第30話、サソリの尻尾

 何だよこいつは――視界が真っ赤に染まる中、熊人のドラウトは思った。


 ――何でおれは地べたに寝転がってるんだ? 畜生、身体中、イテェ……。


 戦いがあった。アジトを取り囲む魔人。アルゲナム国のお姫様を狙ってやってきた奴らだ。

 ハイマト傭兵団団長であるドラウトは、仲間の獣人らと逆襲に転じた。お姫様を守りたい、助けたいと言った慧太のために。


 腕のいい奴だ。人間の姿をしているが人間ではない。むしろ、魔人らに近いのではないか――彼を傭兵団に誘ったのはドラウト本人だ。どこか冷めたような奴だが人情に厚い。放っておけばいいものを、つい助けたりする。……そういう気質は気に入っている。獣人を差別しないところもだ。


 慧太によって救われた仲間も多い。仕事には文句は言ってもきちんとやってのける。正直、手放すのが惜しいくらい気にいっている。だから、彼が『したい』と思ったことには全面的に応援するつもりでいた。ふだん、そうした『わがまま』を言わないから特にだ。


 魔人と矛を交えることになったが、はっきり言ってハイマト傭兵団にとって何の得もないことだ。迷惑この上ないが、文句は言うが反対した者は誰もいなかった。……みな、あの変幻自在の少年のことが好きだからだ。


 傭兵団はアジトで守りを固め、敵が攻撃してくるのを待つ戦術をとった。魔人の嗅覚や聴覚は、獣人とさほど変わらないとされている。つまり鈍い人間たちならともかく、純粋な不意打ちは魔人相手には難しいのだ。時間を稼ぎつつ、折を見て秘密の抜け道や隠し壁などを使って脱出する――それがドラウトの腹積もりだった。


 だが、魔人らの攻撃力が、傭兵団アジトの防御力を圧倒的に凌駕りょうがした。


 ドラウト率いる傭兵団主力は正門前の敵と対峙したが、羊角の女魔人が放った炎魔法が防壁を吹き飛ばすと、獣人団員たちを劫火に包み込んだ。主力の半数以上が初撃で焼かれ、意味を成さなくなった丸太壁を越えた敵魔人どもが侵入。ドラウト自身、十人ほどの魔人を葬ったが、例の女魔人の魔法でやられたのだ。


 ――まあ、まだくたばっちゃぁ、いねえがな……!


 意識が朦朧もうろうとする。慧太に約束した一戦ももたなかった。……不甲斐ねえ。これでは手下たちにも示しがつかない。


 といっても、その団員たちもほぼ壊滅した。このまま死んだふりして、再興の機会を窺うってのもありかもしれない。傭兵は命あってのモノダネだ。生き残ることが勝ちだ。


 魔人の兵隊どもが、近くを通過する。熊人の団長は息を殺し、そいつらが気づかず通り過ぎるのを待った。どくり、と心音がはねる。鋭敏な感覚を持つ魔人だ。死んだフリも、人間を騙すより遥かに難度が上だ。心臓の音が聞こえてしまうのではないか、と思えるほど内面では大荒れだったが、それを外には漏らすことはなかった。


「アスモディア様! 拠点にアルゲナムの姫の姿はありません!」


 魔人の戦士が、リーダーと思しき例の女魔人に報告する。


 あいつだ。ドラウトの目論見を崩し、傭兵団を大火力で制圧したのは。

 赤毛の美しい娘だ。黒紫色のマントを外套のようにまとっているが、その下は下着同然で肌面過多。とんだ露出女だ、とドラウトは思う。寒くないのかね、あれ――


「アジトの周りに姿はなかった。どこかに抜け道があるはず。探しなさい!」


 弾かれたように魔人どもが散る。


 ――何とまあ、リーダー様がお一人かい?


 ドラウトは目を細める。距離は数ミータメートル。幸いこちらはうつ伏せ。起き上がって加速しても、数秒とかからない位置取り。あの魔人女をぶち殺すくらいはできるか……?


「アスモディア様! 生き残りがいました!」

 生き残り――ドラウトはぴくりと耳を動かした。対してアスモディアは苛立ちをにじませて言う。

「ふん、そいつから、姫の行き先を聞き出しなさい」


 ――おいおい、どこの間抜けだよ。敵になんか捕まんなよ……。


 呆れるドラウトは、すっと身を起こす。ギロチンの刃のごとく厚みのある剣をとると、後ろ足で地面を蹴り、突進した。身長二ミータほどの巨岩のような体躯が迫り、アスモディアは振り返った。


「遅えっ!」


 巨大剣が女魔人の細首を一刀のもとに跳ね飛ばし――


「頭上がお留守のようよ……クマさん」


 妖艶にアスモディアは微笑んだ。

 ドラウトの巨大剣は、彼女の首まで数テグルセンチのところで空を切った。

 その巨体が沈み込む。熊人の脳天に、アスモディアの臀部の上に生えた尻尾、その棘が突き刺さっていた。


 それはサソリの尻尾だ。魔人アスモディアの持つ巨大サソリの尻尾とその猛毒の針は、死角となる頭上からドラウトの脳を貫いたのだ。 

  

 ・ ・ ・


 死んだフリをして襲い掛かってきた熊人を倒したアスモディアは、自身の尾をマントの下に収納した。


「……そのまま寝ていれば、死なずに済んだのにね」


 魔人の中では、アスモディアの毒の尾は有名であるが、この武器は最後の切り札であった。当然、人間やレリエンディール外の獣人たちは、そんな能力が隠されているなど知りもしない。故に迂闊に突っ込んできた相手には、ほぼ対応不可能な頭上からの一撃で仕留めるのである。


 ――それにしても……。


 アスモディアは苛立つ。

 セラフィナ姫を捕らえるのが任務。その彼女が見つからないのはもちろんだが、先の集落で戦ったシェイプシフターの小僧の存在が苛立ちの原因だった。


 ――あの卑しいヌメヌメした黒い塊が、私を覆って取り込もうとした……!


 仮に深手を負っていれば抵抗できずに飲み込まれていただろう、とアスモディアは思っている。かろうじて振りほどき、燃やし尽くせたのはある意味幸運だった。

 あのべったりとまとわりつく、厭らしい感覚。思い出しただけで、肌がざわざわとざわめき、全身が熱くなってくる。胸をまさぐられるように嬲られたときは――


「アスモディア様!」


 部下の声に我に返る。アスモディアは不機嫌に眉をひそめた。


「何かしら?」

「捕虜が口を割りました。アルゲナムの姫は、数名と共に地下の抜け道を使って脱出したようです。いま、その抜け道を探っています!」

「すぐさま追跡隊を編成!」


 アスモディアは傭兵団のアジトへと足を向ける。


「姫を捕らえるのよ」

「はっ。……それで、アスモディア様は――」

「少し寝るわ。睡眠不足は美容と思考の敵よ」

 は、と要領得ない返事をよこす魔人の部下に、アスモディアは首を捻り、笑んだ。


「この拠点を完全制圧したら、隊の半分にも休息をあげなさい。あなたも休んでいいわ」


 アスモディアは、ここ数日の追跡行を思い出す。交代で休みを取りながらの追跡とはいえ、配下の魔人たちに疲れがないとは言えなかった。だからこそ、持久戦は選ばず、アスモディアが先頭に立って正面から敵を吹き飛ばしたのだ。

 ふかふかのベッドで眠りたい。今は睡眠欲が性欲よりも勝っているアスモディアだった。

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