演劇部は、運動部に近いと思う。台本の読み合わせ等の演劇らしい活動の前には、腕立て、腹筋、背筋、スクワットといった基礎トレーニングを行う。運動が得意とは言えない私にはこれはなかなか苦しい。冬季は中止しているけど、秋の過ごしやすい時期には校舎周辺のランニングをしていた事もある。そして、他の学校はどうか知らないが、「たるえだ」というもので体を動かす。指示を出す人が一人いて、他の人は横に並んで両手をゆっくり左右に振りながら、小刻みに足踏みをする。指示者が手を叩いて「樽」と言えば、前方から樽が転がってくるイメージでそれを飛び越える。「枝」と言えば、迫りくる木の枝を想像し、しゃがんで避ける。指示の単語は自由で、例えば「ピストル」と言われたら、胸を押さえたり避けたり、即興でリアクションをしなくてはならない。体力とアドリブ力を付けるものらしいが、正直、はたから見たらかなり間抜けな行動だと思う。自分も初めは恥ずかしくて仕方なかったけど、先輩達が当たり前のように本気でやるので、次第に恥ずかしがっている方が恥ずかしいと思うようになった。その後発生練習と、表情練習――喜怒哀楽の指示に合わせ感情を強調した表情を作る練習――を経て、ようやく演劇部の活動開始となる。

「じゃあ台本の読み合わせやろっか。詩織さん、セリフ覚えられた?」

 田中さんが眼鏡の奥の目を細めて私に聞いた。私が高岡先生に勧められ入部したのが去年の夏。秋公演や学園祭では裏方に回っていたため、今回が初の演者となる。

「まだ自信ないですが、大分覚えてきました」

「うんうん」

 今回のシナリオは、田中さんが書いたものだ。中学の頃から演劇経験があるという彼女は、自分でシナリオを書いたりもするらしい。その舞台の監督をやりながら自分も出演するというマルチプレイヤーだ。

「じゃあみんな、覚えてる部分は台本見ないでやってみよう。曖昧だったら見ていいから、なるべく流れを止めないようにね」

 部屋の中央に椅子を四つ向き合う形で並べ、みんなで座る。二年生の青色のジャージの中に、一年生の薄緑色が一人だけ。この学校は体操着と靴の色で学年を識別するが、私はこのライムグリーンの色が好きではなかった。先輩達の落ち着いた青の方がいいな、と思う。三年生は小豆色で、これも不評らしい。学年が上がれば色が変わるわけではなく、三年間付き合い続けるものなので、我慢するしかないのだけれど。

「じゃ、始めるよ」

 監督の田中さんが手を叩き、読み合わせが始まる。台本を開き、指で追いながら、自分の出番を静かに待つ。今回のお話は、中世西欧風の架空の世界が舞台で、科学者の主人公アレックスと、その妻マリア、彼らの友人達のニコラスとエイミで構成される。人数の少ないこの部でも問題なく演じられるように配慮がされている。私は、憧れてはいけない相手に、叶わぬ恋をしてしまう、エイミの役だった。始めに台本を渡されて家で読んだ時、エイミの気持ちが悲しいくらいに分かってしまい、後日のオーディション――配役を決める為に全員が全ての役のセリフを少しずつ読み合う――で、一番気持ちが乗ってると田中さんに評され抜擢された。

 主役のアレックスは三浦さん。背が高いのでいつも男役をやらされると嘆きながら、しっかりと役にハマっている。妻のマリアは藤野さん、ニコラス役の田中さんが続き、自分のセリフが入る。台本を指でなぞりながら、目を閉じて息を吸い、覚えている言葉を発音する。読み合わせは既に何度か行っているけど、緊張してしまうのはなかなか慣れない。

 躓くことなく話は終盤まで進み、クライマックスに差し掛かる。みんなの感情も昂っているのが分かる。目を閉じると見える、この、言葉と想いの奔流。それは時に青だったり、赤だったり、緑だったり、澄んでいたり濁っていたり、優しかったり、激しかったり。その中に、今自分も佇んでいるのだという事が、時々不思議に感じる。

 やがて私の一番好きなシーンが来た。静かな呼吸をして、心に彼を思い浮かべる。痛みが胸を縛る。衝動のように、言葉が流れ出る。

「あなたの前には、マリアしかいないのは知ってるよ。ずっと知ってたよ。それでも私は」

 突然背中の方でガラガラと扉の開く音がしたので、私は飛び上がる程驚いた。田中さん達がそちらに視線を向け、挨拶をする。

「おはようございます」

「あ、ごめん、読み合わせ中だったか。気にせず続けて」

 高岡先生の声だった。カラカラと静かに扉が閉まる音がする。私の位置からは見えないけど、足音がしないので、先生はその場で立って私達を見ているのだろう。

 田中さんが私に視線を向け小声で指示を出す。

「詩織さん、いいよ、続けて」

「……それでも、私は」

 物語に乗せていた感情が途切れてしまった。心がエイミ・フロイゼルではなく、早瀬詩織になってしまう。見えもしないのに先生の視線を感じる。身体が恥ずかしさに熱くなっていく。

「私は、どうやっても、あなたを、消せないんだよ……」

 自分の声が小さくなっていくのを感じた。顔や耳まで赤くなっているのではないかと思うほど熱く、汗が噴き出してくる。先生も台本を渡されて読んでいるはずだから私が恥ずかしがる事などないのだけど、全身で縮こまって、形をなくして、ただのライムグリーンの塊になってしまいたい。

 エイミの叶わぬ恋の相手役、三浦さんが小さく笑って、セリフを続けた。狂気の主人公の、残酷なセリフを、女子高校生の艶やかな唇で。

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