第37話、使い魔

「私の国は……アルゲナムは滅びた」


 セラフィナは必死にこらえるように告げた。


「もう、お姫様なんかじゃない……! だから――お姫様なんて、呼ばないで……」


 銀髪の少女は顔を俯かせる。震えるその肩。唇を噛み締める彼女に慧太は視線をさまよわせた。

 怒らせてしまった。

 慧太はこれまで彼女のことを何度も『お姫様』と呼んできた。彼女は言わなかったが、内心ではかなり気にしていたのだろう。

 国は滅び、おそらく民や彼女にとって親しい者も多くが傷つき、いや死んだかもしれない。生き残った彼女が、それを気にしないはずがない。


 ――言わなきゃわかんねえけど。


 いや、話だけなら聞いていたのだ。魔人の侵攻に遭い、その危機を伝えるために旅をしている王女様。もっと深く考えれば、わかったはずだ。気遣えたはずだ。


 ――オレが彼女を傷つけていたのは間違いない……。


 目の前で少女が苦しんでいたから。ただ、それだけだったのだ。その背景にある使命や記憶、つらさまで思い至らなかった。


「ごめん。無神経だった」


 慧太は頭を下げた。自らの至らなさが恥ずかしい。そして悔しかった。

 セラフィナはそんな慧太を見つめる。口もとが引き結ばれたのは、わずかの間だった。


「……いいえ」


 その目に溜まった涙を拭う。


「怒鳴ってごめんなさい。あなたが悪いわけではないのに」

「……」

「あなたには助けてもらってばかりいるのに……それなのに、私……」


 自己嫌悪に陥るセラフィナ。その姿は痛ましくて、慧太は胸の奥がずきずきと痛むのを感じた。

 重苦しい沈黙が場に漂う。


 どう声をかければいい?

 どういえば彼女の苦悩を拭い去れる?

 わからない。慧太は硬直した思考を払うべく、小さく息をついて口を開いた。


「……次から、オレはどう呼べばいい?」


 ようやくそう言えば、セラフィナは目を瞬かせる。その意味を理解するのに数秒の時間を要した。

 やがて彼女は、口元を緩ませた。


「『セラ』でお願いします、ケイタ」


 セラ――慧太は首肯した。


 名前で呼んでいいのか。おそらく愛称だとは思うが、はたして自分はそこまでの信用を得ているのだろうか。とはいえ、その意志は尊重すべきだろう。

 その『セラ』は立ち上がると、尻に敷いていたスカートの裾を払った。


「それじゃあ、今度は私が先導しますね」

「え、いや――」

「私をお姫様扱い、しないでくださいねケイタ」


 悪戯っ子のように言うセラ。気丈に振る舞っているようにも見える。だがはいそうですか、と彼女に先導させるわけにもいかない。


「あ、うん。でも、ちょっと待って」


 考えろ。慧太は頭を働かせる。彼女を傷つけないように、しかし仮に先導させるなら、極力危険を避ける方法を。


 ――そんな都合のいい方法があるか……!


 せめて、先回りして確認できれば――あ、待てよ。

 慧太は閃いた。セラから離れることなく先を行って安全確認する方法が。


「あのさ……セラ。もうちょっと休まない?」

「えっと、もう休みましたよね?」

「ごめん、もう少し、休ませてくれ」

「もしかして、どこか痛いとか――」

「いやいやいや、それはないから!」


 慧太はぶんぶんと首を横に振った。……こういう気遣う娘なのだ、セラは。


「……わかりました。休憩終わったら、私が先導しますからね」


 ああ、と頷き、慧太は膝立ちの姿勢になる。落ちていた小石を拾い、目の前の地面を削り、円を描く。唐突に作業を始めた慧太に、セラは首を捻る。


「何をしているのですか?」

「ちょっとした魔法」


 慧太は円の中に、適当な記号やら文字を入れて魔法陣のようなものを作った。ちなみに内容はでたらめである。何故ならカモフラージュ、意味のない模様だからだ。


「それではお立会い。この何の変哲もない落書きが、次の瞬間――」


 右手を魔法陣に叩きつける。次の瞬間、地面からにゅっと黒い小動物が浮き上がった。


「子狐に変身!」

「わぁ……!」


 セラが目を丸くしている。その反応にニヤニヤしたいのを抑えつつ、慧太は言った。

「使い魔ってのは聞いたことあるかい? こいつはオレの使い魔の子狐なんだけど」

「魔法使いが使役する動物、ですよね?」


 セラは、全高二十テグルセンチほどの小さな狐もどきを凝視している。


「そう。こいつを使って――って、セラ? 聞いてる?」


 どうにも様子がおかしかった。お姫様はそろそろと、慧太が召喚した――正確には身体から分離させたシェイプシフター体であるが――狐に歩み寄り、手を伸ばした。


「さ、触っても!」

「あ、ああ」


 怪訝になる慧太だが、セラはそれに気づかず真っ黒な子狐に手を伸ばした。子狐――慧太の分身なので反応も制御できる――はポンとその小さな手をセラの指先に置いた。


「あ……あわわ……!」


 セラは身体を震わせている。何だかわからないが、いたく感動しているようだった。


「なあ、セラってさ」


 慧太は意志を飛ばし、子狐を動かした。分身体はひょいとセラの手に乗ると、腕をつたってその肩口へと走らせる。セラは子狐の反応に驚きつつも、拒絶の気配もなく、むしろ歓迎しているように顔をほころばせた。


「動物が好きだったりする?」

「いや、別に好きとか、そういうわけでは――」


 とか言いつつ、子狐が顔を近づけると、セラは頬をすり寄せて右手で子狐の背中を撫でる。


「……うん」


 慧太は、楽しそうに子狐と戯れている銀髪の少女から視線をはずし、足先からもう一体の分身体である子狐を作り、それを通路の先の偵察へと放った。

 直接分離しているところを見られないように芝居を打った慧太だったが、まさかセラが小動物に食いつくとは思わなかった。もう一体を作ることになったが、バレなければ結果オーライである。


 ――まあ、しばらく遊ばせておくか。


 一時はどうなるかと思ったが、セラが楽しそうに笑顔でいるのを見るのは悪くない。

 彼女の心からの笑顔。ここしばらく辛いことばかりだっただろう彼女に、わずかながらの癒しになるなら。

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