第95話、王子出陣
リーベル王子の行動、命令は速やかに実行された。
夜にも関わらず、兵が召集され、並行して武器や糧食の準備が計られ、翌日の昼前には出立の準備が整った。
真紅の甲冑をまとったリーベル王子は、凛々しい顔そのままに、宮殿中庭に集う近衛兵の部隊の前を歩いた。
それを見送るはセラとサターナ。
「それでは行ってくる」
王子が言えば、セラは顔を伏せた。
「本当に、私も行かなくてよいのですか……?」
魔人との戦闘とあれば戦う、と言い出したセラだったが、王子の答えは。
「君を危険な目に遭わせたくない」
リーベル王子は憂いを秘めた表情で言うのである。
「セラフィナ、僕は魔人軍と戦う。君にとって故郷の仇だ。君との約束を果たす。……勝って、必ずアルゲナムを連中の手から取り返す」
「リーベル王子……」
セラフィナ――と、王子は別れの抱擁を期待するように手を広げた。セラは、一瞬サターナを気にするそぶりを見せたが、戦場へ向かう勇者への礼として軽い抱擁を交わした。
「口づけはなしかい……?」
微笑しながらいう王子に、セラは「ご武運」とだけ答え、目を逸らした。
「わかってくれセラフィナ。君の事を思えばこそ、ここに留まって欲しいんだ」
戦場に連れて行かないことを怒っていると解釈したようだった。王子は瞳を潤ませる。
「大人しく、ここで待っていてくれ。……それなら、僕も君のために戦える」
アーミラを頼む――そう告げると、王子はセラの頬に口づけをした。
さりげなく、しかし不意打ちだった。セラは声を上げることもできず固まってしまう。
サターナ――慧太は、それを冷めた目で見ていた。
ただ出陣する王子に理不尽に怒りをたぎらせるようなことはしなかった。
彼は婚約を宣言したセラのために戦場に赴く。
少なくとも口にしたことを反故にすることなく、危険に飛び込もうとしているのだ。その点は、彼を評価してもいいと思った。
自らが乗る白馬へと移動するリーベル王子。だがその途中、親衛隊のリンゲ隊長を呼び寄せると小声で話し始めた。
「……絶対にセラフィナを宮殿から出すな。私が戻るまで、外に出してはならない」
「は……」
親衛隊隊長は王族命令に頷いた。
リーベル王子は白馬に跨ると、力強く「出発」を宣言した。
近衛の騎兵、歩兵を率いて王子の一隊は宮殿中庭から門へと移動する。セラ、サターナのほか、アーミラ姫や侍女らも彼らの出兵を見送った。
セラは踵を返す。与えられた部屋へ。
「これからどうするの?」
「……」
「まさか、王子の言いつけを守ってお留守番?」
「ライガネンへ――」
セラは、黒髪の偽姫に視線を向ける。
「行くべきでしょうか?」
「アスモディアは、リッケンシルト単独でレリエンディールに対抗するのは無理と見ている」
魔人の上流貴族であるアスモディアの言葉だ。おそらくそうなのだろう。
「つまり、リーベル王子たちは――」
「勇ましく出陣して行ったけれど、彼が生き残れるかについては悲観的な見方しかできないわね。……ヴィーゼル城というのが王子の言うとおりの堅固な要塞であるなら、しばらくは防壁になるかもしれないけれど」
「時間の問題」
「ユウラやアスモディアはそう思ってる」
セラは口を閉じる。だがふと視線を向けた。
「サターナ、あなたいつまでその姿でいるつもりですか?」
「ここにいる間は、これで通すわ」
彼女を演じる慧太は言う。
「変装を解くと、直すのが凄く大変なのよ。それでバレるのも馬鹿らしいし」
本当は、変身なのですぐなのだが、あくまでセラには『変装』で通すつもりだ。
「……何だか、本当にケイタではないみたい」
「あら、それはいったい誰のことかしら?」
サターナは、とぼけてみせるのである。
・ ・ ・
王都南地区にある宿の部屋に、ユウラとアスモディアはいた。
ベランダへの扉は開けられ、そこにはリアナが遠方の景色――正確には出陣するリッケンシルト国、王子軍を眺めている。
「それで――」
ユウラは机の上に広げたリッケンシルト国の地図を見下ろす。
「レリエンディール軍は侵攻を開始しました。慧太くんの話を聞くに、僕らがシファードの町を出た頃には、すでに国境を越えて中央へ進撃していたことになります」
「……わたくしは、まったく存じておりませんでした」
対面の席で、アスモディアが複雑な表情を浮かべている。
「セラ姫追跡任務中だったとはいえ、レリエンディール軍が侵攻を開始していたなんて」
「あなたへの通知が遅れただけかもしれませんよ?」
ユウラは言うのである。
机の地図の上を、黒い子狐がよぎる。シェイプシフターの分身体――慧太が分離したものだ。
『魔人軍の報せがあったから実行しなかったけど、ブラックシンデレラ作戦、やっておいたほうがよかったか?』
ブラックシンデレラ作戦――リーベル王子がセラの意志を無視し、婚約に踏み切った場合。あるいはアルゲナム奪還にそれほど熱心でなかった場合に、セラを連れ出すべく計画された作戦である。
慧太はサターナ姫という架空の人物に化けて潜入。ユウラたちも宮殿の外で待機し、作戦は実行寸前まで行ったのだが、レリエンディール軍侵攻の報せにより、慧太の判断で中止となったのだ。
「いえ、あの場は実行しなくて正解だったと思いますよ」
ユウラは机の上の
「おかげでリッケンシルト国の王族や貴族はレリエンディールという共通の敵に対し一致した考えを持つに至りましたから。これ以上の混乱を引き起こさなかったことを思えば、よく自重しました」
『んー』
ぐりぐりと撫でられ、
「とはいえ、状況はよろしくないでしょうね」
青髪の魔術師は、視線をアスモディアに向けた。
「レリエンディール軍で、このような無茶な進撃を行う将といえば?」
「……おそらく『疾風迅雷』の異名をもつベルゼでしょう」
赤髪の元魔人貴族であるアスモディアは答えた。
「ベルゼ・シヴューニャ。レリエンディール七大貴族のひとつ、シヴューニャ家の跡取り――つまりわたくしと同輩ですね」
「どのような人物なのです? ベルゼとは」
「美人ですよ。彼女は」
アスモディアは含みのある顔になった。
彼女、ということは女か――慧太は思った。
「猪突猛進、といえば聞こえがいいですが――」
いや、それは褒めてないような――慧太が小首を捻るのを他所に、赤髪の女魔人は続けた。
「はっきり言って……馬鹿です」
何とも容赦のない元同僚の言葉に、ユウラはもちろん、慧太も返す言葉が浮かばなかった。
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