拝啓 高岡俊様

 またお返事を頂けるとは夢にも思っていなかったので、今朝あなたの名前の書かれた封筒を見つけてとても喜びました。本当ですよ。先日の私の勝手なお詫びと感謝の手紙を気持ち悪く思われていないだろうかと数日間不安でいっぱいでしたので、またお優しい言葉を頂けて心からほっとしています。そしてまた、優しいあなたにお気を使わせてしまったのではないかとも反省してもいます。本当に、ご迷惑でしたら、放っておいて下さって構いませんからね。

 この頃特に寒い日が続いていますね。私の所では先日ついに雪が降りました。普段あまり降る事のない県なので、大した降雪量でもないのに交通網などが大混乱です。東京は今年はまだ降雪はないようですが、お体にはくれぐれもご注意下さいね。

 敬具

  石田麻希


 早瀬を泊めた土曜、彼女が帰った後、石田麻希からの二度目の手紙に返事を書き、その日のうちに投函していた。そしてその週の水曜の朝、石田麻希から三度目の手紙が届いた。家では妻の目があるので、学校の昼休憩に、食事と次の授業の準備を早々に終わらせて返事を書く。


 拝啓 石田麻希様

 度々の身勝手なお節介に丁寧に御返事を下さり、こちらとしても喜んでいます。手紙という媒体での交流はすっかり途絶えていたものなので、偶然がもたらしたこの出会いに、感謝と興奮をしております。

 東京は身を切り裂くような寒さが続いていますが、ありがたい事に雪はまだ降る気配がないですね。幸い僕の職場は家から歩いて行ける距離なので、降ったとしても通勤で困る事はあまりないかもしれません。ああそうだ、職場への道中に結構長くきつい坂があるので、そこは転んでしまう人が増えるかもしれませんが。

 あれから、まだ心は痛みますでしょうか。何があったのかは存じませんが、何か辛い事がおありだった事は、初めに受け取った手紙で事情を知らない僕にも痛い程に伝わりました。あなたの傷口を広げるつもりは毛頭ありませんが、もし苦しいのでしたら、僕にお聞かせ頂けないでしょうか。吐き出す事で楽になる事もあるといいます。その上これは手紙です。急かしもしませんし、時間制限もありませんし、目の前に相手もいません(あなたの言葉に相槌を打てないのは残念ではありますが)。気の済むまで思いの丈をぶつけて下さって結構です。

 放っておいて下さいなんて、言わないで下さい。またあなたと手紙で逢える事を、楽しみにお待ちしています。

 敬具

  高岡俊


「あら、高岡先生お手紙ですか? 珍しい」

 結びを書いていると、間近で生物の水野先生の声がした。慌てつつも自然に手元を隠しながら振り返ると、白髪の交じったショートボブが今日も様相を変えることなくそこにあった。

「ええ、親戚から長い手紙が来てまして。キーボードを使わずに文を書くというのも、なかなか面倒なものですね。生徒の苦労が分かる気がしますよ」

 実際、崩さない書体で日本語の長い文章をペンで書くというのは非常に手間のかかる事だ。国語教師の言う事ではないかもしれないが。

「どんな内容の手紙なんです?」

「ええ、旅行好きの従兄夫婦がいましてね。今回はスペインに行ったとかで、サグラダファミリアの壮大さを写真付きで自慢げに語られましたよ。こうも楽しそうに綴られると、自分も旅行に行きたくなってしまうからかないませんね」

 貼り付けた笑顔から、嘘は微塵の躊躇いもなく流れ出た。似たような内容の手紙は丁度去年の夏に受け取っていたので、それが助けになった。その後水野先生は他愛のない世間話をした後、授業の準備があると自席に戻って行った。


 嘘。

 この前早瀬を家に泊めてから、その単語が頭に纏わりついて離れない。土曜のドライブを終え帰ってきた妻に何をしていたと聞かれ、一人で本を読んで過ごしていたと答えた。彼女は一欠片の疑いもしなかった。僕は嘘をついて生きている。早瀬にも、妻にも、僕自身にも。石田麻希にだってそうだ。でも、僕の言葉にはヘドロのような醜い嘘がこびり付いているかもしれないけれど、そこにある心は、どれも本当なんだ。

 妻が大切だ。僕を信じ、支えて、僕に存在意義を与えてくれる。絶対に傷付けてはいけない。幸せにしなくてはいけない。だから嘘をつく。

 早瀬が大切だ。愛おしい。傷付いた彼女を放ってはおけない。絶対に見放さない。一人にはさせない。だから嘘をつく。

 石田麻希が気がかりだ。傷付いてはいないか。苦しんではいないか。悩んでいるのなら話を聞きたい。辛いのなら救いたい。だから嘘をつく。

 僕の事なら大丈夫だ。痛みはあるけど問題ない。それよりも君達が幸せになってくれ。笑っていてくれ。そうでないと辛いんだ。だから嘘をつく。僕は大丈夫だよ。大丈夫だよ。


 昼休憩の終わりを告げる予鈴が鳴った。いつの間にか苦しく乱れていた呼吸を急いで整え、手紙を引き出しにしまった後、教材を持って立ち上がった。周りでは他の教師達も慌ただしそうに動き回っている。僕の次の授業は、田中達がいる2-3だ。職員室を出て、教室に向かって歩く。深呼吸と、自己暗示。深呼吸と、自己暗示。

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