第29話、蜘蛛の巣

 アジトの広間には地下室への階段があり、さらにその奥に秘密の抜け穴がある。


 ハイマト傭兵団が根城にする前は、盗賊団がここを拠点にしていた。彼らはいざという時のための抜け道が作っていたのだ。


 慧太は、セラフィナを連れて、ユウラとリアナ、そして黒馬のアルフォンソをお供に地下をくり貫いて作られた抜け穴を進んだ。手狭な通路を、慧太は手に松明を持って先導する。反響する靴音。じめっとした生暖かな空気と臭気が漂う。


 抜け道は細長く、出口までは距離があった。これを掘った盗賊たちは、アジトが包囲された時に備え、出口を遠方に設えたのだ。

 四人と一頭は終始無言だった。早足で駆けているせいもある。慧太は後ろに気配を感じながらも振り返ることはしなかった。


 ひんやりとした空気が肌に伝わる。出口が近い。まだ夜だから外は暗い。慧太は後ろに少しペースを落とすよう合図する。秘密の抜け道だから、魔人どもが待ち伏せしていることはないだろうが、用心するのが傭兵として当然だ。


 軽く息をついて止まるセラとユウラ。リアナは後方を警戒するが、彼女自身はまったくいつもどおりの呼吸を繰り返している。黒馬のアルフォンソは尻尾を振る以外、反応はなかった。


「見てくる」


 慧太は松明を消す。途端に真っ暗になるが構わず出口へと走る。靴裏を変化させ――シェイプシフターの変身だが――、足音を立てないようにしながら洞窟の境界に立つ。


 そっと、外を覗き込む。鬱蒼うっそうとした木々が周囲にある。月明かりが届かないゆえに真っ暗だ。……もう少ししたら夜が明けるが、まだしばらくはこの暗闇が慧太たちを守ってくるだろう。

 すっと、目を細める。夜目に慣らしていると、ふと何かが視界で揺れたように感じた。風が吹いたことで、見え難い何かが揺れたのだ。その見え難い何かのを辿っていくと……慧太は思わず目を見開いた。


 ――なんで、こんな……!?


 それは巨大な蜘蛛の糸。出口周囲に無数に糸が張り巡らされていて、蜘蛛の巣が形成されていたのだ。改めて周囲を確認し直し、頭上のそれに気づくと慧太はげんなりとした。


「どうしたのです?」


 立ち止まってしまった慧太のもとに、セラフィナらがやってきた。慧太は腰に手を当て、嘆息する。


「アンチュラの巣だ。今年はここに作りやがった」

「アンチュラ?」


 セラフィナが首を傾げれば、ユウラは答えた。


「この森には全長が一ミータメートルを超える大型の蜘蛛が生息しているんですよ。肉食性で、普段は森の動物や鳥などを待ち伏せているのですが」


 慧太は出口から顔だけ出して真上を指差した。セラフィナは覗き込み、すぐに「ひっ!?」と小さな悲鳴を上げた。

 馬鹿でかい大蜘蛛が木の上に張られた糸の上でじっとしているのが見えたのだ。


「巣にかからなければ何の問題もない。……巣にかからなければ」


 慧太は腰のダガー――もちろんシェイプシフター体が作ったそれ――を抜く。


「つっても、無理だろうな。こう本体が近くにいると」


 出口の半分以上を覆うように糸が形成されている。それが一枚なら避けられたかもしれないが、幾重にも張られているとさすがに困難だ。アンチュラの横糸に絡んだら、はがすのは難しい。ヘタしたらもがいているうちに身動きできなくなってしまう。


「火を使うのが、簡単なんだけど」


 そうすれば糸も溶けるし、アンチュラ本体も近づかない。


「どう思うユウラ? アジトから離れているけど、ここで火を使うと、魔人に気づかれるかな?」

「念には念を押すのなら、使わないほうがいいと思いますがね」


 ユウラは眉をひそめた。


「おそらく、見ていないし見えないでしょうが、万が一、糸を燃やしている過程で、周囲に木々が燃えるなんてことがあれば――」

「地道に潰していくしかないか」


 慧太は片膝をつき、ポーチに手を突っ込む。シェイプシフター体の塊なのだが、セラフィナの目もあるので、さも何かを取り出した風を装う。


「何です、それは?」

「ぐにゃぐにゃ玉」


 あえて説明はしない。慧太はピンポン球大の球体を巣に引っかかるように投げた。球体は糸に引っかかったが、そこで重りの効果を発揮して巣全体を震動させた。途端、木の上のアンチュラが、わしゃわしゃと足を動かし降りてきた。


「う……」


 予想以上に素早く降りてきた大蜘蛛の姿に、思わず口もとを押さえるセラフィナ。慧太は手にダガーを構え、アンチュラが最接近したところを、その柔らかい腹部めがけて突き入れた。


 ――長大化!


 慧太は突き入れたダガーの長さを三倍に変化させる。それはアンチュラの体内を突き、えぐって貫通する長さとなった。惰性によって大蜘蛛は自身の身体を慧太の剣と化したダガーによって裂かれ、やがて地面にドサリと落ちた。


 だがそれで死んでいなかった。引き裂くような耳障りな声を上げて反転すると、反撃しようと口の牙を動かし――慧太が再度、振り下ろしたダガーに脳天を貫かれた。

 はじめて見る光景にセラフィナだけが、やや顔を青ざめさせていた。慧太自身はもちろん、ユウラもリアナも大蜘蛛退治は初めてではなかったから平然としている。


 何事もなかったように慧太はアンチュラの死骸を無視し、障害となる巣の切断撤去を行う。大蜘蛛の巣の糸は横糸は粘着力が強いが、縦糸は移動用なので、実はあまりくっつかない。

 細く白い大蜘蛛の糸は高値で売買される品であり、時間があれば横糸を溶かして丈夫な縦糸を集めるのだが、生憎と今はそのような余裕はない。だがリアナが、すぐに取れるアンチェラの牙を短刀を使って回収したのは、ある意味職業病とも言えた。


「とりあえず、後から団の仲間が来た時のために糸は落としておくか。もし急いで逃げてたら、絶対どれかの糸に引っかかるから――」

「慧太くん、危ない!」


 ユウラが叫んだ。違う糸を切ったせいだろう。その糸を巣にしている別のアンチュラが落下も同然に襲い掛かってきた。

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