第8話 怪物

夜、遠吠えにも似た奇声を調査したルドルフは、声のする方へ向かった。

すると、中肉中背の男がぼうっと立ち尽くしていた。

夜警の目印である黒のケープを着衣しており、ほっと胸を撫で下ろした。

もしや彼が全てを解決してくれたのだろうか。

淡い期待を抱きつつ、ルドルフは話し掛ける。


「お疲れ様です、今は何をしているのですか」

「……」


その男は、ルドルフはいくら話し掛けても黙り込んだままだった。

これでは会話にならない。

一体どうしたというのだ。

様子が可笑しい男にルドルフは警戒する。

トレヴァーを殺した者が市街に紛れ込む為に、夜警から衣服を奪った可能性も 排除してはいけないだろう。


「何をしているのか、聞いているのですが」


万が一を考え、一定の距離を保ちつつ問う。

語気を強めて言ったが、男はルドルフの言葉を無視した。

無視するというなら、多少強引な方法でも構わない。


「ちょっと、話を伺いましょうか」


ルドルフは手首を掴む。

彼が触れたその男の肌は、まるで死者の体のように冷たかった。

ルドルフは思わず手を離す。

得体の知れないその男に、彼は恐怖した。

何より鮫の肌のように、ざらざらとした感触がまだ手に残っている。

何だ、この男は?!

逃げ出したい気持ちに駆られ、怖気つくルドルフの頭にダン、ハンナの顔を浮かんだ。

殆どの市民は城壁に囲まれたこの国で過ごし結婚をして、価値観が一変するような出来事も経験せずに、親世代の価値観を、つまりエルフへの嫌悪感を受け継いで一生涯を終える。

が、彼らは違った。

エルフの血が流れているというだけで理由もなく毛嫌いされる自分に、分け隔てなく接してくれる善良な人たちも、片手で数えられる程度だがいるのだ。

彼らを守りたい。

僕の力は力無き者の為に有る。

武力を持たない彼らを守る為に戦いたい。

勇気を振り絞って、再度詰め寄った彼が男の足元に目を遣ると、何かが転がっているのが分かった。


「ん、これは……」


ルドルフが小さく呟く。

よく見ると細長い物体の上に、白の布が覆い被さっている。

これは、彼の所有物なのだろうか。

一応許可を取らないと。


「この布、取っても構いませんか?」


ルドルフが訊ねても、だんまりを決め込む。

相変わらず、この調子か。

うんともすんとも答えない男に対して、一層疑念が募っていく。

協力する気がないというのなら、勝手に調べるほかない。

とはいえ、人に黙って彼の良心を咎めた。


「えっと、よろしいですか?」


ルドルフがチラチラと男に眼を向けるも、反応することはない。

業を煮やしたルドルフは布を勢いよく取ると、足元に置いたカンテラがうつ伏せに倒れ込んだ人の姿をぼんやりと映し出した。

これだけ揃えば、決定的だ。

この男が一連の事件の首謀者か!?

職業柄、彼は人が死ぬ姿は既に見慣れていて、叫びはしなかったが、命の危険を感じた心臓は早鐘(はやがね)を打った。

状況から鑑みると、この者が殺したとしか考えられない。

先ほどまで穏やかだったルドルフの呼吸も、交尾中の獣の息遣いのように、激しくなっていった。


「貴方が殺したのですか?」


ルドルフは息を呑む。

男は首を縦にも横にも振らず、ルドルフの方を向くこともしなかった。

黙られていては困るのですが……。

口に出そうになったが、すぐ言葉を飲み込んだ。

どうやら僕と意思疎通を取る気はないらしい。

ルドルフは行動から、それを察した。

不気味だが、一連の事件の重要な鍵を握っていることは確かだろう。

もし逃亡するというなら、力づくでも……。

槍に手を掛け、いつ戦いになってもいいように備えた。

手荒な真似は避けたいが、抵抗するのであれば致し方ない


「沈黙は肯定、と捉えて宜しいのでしょうか」


事件現場に居たから、犯人というのはあまりにも暴論が過ぎる。

だが、この場に突っ立ったまま黙して語らないこの男が、事件と無関係とはどうしても思えない。

それに加えて、右手にはショヴスリを握り締めていたのだ。

何故、この男は彼の持ち物を……。


「それはトレヴァーさんの武器ですね。何とか言ったらどうです?」


振り返った男は、ニタリと不敵な笑みを浮かべて、ルドルフを見遣った。

蒼ざめて生気こそなかったものの、ルドルフは間違いなく男の顔に見覚えがあった。


「トレヴァーさん!?」


死んだ筈ではなかったのか。

いや、墓場から死者が蘇る話は枚挙に暇がない。

生者なのか、死者なのか。

そんなことはどうでもいい。

死んだ筈の人間が起き上がるという、常識では有り得ない出来事を、僕は今体験している。

それだけで充分だ。


「ブォォォ……」


男が左手に持った角笛を吹き鳴らすと、物悲しい音色が響いた。

初めから冒険者を招くつもりで、角笛を鳴らしていたのか。

行動から推察するに、この魔物は多少の知性も有しているようだ。

恐怖心を抱きつつも、ルドルフの頭は冴えていた。

今、目の前に立っているのが本物のトレヴァーであるか、そうでないかは然して重要ではない。

もし市民に危害を加えるような邪悪な存在であるなら、倒さねばならない相手だ。

ルドルフは無理に納得させた。

迷っていては攻撃が鈍る。

彼を騙る男は、僕の手で屠らねばならない。

強く自分に言い聞かせる。

どちらにせよ、人間でないことは確かだ。

ルドルフは背中の槍を構え、男に一喝した。


「魔物よ、来い。貴様にトレヴァーさんの死を冒涜させはしない!」


臨戦態勢を取ると、男も同じように構えた。

彼は相手に対しては礼儀を重んじる人間であったと、風の噂で耳にしていた。

誇り高さも、生前のトレヴァーと瓜二つだ。

彼と親しかったハンナを思うと、二度殺すのは偲びなかったが、この状況では致し方ない。

槍の名手として一度は手合わせしてみたいと思ったが、まさかこういった形で戦う羽目になるとは。

ルドルフは、己の運命を呪った。


「では、参ります」


右手に持った槍を水平に構え、 トレヴァーに向けてルドルフは呪文を詠唱した。


「繁茂と竜を統べる神に捧げる。我の呼び掛けに応じ、氷矢が敵を貫かん。サギッタ・スティーリア」


ルドルフの持つコルセスカは、人体のマナを伝導し易い鉱石で作られた、魔術師の杖の代わりにも扱える特別製だ。

呪文を発すると、水色の魔法陣が、ルドルフの足元に浮かび上がる。

火属性は赤、水属性は水色といった具合に、詠唱に応じて各属性毎に対応した色の魔法陣が現れる仕組みだ。

魔術を唱えている際には 結界が展開され、何人たりとも攻撃を加えることは出来ない。

詠唱を終えると、槍の穂先からビュゥゥゥゥ!

勢いよく放たれる矢のように、音を切る程の凄まじい速度で氷柱がトレヴァーに向かっていく。

その光景は、藁に槍を突き刺す、達人のような一突きであった。

男は体を若干動かしたが、避けることは叶わず、氷柱が無情にも左胸、心臓のある部分に突き刺さる。

威力も、突き刺した場所も、申し分ない。

男の体からは血が噴き出し、痙攣したように震えている。

流石に、この状態で生きている筈はないだろうが……。

だが、安心はできない。

知能がある生命体なのだ。

死んだ振りをして、再び襲い掛かることも念に入れておく必要がある。

完全に死を見届けてからでないと。

暫しの間、彼は男が絶命するまでの様子を眺めた。

同行する冒険者に、時に悪趣味とルドルフは非難されることもあった。

けれど、これが僕に取りうる最善策だ。

男は眉一つ動かさず、寝入るかのように安らかな表情を浮かべて、立ち尽くしている。

流石に亡くなった筈だが……。

倒しただろうかと安堵したが、すぐに期待は裏切られた。

死んだと思われた男は、涼しい表情で突き刺さった氷柱を引き抜いたのだ。

血が止め処なく噴き出しているというのに、生きている。


「……なっ」


まさか何ともないのか?!

ルドルフは目の前で起こっている出来事に戦慄した。

死を超越した存在。

生物である以上、絶対的な死からは逃れえぬ筈だ。

それなのに、何故彼は平然としているのだ。

脳の処理が追い付かない。

あまりに常軌を逸した事態に、ルドルフは硬直してしまう。

まずい、早く戦闘態勢に入らないと。

しかし心では反応できても、体は思うように動かない。

ルドルフが男を見遣ると、肉食獣のような鋭い歯を剥き出しに、彼を見て舌舐めずりする。

その姿を見て、、もう自分の知っているトレヴァーではないことを、ルドルフは察した。


「く、来るな! 化物!」


悟ったルドルフが、罵声を浴びせかける。

しかし怪物は意に介さず、徐々に間合いを詰めていった。

次第に縮まる距離に、冷や汗が背中を伝う。

これ以上近付かれたら……。


「ゲハハハ……」


心の内を読んでいるのか。

動揺しているルドルフを嘲るように、怪物が微笑んだ。

かつての面影は既になく、理性のない化物として、彼はルドルフの目の前に立っていた。


「ガァァァ!」


吠えたと同時に石畳を蹴り上げ、彼の体が宙を舞う。

まずい、距離を詰められたら。

咄嗟に後ずさり、間合いを取ろうとした。

―――速い、反応が間に合わない!

弾丸のような速度で向かってきたトレヴァーは鬼が金棒を振り回すかの如く、両腕を武器代わりにルドルフに対して振り回す。

避けられ……。


「ガッ……」


車に引かれたかのような衝撃が、容赦なく彼を襲う。

ルドルフはゴム鞠の如く二度三度跳ねて、吹っ飛んでいく。

彼が打ち付けられた路上には、雨後の水たまりのように血が溢れていた。

ルドルフは、力なく空を仰ぐ。

とても真っ暗だ……。

今、暗いのは夜だからか。

それとも死後の世界なのか。

遠のいた意識でも、このまま傷を放置すれば、命に関わることだけは明確だった。

目を見開いて、拳を握り締めながら、生まれたての小鹿のように体を震わせて、ルドルフは体を持ち上げようと奮起する。

が、立ち上がろうにも腕に思うように力が入らなかった。

早く起き上がるんだ、早く。

さもないと、死ぬぞ!

叱咤激励し、自分を追い詰める。

が、どうにもならない。


「グッ……畜生ォ……。こんな所で……」


英雄になるなんて、僕には無理だったのかな、父様、母様……。

僕は何者にもなれず死んでいくのかな……。

走馬灯がルドルフの頭を駆け巡ると、彼の目頭から生暖かい物が込み上げた。

それが血なのか、あるいは涙なのか、今の彼には分からなかった。

父様、母様。

先立つ不孝をお許し下さい……。

ルドルフの意識が飛びかけ、重い瞼を閉じようとした瞬間

「生きるんだぞ、どんなに辛いことがあってもな……。まぁ、俺の子だ。こんなこと、わざわざ言わなくてもよかったか」

幼い頃に父が掛けた言葉が、彼の脳裏に蘇る。

髪をくしゃくしゃになるまで、撫でてくれたこと。

暖かな視線で、僕を眺めたこと

信仰や社会的な立場など関係ない、一人の父としてルドルフに掛けた言葉だった。


「……父様の教えを守らなきゃ」


そうだ、ここでは死ねない。

僕は絶対に生き残る……。

這いずってでも、絶対に……。

ルドルフは気迫を込めた視線で、男を見据える。

絶好の好機だというのに、怪物は何故だか追撃をしてこない。

もう死んだと思われているのか。

ちんたら時間を掛けて戦うというならば好都合だ。

槍に魔術。

それに多少の魔術道具も携帯している。

お前と違って、攻撃の手段は豊富だ。

こちらの態勢が整ったら望み通り遊びに付き合ってやる、化け物め。

ルドルフは心中で化け物に毒づいた。

それはともかく意識のある内に、回復せねば。

効能の高い回復魔法は、今の体には負担が大きい。

自然治癒力を上げる魔法が無難だ。


「治療と失明を司る神よ、汝の力添えによって我に死と再生を、繁栄と衰退を、治癒と病を……レフェクティオ」


心臓を掴みつつ、治癒魔法を唱える。


「グッ、アァ……」


が、ヒリヒリと痛みが走った。

痛みに耐えるルドルフの首筋には、玉の汗がぽつぽつと浮き出た。

マラソンランナーのように息が上がって、呼吸が早くなる。

あまり大きな声を上げては気付かれてしまう。

声が漏れないように、ルドルフは唇を噛み締めた。

無理は禁物、と言いたいが、力を出し惜しみして勝てる相手ではない。

呼吸を整え、楽な姿勢のまま、時が過ぎるのを待つ。

暫くの間寝転んでいると、徐々にではあるが、体は動くようになっていく。


「ハァハァ……、これでやられると思うなよ。僕はな、英雄の息子なんだぞ! 死に場所は此処じゃない! 僕が自分で決めるんだ!」


怪物を睨みつけ、彼は吠える。

ルドルフは立ち上がり、酔っぱらいのようにフラフラとなりながらも強がった。

彼の脳内には此処にいないハンナやダン、アルヴィドやダグマル、父母のことなど既に頭になかった。

過剰なまでの自負心だけが、今の彼の支えだった。


「ググゥ……」


道の中央を優雅に歩きながら、男はルドルフに近寄っていく。

後ずさるも体が本調子でないせいか、距離は離れない。

このままでは、さっきの二の舞だ。

なら、怖くても前に進むしかない。

―――前に!


「ウッ、アアァァァ!」


雄叫びを上げながら、ルドルフが男に捨て身の体当たりをお見舞いする。

と、予想外の攻撃だったのか男は体勢が崩して、仰向けになった。


「ハァハァ……どうだ、思い知ったか! 」


ルドルフは感情に身を任せて、罵った。

怪物は、さっき僕の安い挑発に乗った。

言葉で、行動を制御できるやもしれない。

市民に被害が出ないよう、誘導しなくては。

病み上がりの体でも、頭をフル回転させる。

が、男はなかなか立ち上がらなかった。

男が起き上がる動きは牛の食事のように緩慢で、その意図がルドルフにも理解できた。

こいつは、僕をいたぶっているのだ。

子供の遊びに付き合う大人みたいに手心を加えて、此方のペースに合わせているのだろう。

弱者である僕と、じゃれている感覚なのだ。

お前如きいつでも殺せる、とでも言わんばかりの行動はルドルフを激昂させた。

ふざけやがって、人の命を何だと思っているんだ。

沸々と怒りの感情が湧き上がった。


「怪物め、僕はお前を許さないぞ……」


動きすぎたのか、ルドルフの体の傷口が開く。

地面にはポタリポタリ、血が一滴、また一滴と垂れ落ちていった。

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