵、さらにおよそ千人の歩兵が後続する。最後尾には食糧を満載した補給の荷駄隊が列を成していた。


 リーベル王子は白馬に跨り、幾重にも連なっている丘陵地帯、その遠くを眺める。

 ヴィーゼル城での攻防――よりも、愛しいセラフィナ姫のことが脳裏をよぎっている。

 光に反射して輝いて見える銀色の髪、幼さと凛とした表情を併せ持つ美しき姫。あの物憂げな青い瞳は、思い出しただけでリーベル王子の胸を締め付けた。


 彼女のために。


 命を懸けて戦うのに、なんの躊躇いもない。

 彼女が喜んでくれるなら、その笑顔を取り戻せるなら。……自分を愛してくれるなら。


「王子殿下」


 リーベルの白馬に、ロウト将軍の操る馬が寄ってきた。顎が四角く、立派な八の字髭を生やした初老の将軍は、しかし穏やかな声を発する。


「先はまだ長うございます。しばし、休息されては」

「ヴィーゼル城は、もう魔人どもと戦っているかもしれんぞ」


 敵の驚異的な行軍速度を考えると、ありえると王子は考える。それならば、一刻も早く到着することが望ましい。


「しかし、無理な行軍をされては、肝心のいくさで能力を発揮できなくなりますぞ」


 ロウト将軍は声こそ穏やかだが、戦場を幾度も駆けた猛者である。リッケンシルト国における軍部の最高位にいる人物の言は、王族といえど無視はできなかった。


「どの道、本日中にヴィーゼル城へ着きません。魔人軍がいかに迅速であろうと、連中に合わせることはありますまい」

「それもそうだが……」

「馬車がございます。休憩なされては――」


 リーベルは馬術をたしなんではいるが、長時間の行軍の経験はさほどない。ロウト将軍は我らが王子に気を使う。


「うむ」


 凛々しい顔だちの王子は頷くと、薄曇りの空を見上げた。


「……」

「いかがなされました、殿下?」

「いや……何でもない」


 気を抜くと、愛しい姫の顔ばかりが浮かび、苦笑してしまうのだった。



 ・ ・ ・



 緑一色の丘陵地帯に風が吹く。それは北寄りの風。

 西へと走る街道が一本。それ以外は無数の丘が波打っており、反対側に何があるのか遠くからは見通せない。……丘のてっぺんに登らない限りは。


「……連中、まだこっちに気づいていないぞ」


 それは女の声。力強く、自身に満ち溢れたその声の主は、丘の頂上から顔だけ覗かせて、街道上を見やる。


 短めの黒髪、その毛先は無造作で、どこか獅子めいて見える。

 顔立ちは整っており美女なのだが、つり目で攻撃的な雰囲気をまとっている。耳は人間とは異なる動物のそれ。

 赤と黒の衣装は、上はその豊かな胸で盛り上がり、引き締まった腰周りを経由し、下はスリット入りと、活発さと妖艶さをかもし出していた。


 レリエンディール七大貴族シヴューニャ家の出身、ベルゼ・シヴューニャ。それが彼女の名前である。


「本当に、人間ってのは劣等種だよなぁ。自ら獣の顎に飛び込んでいるのも気づかねえなんてさ。なあ、ガルス・ガー?」


「左様ですなぁ、姫君」


 ガルス・ガーと呼ばれた赤顔の鬼型魔人は、渋くそして低い声で答えた。


 身長にすると百六十センチテグルとさほど高くはないが、彼は獅子とトカゲを掛け合わせたような四足の魔獣の背に乗っていた。手にしているのは三メートルミータほどの黒い騎兵槍。


「我らに比べて人間は嗅覚、聴覚などが大幅に劣っておりますからな。戦(いくさ)ともなれば我ら魔人が圧倒的に有利」

「ノロマな人間ども」


 ベルゼは嘲笑を貼り付けた。


「行軍隊形でのんびり散歩してやがるぜ。あたしらが、すぐそこにいるとも知らずによぉ」


 見た目の麗しさに反して、口調は乱暴である。


「王都はもうすぐだ。その前に腹ごしらえと行くかァ?」

「兵どもも喜びます」


 ガルス・ガーは不敵な笑みを浮かべて振り返った。街道からは見えない丘の斜面に、同族の赤顔魔人らとそれらが騎乗している魔物の集団が待機している。


「よし、野郎ども、狩りの時間だァ!」


 ベルゼは、自らも四足魔獣に飛び乗ると、腰から下げる細剣を抜いた。


「顎を閉じるぞ! ベルゼ連隊、前進!」


 指揮官の指示に、狼型魔人が天に向かって『遠吠え』を発した。

 その数四回。

 魔人騎兵が乗る四足魔獣らは、のっそりと歩行をはじめ、丘の裏側で横陣へと広がっていく。

 丘の頂上にそれらが顔を出した時、魔人騎兵の一団は突撃隊形を形成していた。


「第一大隊……」


 ベルゼは手にした細剣を空へと掲げ、攻撃目標である王子軍へ振り下ろした。


「突撃にぃぃ、移れぇぇぇーっ!!」


 四足魔獣ゴルドル、それに跨る魔人騎兵隊が駆け出した。地を蹴り、丘の斜面を降り、街道上へと突進を開始する。

 同時に、ベルゼ隊の反対側に潜伏していた魔人騎兵部隊もまた突撃を開始した。



 ・ ・ ・



「て、敵襲! 敵襲ッ!」


 悲鳴じみた声が、リーベル王子の耳に届いた時、すでに丘を駆け下る魔獣騎兵の集団の姿が見えていた。

 行軍中の王子軍は、すっかり虚をつかれた。


 敵はヴィーゼル城の前ではなかったのか。


 堅固な同城がわずか一日程度で突破されることはないと思い込んでいた。……実際、突破されたわけではないのだが、もちろんそれをリッケンシルト軍の兵たちが知るはずがない。


 いるはずのない魔人軍の、しかもはじめて見る魔獣とそれに騎乗する『騎兵』の姿にすっかり動転した。


 所詮、魔人など獣の集団。せいぜい歩兵や弓兵を中心にした歩兵部隊が相手と思っていたところに『騎兵』をぶつけられては混乱するのも無理はなかった。


 予想外の兵種、想定外のタイミングでの襲撃、行軍陣形というおよそ戦闘に向かないその隊形と、王子軍は完全に遅れをとった。


 高速の敵騎兵は、リッケンシルト軍の騎兵部隊が隊形を整える前に、最大の加速をもって突撃を果たした。

 結果、リッケンシルト騎兵は馬より叩き落され、貫かれ、またその馬は魔獣に怯え、倒された。左右からの挟撃は、第一の防衛線を蹴散らし、王子軍中央へ。


「殿下! お下がりください!」


 ロウト将軍は剣を抜き、迫る敵騎兵からリーベルを守る壁にならんとする。

 リッケンシルトの王族の旗――それは自然と魔人軍を引き寄せた。

 ベルゼもガルス・ガーも、その旗が王族であるとは知らないが、指揮官がいるという認識を持っていたからだ。


「魔人どもめ……!」


 リーベル王子は歯噛みする。

 まさか……まさか魔人ごときに奇襲を受け、リッケンシルトの精鋭たちが、なす術なく蹂躙されているのである。そんなビジョンを王子が抱けるはずもなく、また認めたくない光景だった。


 ――僕はセラフィナの笑顔が見たかった。彼女を悲しませた魔人どもを倒して、彼女の国を取り戻したかった……。


 セラへの思い。彼女を抱きしめる機会など、もはや望めるはずもない。

 リーベル王子はそれを悟った。


 いまさら逃げることなど不可能。後ろへ逃げる? 後続の歩兵や補給部隊が街道を埋めているのだ。それを突っ切るのは――いやそれをすれば、もしかしたら離脱できるのではないか?

 一瞬、そんな考えが脳裏をよぎった。馬鹿な、兵を見捨てろというのか? しかし自分が生きて帰れれば王都で雪辱戦を挑む機会があるかもしれない……!


 逡巡。だがそのわずかな思考時間が、リーベルにとって最期の時を決定付けた。


「殿下をお守りしろぉー!」


 ロウト将軍が雄叫びにも近い声を発した。普段の穏やかさの欠片もない鬼神もかくやの大声。

 だが地面を踏みしめ押し寄せる魔獣騎兵の足音は津波の如く、人間の怒号や悲鳴をかき消し、飲み込んだ。

 血まみれの騎兵槍に貫かれ、絶命する兵士。首に当たった兵は、その頭ごと球のように胴体からちぎれ飛ぶ。 

 凄惨。惨たらしい死。


「おおっー……ッ!?」


 ロウト将軍が落馬した。赤顔の魔人騎兵――ガルス・ガーの騎兵槍が胴の鎧ごと心臓を貫いたのだ。


 バタバタと兵たちが倒れていく。リッケンシルトの旗もまた。


「みぃ、つけたっ!」


 女の声――ハッとするリーベルの視界に、魔獣に騎乗する黒髪の女の姿が見えた。……黒髪――刹那の間、先日出会ったサターナ嬢を思い浮かべた王子だったが、次の瞬間、女の手にした細剣が振り下ろされた。

 激しい風が舞い、王子の身体は宙を舞った。

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