第10話 新たなる脅威
トレヴァー似の怪物と一戦交えている最中、夜の闇にルドルフの親友、アルヴィドの叫び声が響いた。
この状況を放り出していいのか、少し思い悩んだが、友人の危機を察したルドルフは、声の方角へと駆けていく。
「アルヴィド……。無事なのか」
どうやら腰を抜かして、立ち上がれないようだ。
人一人入れそうな路地に、視線が釘付けになっている。
「どうした、何が起きた!」
ルドルフは声を掛けつつ、周囲を警戒する。
が、人ならざる者の異様な気配は何も感じられなかった。
「何に驚いてるの」
「わ、わからねェ。でも、ハッキリこの目で見ちまった……」
アルヴィドは重い口を開く。
普段は強がって、他人に弱みを見せない彼が怯えているのだ。
余程の事態だ。
尋ねてはいけない、尋ねるな……。
ルドルフの心が、警笛を鳴らす。
「……何を見たんだ」
だが、好奇心にルドルフは抗えない。
聞いてしまった後、彼は心底後悔した。
「……化け物が、化け物が、人を……食っていた」
アルヴィドの思わぬ言葉に、ルドルフの背筋が凍り付く。
食人鬼が、この街に潜んでいるというのか。
敵わなかったのに、あと何匹か、怪物が闇に紛れ込んでいる。
今の自分では、力でも知識でも、解決に導く力は持ち合わせていない。
ルドルフは無力感に打ちひしがれ、その場で項垂れた。
「お、俺は何も出来なかった……。座り込んで、ただ食われるのを……」
慰めようとアルヴィドの背に触れると、水浴びでもしたかのように、汗でびっしょり濡れている。
「自分を責めても、良いことなんてないよ」
「俺は何もしてやれなかった……。なりふり構わず助けることも出来た筈なのに!」
事件の現場にいながら、彼を見殺しにしたアルヴィドは、強い罪悪感に苛まれているようだった。
でも怪物の食事に水を差しても、食われた人が助かったかは定かでない。
失敗を悔いても、今更仕方がないのだ。
「仮に君があがいても、彼の命はどうにもならなかったよ。だから、君のやったことは間違ってないさ」
不運を嘆いても、 説明した状況から推測するに致し方ない。
「 お前、それでも英雄の……!」
「英雄の」まで言うと、アルヴィドは 口を噤んだ。
動転しながらも僕への禁句を控える限り、 彼にも自制心は働いているようだ。
一度溜息を吐くと
「しょうがないよ、それが彼の宿命だったんだ。アルヴィドが無事で何よりだ。」
ルドルフは淡々と吐き捨てた。
「何で……」
弱々しい声量で、アルヴィドが遮る。
「夜が明けないことには分からないけど、犠牲者は一人、二人じゃ済まないだろうね……。食い止める術も思いつかないから、どうしようもないな」
だが、僕は構わずまくしたてた。
怪物がどういった原理で、僕の攻撃を恐れるようになったのか分かりさえすれば、怪物避けとして応用できそうなのだが……。
言うべきか言うまいか、少しばかり思案したが、この事は伏せておこうとルドルフは決断した。
今の状態のアルヴィドに情報を与えても、無用に混乱を招くだけだ。
「なんで……どうしてお前はそう冷静なんだよ! 人が死んでるんだぞ! もっと取り乱したりしろよ、じゃないと俺……」
「アルヴィド、どうしたんだ。いつもの君らしくもない。どうだっていいだろう」
「お前なぁ、言っていいことと悪いことがあんだろ! 赤の他人で何の思い入れもねェけどよ、それでも死んだって構わないなんてあんまりじゃねぇか……」
感情的になって、彼はルドルフの肩に掴みかかる。
フェイスラインをなぞるかの如く、彼の目から大粒の涙が頬を伝っていた。
「……悪かったよ。そうだ、落ち着く為にリンゴ酒でも飲むかい」
「要らねぇよ! うぅ……」
たかだか人が一人死んだくらいで、何を喚いているのだろう。
冒険者を続けていれば、 魔物に食われた凄惨な遺体に出くわすなど、日常茶飯事だ。
第一戦争なりで、人の命が資源として消費されるのは、 歴史上不変の出来事。
一人死ぬ度に泣いていたら、体の水分が全て涸れてしまうぞ。
それに冷静さを欠く言動は、風邪のように瞬く間に周囲に伝染する。
複数人で行動を共にするのなら、 感情優先で動き、他人を振り回すのは迷惑千万だ。
噛み傷や歯型、近くの足跡から襲った魔物を特定することも然程難しくない。
この調子では、遺体の状況から読み取れるものも、読み取れなくなる。
勉強嫌いな割に頭は悪くないのに、あまりに情緒的だ。
アルヴィドに冒険者の才能はないようだ、先が思いやられる。
ルドルフは憐みの視線を、彼に向けた。
まぁ、嫌でも場慣れしていくが。
僕に好き放題怒りの感情をぶつけた後、雪山で休息を取る登山家のように アルヴィドは蹲(うずくま)って体を震わせた。
それが夜の寒さのせいではないことは、確かだった。
「大丈夫だ。頼りないかも知れないけど、今は僕が付いてるよ。アルヴィド」
悠長に、彼を慰めている場合ではないのだが。
生を受けたものは必ずいつか死ぬ、僕も君も。
だが正直に応答したら、逆上するのが目に見えている。
「僕が冷静だと言ったね、君にはそう見えるんだろう。僕は僕なりに悩んでるよ、君だってそうだろう」
達観していると言えば聞こえは良いが、冷めていると例えるのが、より正確だった。
自然の摂理に従って生きているだけだ。
「……お前だって何かあったら誰にも打ち明けずに、一人で抱え込むじゃねぇか。そんな奴に俺は秘密なんて曝せねェよ」
「そうだね、君にとって僕は信用ならない相手なんだろう。構わない、疑われる僕に原因があるから」
自分の本質を見抜くような発言に、ルドルフは内心ハッとなる。
そして彼もまた、人に言えない悩みを抱えているのだと言葉の節々から伝わった。
「……馬鹿か、好きでもない奴に喧嘩なんて吹っ掛けるかっての。だけど、さっきの言葉は聞き捨てならねェよ」
こういった時の彼は質が悪い。
ルドルフは、長話になるのを覚悟した。
蛇のようにしつこく、ねちねちと攻めてくる。
「取り消すつもりはないよ。守れる命を守る、それが冒険者として正しい在り方だと自負しているから」
でも、 友人は特別と付け加えた方がよかっただろうか。
赤の他人を優先し、親しい人たちを見捨ててまで、英雄気取りも愚かしい。
人間を数字で捉えて、身近な個人個人に目を向けない方が、余程人の尊厳や人生を冒涜している気がするのだ。
「変わっちまったな、お前。いつからだろうな、そうなったの」
戦う者が命を落とすのは、自然界では当たり前に行われている。
しかし、城壁内で事件が起こるとは思わなんだ。
視界も不明瞭な夜の見回りに限界があるとはいえ、死亡事故を起きた責任は、自警団の人々と自分にある。
「わ、悪い……。ちょっと取り乱しててよ、すまん」
別に謝られることでもない。
どうにかしないと、際限なく被害が広がってしまう。
それだけは、何としても食い止めないと。
「売り言葉に買い言葉で返すのは僕の悪い癖だね。でも、そう接するのは君とダグマルだけだからさ……」
ルドルフは本音を吐露した。
今まで仲のよいハンナやダンに、心の底から話し合うことはできなかった。
理由なく嫌われている内に何処かで、人間への不信感が根付いてしまっていた。
きっと彼らも都合が悪くなれば、 ルクス出身の人間の一人として、僕を差別する側に回るに違いないと。
そういう意味では、ルドルフが真に信頼できるのは、幼馴染の二人だけだった。
恥ずかしくて茶化す時以外は口に出せないが、かけがえのない友達だった。
欠けたら、 どうなってしまうかわからない。
珍しくルドルフが素直に大事な存在であると伝えると、アルヴィドは押し黙る。
眼をこれでもかというほど見開いて、 恐怖心に打ち勝とうとしているのが見て取れた。
「それに、すぐにでも逃げたい気持ちを自制して偉いと思うよ」
少し上から目線になってしまった自覚はあったが、 ルドルフは続けた。
友人として励ましの言葉としては不適切かも知れない。
しかし同年代ではあるものの、早生まれの年長者として僕が彼を諭すのは、何ら可笑しいことではないだろう。
今彼を支えられるのは、横にいる僕だけだ。
肉体でも精神でも、どちらでもいい。
強くならないと、誰も守れやしない。
「大丈夫かい。怪我はない、アルヴィド。あるなら、治してからいこう」
早く逃げたいと逸る気持ちを抑え、優しく言葉を掛けた。
傷があれば治療しておかないと、逃げるに逃げられない。
親友として放置はできないし、もしもの時は僕の命にも係わってくる。
共同体が生き残るには、安易に同胞を自己責任で切り捨てず、助け合うことが重要だ。
「え、平気だよ。だって、襲われたりはしてねェからよ」
あっけらかんと、彼は答える。
ルドルフは拍子抜けしてしまった。
「怪物は何処へ」
会話を途切れさせたら闇に潜む何かが、姿を現してきそうで、間髪入れず聞いた。
「俺だって知らねェよ。眼と眼が合って、瞬きしてる間にどっかに消えちまったんだ。クソ、いったい何がどうなってやがる」
アルヴィドは首を横に振ると、動揺を隠しきれないといった様子で怒鳴り散らす。
「取り敢えず、今取るべき行動を取ろう。キミが見たのは幻覚なんかじゃなく事実だ」
彼の精神を落ち着かせる為、口裏をあわせた訳ではない。
叫び声は、他の人々も耳にしている。
このルクスという国が、何か良からぬ陰謀に、巻き込まれていることだけは確かだった。
「……信じてくれるのかよ。正直言って、与太話だからな」
「当たり前じゃないか、僕とアルヴィドの仲だろう」
普段であれば、ただの与太話として僕も聞き流していたかも知れない。
だが今、死人が蘇るという非現実的な出来事を体験したばかりだ。
先ほど起きた事件と、関連している可能性は捨てきれない。
一語一句余さず、聞いておかないとだめだ。
邪魔な髪を掻き分け、長耳をぴくぴく動かしつつ、ルドルフは傾聴する。
「あんがとよ、ちょっと気恥ずかしいな」
はにかみながら、アルヴィドは鼻を触った。
素直じゃない彼は、直接的に好意を伝えられるのが一番弱いらしい。
しかし トレヴァーを模した怪物は突然に襲い掛かってきたが、 襲えない理由でもあったのか。
話を聞いた限りでは、その怪物は霧のように姿を消したらしい。
霧になっていつでも逃げられる筈なのだから、 口封じに殺されても可笑しくなかった。
一体だけでも頭が痛くなりそうなのに、もう一体 厄介な捨て置けない存在がいるなんて。
ううむ、謎が謎を呼ぶばかりだ。
最も憂慮しなければならないのは、怪物たちが人を殺すことに躊躇いがないこと。
対応を間違えれば、どんどん町人が……。
最悪の事態を連想すればするほど、 取り逃がすべきではなかったと、後悔の念が彼を襲った。
なるべく考えたくないが、現実逃避しても始まらない。
溜息をつく度に、ルドルフは体がズシリと重くなっていく。
賢者の石を精製しようとする錬金術師の如く、ルドルフは答えのない問いを模索し続けた。
情報を共有して考えを深めてもいいが、 僕が町人に危険だと説明しても 、無駄なのは分かり切っている。
この場にいないダグマルを含め、信頼できる数人には話しておこう。
そして彼らから伝えて貰うのが無難か。
「アルヴィド、早く此処から逃げよう。」
とにかく此処にいては危険だ。
他の場所で暴れ回っていないか、 宿屋に損害がないかも気になる。
「起き上がれるかい」
「あ、ああ……」
アルヴィドは差し伸べた手を取ると、曖昧な返事をした。
心ここにあらずといったような状態で、 何か考え事でもしているようだ。
余程大事なことなのか。
気になったものの、敢えて訊ねることはしなかった。
ルドルフとアルヴィドにとっての忌まわしい夜は、これから彼らの身に振りかかる波乱を予感させた。
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