第11話、リュコス家の娘


 デモス・マルキ・リュコスが死んだ。

 本国からの使者はそう告げ、サターナを愕然とさせた。


『嘘よ!』


 思わずそんな声が出ていた。

 だってデモス・マルキ・リュコス卿は――リュコス家当主、サターナの父親だ。


『どうしてお父様が!』


 厳格な父だった。

 兄を贔屓(ひいき)し、サターナには優しい言葉もかけたことのない冷たい男だった。正直に言えば、サターナは憎んでさえいた。

 愛していたから。父親として尊敬し、いつか彼から褒めてもらえる日を夢見て、ここまで生きてきたのだ。

 その人生の目的のひとつである父親が死んだ。レリエンディール軍精鋭を率い、勝利の凱歌を聞かせてやろうと期待に胸を膨らませていた矢先に。


 使者は顔を伏せたまま、うやうやしくサターナに書状を差し出した。サターナはつかつかと靴音を響かせて使者のもとへ歩み寄ると、ひったくるように書状をとった。


 筆を取ったのは兄だった。その彼の書いた文章を食い入るように見やる。サターナの顔が憤怒に染まった。


『暗殺! 暗殺ですって!?』


 誰が父を殺したというのか! 七大貴族の筆頭にして、魔王に告ぐ位置にいるレリエンディール国の重鎮を!


 戦争反対派のカペルか。それともリュコス家と因縁深いリオーネ家か。

 サターナの中で怒りの炎がくすぶる。ギリリと奥歯を噛み締める。復仇の色を帯びた紅玉色の瞳は、使者はもちろん、その場にいた者たちの背筋を凍らせるに充分な迫力があった。


『引き返すわよ』


 しんと静まりかえった王座の間に、その声は水面のように広がった。


『第一軍はこれより本国へ戻る。全軍にその旨を伝え、ただちに行動に移しなさい!』


 早く! ――サターナの声に、兵らはその場を一斉に動きだし、伝令に走った。


 サターナは席に座ってしばらく無言だった。頭の中を駆け巡るのは、父を殺した者への復讐心と、その父親との思い出。黒々とした想いが胸を満たし、吐く息は熱を帯びていた。


 やがて、サターナは席を立った。彼女はひとり、王座の間を出て、周囲の景色が展望できる空中庭園へと向かった。


 制圧の際、踏み荒らされた庭園はお世辞にも綺麗とはいえないが、どうせ夜なのでそんなものは些細なことだった。

 ただ彼女は一人になりたかったのだ。憤怒に染まり、沸騰するような血液が駆け巡る身体を、夜風に冷やすが如く。


 吹き抜ける風は心地よかった。だが臭いはさすがに戦場のそれがまだ残っていた。血と炎と肉の臭いだ。しかしサターナはその臭いを胸いっぱいに吸い込んだ。戦場の空気――これが彼女の心をたぎらせてくれる。悲しみを癒し、怒りを掻き立てるための。


 背後に気配を感じた。


 誰かがこの庭園にやってきたのだ。従者か、あるいは伝令だろうか――放っておいて、と言いたかった。まだしばらく一人でいたい。それくらいのわがままが許される立ち場にサターナはいるのだ。


『サターナ様』


 一瞬、誰かわからなかった。サターナは振り返る。

 そこには黄金と黒い意匠の甲冑をまとった、角の生えた魔人――副将のバードルだった。



 ・  ・  ・


『ここにおいででしたか』


 バードル――慧太は近づく。

 広い庭園でひとりたたずむ黒髪の美女――いや魔人の女。綺麗で長い黒髪に混じる赤い炎のような色。背中には翼と尻尾。うろこ状の黒い甲冑をまとうサターナは、不機嫌なのだろうか、うろんな目を向けてくる。


『皆が心配しております』


 慧太は慎重に言葉を選びながら距離を詰める。いくら好意を寄せているとはいえ、いきなり抱きついたりするような関係ではない――バードルの記憶を辿りつつ、正しい振る舞いをとる。

 彼女から二メートルほど離れて、そこで片方の膝をつく。


『皆が待っております』


 姫に忠誠を誓う騎士の如き態度。忠実なる騎士の振る舞い。生前のバードルがしばしば彼女の前に示した行動。


『あなた……』


 サターナは腰に下げていた二十センチほどの筒に触れた。


『いったい誰?』


 誰――その言葉に、バードル慧太はドキリとした。見破られた! まさか!


『い、いったい、何を――』  


 やばい。声に動揺が乗った。顔を上げるバードルを、冷酷に見下ろすサターナ。


『上手く化けているつもりでしょうけれど、ワタシにはわかるわ。……あなた、バードルじゃないわね。いったい何者かし……らッ!」


 筒が瞬時に二メートル強の槍――穂先が長く螺旋を描くような意匠のそれは騎兵が持つ騎馬用の槍になった。その槍は、バードルの身体を貫く――寸前でかわした。


『やっぱり! 本物のバードルなら、ワタシの突きを避けたりはしないわ! 姿を現しなさい!』

「バレちゃ、しょうがない……」


 バードル――慧太は姿を変える。その姿は忍びを思わす黒装束。……さすがに学生服では締まらない。いざ正体がバレて戦うことになったとき、密かに考えておいたのだ。


『人間……?』


 やや驚きの表情を浮かべるサターナに、慧太は低い押し殺した声で告げた。


「お前を殺しにきた」


 手には小刀を握りこむ。


「クラスメイトと、お前らに殺された人間の仇をとらせてもらう……!」


 復讐に駆られた少年は武器を手に、魔人の将を睨みつけた。

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