第40話、ディナータイム

 

 湧き上がるのは怒り。


 墓場モグラこと、巨獣マクバフルドにケイタが踏み潰された。それを目の当たりにしたセラは、手に持つ銀魔剣に魔力を注ぎ込む。

 すべての魔力を送り込む。たとえそれで二度と力が使えなくても構わない――そう思わせるほどの感情がセラを突き動かした。


 胸にこみ上げるは灼熱。全身の血液を沸騰させるほどの勢いで、セラは視界が真っ赤に染まるほどの憤りに支配される。


 ――ゼッタイに、ユルサナイ……!


 銀魔剣アルガ・ソラスがまばゆいばかりの光を放つ。その一撃があれば、十メータメートル程度の獣など塵となって消し飛ぶ。

 猛々しいまでの熱い吐息を漏らし、剣を振り上げんとした、まさにその時だった。


 

『逃がさねえよ……』



 聞こえるはずのない声がした。ケイタの声――セラは目を見開いた。あれだけどす黒く染まった感情が一気に抜かれたようだった。冷や水を浴びせられたような、我に返った感じだ。


 今のは――


 幻聴だったのか。

 マクバフルドが咆哮を上げる。耳障りなその声。だがどこか様子がおかしかった。

 連続してあがる巨獣の声は怒りと共に焦っているようにも感じ取れた。その証拠に、マクバフルドは前足を動かし進もうとしているようだが、何故か動けないようだった。

 よくよく目を凝らす。マクバフルドの足、そして胴に黒いものが無数に絡みついていた。

 それは手のような形をしていた。大モグラの身体や足を引っ張り、動けないようにしている。まるで、地獄に墜ちた亡者どもが、自分達のいるそこへ引きずりこもうとしているように。

 巨獣は、もがいていた。



 影喰(かげくい)。


 

 ずぶずぶと底のない沼に沈むかのごとく、その巨体を飲み込まんとする漆黒の影。

 マクバフルドは抵抗するが、すでに手遅れだった。洞窟中に響くだろう大きな鳴き声も、哀愁を帯びて、まるで助けを求めているようだった。


 ――そう連れない態度をとるなよ……。


 慧太の伸ばした手がマクバフルドの左頬に張り付き、地面へと引っ張る。けたたましい咆哮。地面の影から、にゅっと慧太の上半身が浮かび上がる。


「――久々の直喰じかぐいなんだ。……大人しく喰われろよ」


 大モグラの身体の半分が慧太の半身、黒々としたシェイプシフター体の沼に沈んでいる。絡めとる漆黒の手の数は増え、マクバフルドを引きずり込む力は増していく。

 慧太の表情にいびつな笑みが浮かぶ。モグラの化け物は声すらあげず、固まったままその身体を貪られている。……そう、もう息絶えたのだ。傍から見れば、巨獣は影の沼に沈んでいくようだが、シェイプシフターの身体は獲物の身体を速やかに取り込み吸収していた。


 ――ああ、もう腹いっぱいだ。


 シェイプシフターになって、もっともエネルギー効率のいい食事は、こうした体への直接吸収だったりする。慧太はマクバフルドをほぼ吸収、残ったのは一ミータメートル近い巨獣の角のみ。


「……さて」


 慧太は影の沼から下半身を引きずり出す――ように見えて、実際は自身の影にそれを収納したわけだが、先ほどから痛いほどの視線を向けてくる銀髪の戦乙女を前に、首を傾げた。


 ――どう言い訳しようか。


 果たして言い訳が許されるだろうか。セラは、慧太が人間ではないのを目の当たりにしたのだ。

 シェイプシフター、姿を変える化け物。魔人に国を滅ぼされた彼女の経緯を考えれば、慧太の正体も魔人かそれに近いものに見えただろう。それをずっと黙っていたわけだから、当然彼女の心象はよろしくはないはずだ。……最悪、刺されるかもしれない。


 ――ここまで、かな。


 何とか力になってやりたいとは思うが、相手がそれを嫌がればどうしようもない。こんなシェイプシフターと誰が仲良くやっていけると言うのか。……もちろん、ユウラやリアナ、獣人の傭兵団は別だ。純粋な人間じゃない者たちと、普通の人間では比べようがない。


「ケイタ……」


 セラは、信じられないものを見る目になっている。現実離れした光景を目の当たりにしたのだから無理もない。彼女は一歩、また一歩と前に出て、やがて駆け寄った。


「ケイタ! あの、生きて、いるんですよね……?」

「見ての通り……足はついてるよ」


 ついてないようにもできるけど――慧太は普通に振舞うが、内心では緊張が高まる。上手く説明できる自信がなかった。

 セラも困惑しているのがわかる。慧太を見やり、しきりに目を瞬かせている。


「何と言うか……その」


 嫌われてしまうのではないかという思いが口を開くのを躊躇わせる。


「見ただろ、セラ。オレは――」

「ニンジャ!」


 は? ――セラから出たその単語に、慧太は目を丸くした。忍者、だって?


「ケイタは、東の果てにある国にいるという伝説の戦士、ニンジャなのですか!?」


 この世界にも忍者っているの――思わず口に出そうになる慧太だが、セラの期待のこもった眼差しを真っ直ぐに浴び、口元が引きつった。


「あ、ああ、そう。……うん、オレ、忍者」

 嘘をついた。だが彼女が勝手に勘違いしてくれたのだ。わざわざシェイプシフターであると告白する必要がどこにある。


「オレは忍者だ」

「やっぱり! はじめて会った時から、どこか不思議な人だと思っていたのですが――」


 ――やっぱ、思われてたんだ……。


「ニンジャなら納得です! 常人離れして身体能力で駆け回り、摩訶不思議な術で敵を葬っていく伝説の戦士――異国風の名前だと思っていましたが、まさか、本物のニンジャだったなんて……!」

「……まあ、人に言うものじゃないしな」


 忍者にしておけば都合がいいか――慧太は苦笑いを浮かべつつ、セラの銀魔剣を指差す。


「いつまで光らせておくの?」

「あ……」


 セラは剣を両手で持ち直し、祈るように目を伏せた。すると光がすっと消えていき、柄の部分についている青い宝石から、白く光る石が作り出された。


「それは何? ……魔石?」


 落ちた光る石を拾い慧太が聞けば、セラはアルガ・ソラスを鞘に収めた。


「魔力の凝縮体です。本来は集めた魔力を放つのですが、魔石にすることもできるんです」

「これ、魔法使いが魔法を使うための触媒にもなるんだろ……言い値がつくんじゃないか?」

「悪用されたら困るので、あまり気は進みませんけど」


 純粋な魔力で作られた触媒――確かに悪用されたら厄介ではあるが、それは使う人次第なので何とも言えない。慧太がセラに魔石を返すと、彼女はそれをポケットに入れた。そして今だ座ったままの慧太を見下ろす。


「立てます……?」

「ちょっと反動がきて」


 マクバフルドを丸ごと一匹喰らったので、まだちょっと身体が重い。食い過ぎ状態。


「反動?」

「――消耗の大きな忍術でね」

 それらしく嘘をつけば、そうとは知らないセラは首肯した。


「なるほど。ニンジュツですか。確かに凄い術でしたものね」


 そう言うと、銀髪のお姫様は膝をつき、慧太と視線の高さを合わせた。


「でも、本当に心配したんですからね! あなたが踏み潰されてしまったのではないかって……どれだけ悲しくなったか……!」


 熱っぽい視線を向けられる。彼女を悲しませたと思うと、慧太は罪悪感にさいなまれた。


「ごめん。説明している暇がなかったんだ」


 慧太はようやく立ち上がる。少しふらついたら、セラが手を伸ばして支えてくれた。


「ありがとう」

「こちらこそ、助かりました」


 ありがとう――セラは微笑んだ。それだけで、慧太は胸の底からじんわりと温かな熱を感じた。


「それにしても」


 セラが大モグラが広げた通路を見返す。


「さっきの看板といい、爆発物といい、一体全体どうなっているんでしょうか」

「たぶん、人か、それに近い種族が地下に住んでいるんだと思う」


 慧太は顎に手を当てる。


「ユウラが言ってたんだけど、地下に住んでる亜人種族がいるって。最初に地下に落ちた場所も、人の手が加えられている感じだった」


 専門家ではないので断定はできないけど、と心の中で付け加える。


「看板はたぶんアレだ。『この先行き止まり』とか書いてあったんだと思う」

「読めたのですか?」

「いや、何となく」


 慧太は首を横に振った。


「寝ていたマクバフルドを起こした爆発物も、地下亜人だろうなぁ。……たぶんこのあたりの通路も亜人らが掘ったものだろうがな。そこにあの墓モグラが棲み付いたんじゃないかな」


 マクバフルドがこじ広げた通路を逆に歩く。行き止まりなので戻るしかないのだ。


「なんて言う亜人だったっけ――」


 考える慧太は、そこでハッとなった。

 通路の向こうに、無数の赤い光点が浮かんでいたのだ。それらの光に反射するのは幾多の目。その視線が慧太とセラを見つめる。

 キラリと光る刃や鎚を携えて。

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