第7話 罠

夜風は涼しく、心地よい。

この時代には野外に電灯などなく、夜に出歩くときはカンテラや蝋燭を片手に持たなければならなかった。

ましてや状況で無策で行動するのは、自殺行為に等しい。

ルドルフとアルヴィドの二人は、敵と遭遇した際にどうするか、少々立ち話をした。


「どうするよ」


アルヴィドが訊ねる。


「一瞬の隙さえ作れれば、僕が始末するよ」


手首を擦りながら、白い息を吐いてルドルフは返事した。


「で、どうやって」


ルドルフが少しばかり思案しているのをよそに、アルヴィドは口を尖らせて、答えを今か今かと待った。


「……そうだね。僕の闇属性魔術で眠らせた後に身ぐるみを剥がして縛り上げる。これでどうかな」


アルヴィドは不満気だった。


「何か問題あるかい?」

「……いや、その作戦だと俺ァ必要ねーなと思ってよ」


自分が活躍できず、腑に落ちないといった様子だ。

しかし、人命が第一だ。

最も安全な策に従って貰わねば。


「あくまで人であれば、だよ。魔物には実力行使もやむを得ないから、アルヴィドにも役目はある」


なあなあにすると、彼は一人で突っ走りかねない。

ルドルフは戦う機会がある筈と適当に誤魔化した。


「二手に分かれようか。そっちの方が効率的だからね」

「いや、戦力の分散は愚策だ。一緒に行動すべきだぜ」


意見が噛み合わない。

が、まとめる為に時には自分から折れるのもリーダーの役目だ。


「キミの意見も一理ある。二人で片付けようか」


簡単に策を講じると、再度身支度を整える。

ルクスの夜は、ルドルフに里を彷彿とさせた。

オーク林が立ち並び昼間でも薄暗い夜闇の森には、沢山のオオカミが棲んでおり、時折死者すら出た。

信仰の対象である為に退治されることは一切なく、夜毎オオカミが鳴く度に体をブルブルと震わせて 母にしがみついて寝た。

が、理屈では生きていく上で、他の命を犠牲にして 自分が成り立っているのだと理解できた。

その法則は、動物であれ魔物であれ変わらない。

人間も亜人も、自然の中では食物連鎖に組み込まれているのだ。

しかしルドルフが今感じている恐怖は、今迄のものとはまるで性質が違った。

食事という、命を奪う大義すらない何者かが、明確な殺意を持って闇の中に身を潜めている。

それが恐ろしかったのである。


「おい、大丈夫か」


アルヴィドがルドルフに呼び掛ける。

心配されるくらい考え込んでいたのか。

アルヴィドの言葉で、彼は少しだけ落ち着きを取り戻した。


「ああ、ごめん。早く声の方へ向かわないと駄目だよね」


指で方角を指し示して、ルドルフが人懐っこい笑みを浮かべた。


「分かってんなら、魔法で辺りを照らしてくれ」


二人の扱う武器は槍と弓。

どちらも両手が塞がってしまう。

戦闘中に持ち変えるなど、器用な真似はできない

それ故初歩的な光の魔術でも、薄暗い環境を探索の拠点にする冒険者にとっては需要が高いのである。


「了解」


深呼吸をすると、体の奥底から力が湧いてくる。


「天に聳える神の恩寵、遍く命に等しく降り注がん、ルクス」


詠唱すると占いで用いるガラス玉大の橙の球体が、フワリフワリとルドルフの頭上に浮かんでいった。

闇を払って、彼の姿を鮮明に映し出す。

アルヴィドは薄くて丈夫なミスリルの鎧を身に纏っていた。

弓を引く際に指が傷つかないように、革の手袋をはめている。

準備は問題ないだろう。

ルドルフはアルヴィドに目配りする


「ああん、何だよ」

「アルヴィドも頼むよ。視界は広ければ広いほどいいからね」


ルドルフは彼にも魔術を使うよう促した。

同じ口上をアルヴィドが復唱すると、彼は愚痴っぽく言った。


「……チ、まだ敵わねぇか」


彼の球体は手の平サイズの程の大きさで、ルドルフの光の球体とは数倍の差があった。

術者の実力が、如実に表れる瞬間。

魔術を扱う者にとって一番屈辱的なのは、酷使されることではなく、身近に自分より優秀な魔術師がいることなのだ。

酷な現実に自尊心を傷つけられて、卑屈になることも少なくないという。


「クソ、次会う時は負けないからなッ」

「それはいいから、早く探そう」

「んだよ、落ち込んでなんかねーからな。言われなくても行くっつうの」


二人は歩み出すとコツコツコツコツ……。

暗闇で、二人の足音だけが響く。

時折気配を感じて注視するものの、只々闇が広がっているばかりで、人はおろか、自分たち以外の生き物は殆どいない。

いない、いないが……。

突然奇声を上げながら、襲い掛かってくるやもしれない。

闇の中にいる怪物が、今か今かと二人の命を狙っているように感じられた。

今、この場所には父様も母様も不在だ。

誰も助けてなどくれない。

怖くなんかないぞ、怖くなんか……。

ルドルフは唇を噛みしめて、進めていく。

歩を一歩一歩と進めていく度に、足は重くなったように感じ、何かが纏わりつかれているかのような錯覚に陥る。

わざわざ足元を確かめずとも、ルドルフには分かった。

僕は恐れているのだ。

恐怖という感情は、何度経験しても慣れないものだ。

けれど死を怖れる本能のお陰で、今日まで何事もなく済んでいる。

恐怖心に対する捉え方を変えると、少しばかりルドルフの肩の荷が下りた。

深刻に捉えすぎている。

このままではアルヴィドにも、迷惑を掛けてしまう。

僕がしっかりしていないと、彼まで雰囲気に呑まれて、ヘマをやらかしかねない。

高鳴る鼓動を抑えようと、ルドルフは思考を巡らせる。

夕方に起こった出来事だ。

案外犯人は、今頃くつろいでいるのかも。

考えると、気にしているのが馬鹿らしくなってくる。

けれど、あの奇声は……。

そう易々と不安感は拭えなかった。

心が休まるよう、恐怖心を刺激しない言葉を自分に掛けて、ルドルフは精神の安定を図った。

プレッシャーに押し潰されるのも駄目だが、楽観的になりすぎるのもいけない。

今、自分に出来ることは限られている。

先ずは原因を確かめること。

必要があれば戦闘に発展するが、魔術で眠らせるなりして、身柄を拘束すればいいだけだ。

生け捕りで、刑罰は国に一任する。

周りは暗いものの、普段行っている魔物の討伐と比べれば、難易度は易しい。


「アルヴィド、一つ一つ虱潰ししていこう」


腹を括り、腹から声を出して言った。

何もなければ構わない。

僕は死なないだけの用意をしているのだから。


「ああ、そうだな……」


覇気がない。

アルヴィドの言葉数が、いつもより少なく感じた。

鼻で息を吐く微かな呼吸音だけが、ルドルフの耳に入ってくる。

口では強がっても、怖いのだろう。

ジョークの一つや二つ言えば、二人を取り巻く重苦しい雰囲気も、多少改善されたやも知れないが、ルドルフは機転を利かせて場を和ませるような器用な性格ではなかった。


「大丈夫だ、アルヴィド。僕の命に換えても、キミは死なせない」


背に手を回して、ルドルフは彼に囁く。

あまりの突然の出来事に驚いたのか、アルヴィドは暫くルドルフを凝視する。

彼に他意がないことが分かると、彼は前を向きなおした。

とその時、ガサガサ、ガサガサ……。

ゴミを物色するような物音がした。


「今……」


アルヴィドの発言に、彼はこくりと頷く。


「……よし。確かめっぞ」

「同時に、ね」

「せーのっ」


アルヴィドが一歩踏み出すと同時に、ルドルフを肘で小突く。


どうやら、ルドルフが出遅れたらしい。

「おい、同時に確かめんだろ!」


言い合いしながら、二人三脚でもするように、二人はたどたどしく歩く。


「分かってるってば。小言と文句ばっかりうるさいよ、アルヴィドは。そーいう所、直した方がいいと思うけどなっ」

「いいから俺に歩調を合わせろ! ったく、本当に人の気にしてることばっかり言いやがって! 一々癪に障るんだよ!」


ゴソゴソゴソゴソ……。

また物音だ。

横にいた彼は、死んだ魚のように目を見開いて仰天している。


「……うう、怖かねぇぞ」


6、70歳の老人のみたい腰を曲げて、恐る恐るアルヴィドは音のした方を見遣る。


「チッ、只のネズミかよ」


音の正体は、木箱の上に乗ったネズミだった。

しかしアルヴィドは只のネズミと言い放ったが、ルドルフにはそうはとても見えない。

自分よりも遥かに大きい人間を見ても動じず、我が物顔で人通りのない道を闊歩しているとは。

手に乗るような小さなネズミであったが、あまりにふてぶてしい態度に、ルドルフの眼には見た目よりも大きく映った。

子孫を残すのが最優先事項の動物にとって、自分よりも大きな生物との遭遇は避けたい筈だ。 

人間とて例外ではない。

ルドルフは違和感を覚えた。

何故人間が、怖くないのだろう。

随分と図々しいな。

暫しの間、ルドルフはネズミと睨みあう。

そうしていると魔術を掛けられて、動物へと変化させられた人間の話を思い出した。

相対している個体も、元は人間なのだろうか。

哀れに思い、ルドルフがネズミに向かって手を広げた次の瞬間


「ブォォォ……」


角笛の音が、再び辺り一帯に響き渡る。


「ルドルフ、聞こえたか?!」

アルヴィドが、素っ頓狂な声を上げた。

目をぱちくりさせて、信じられないといった様子だ


「うん、バッチリ」


こんな時間に、いったい誰が、何の為に。

疑問が荒れ狂う波のように絶えず押し寄せた。

まるで僕たちを呼び寄せるような……。

根拠はない。

強いて言うならば、ルドルフの野生の勘だった。

誘き寄せて更なる犠牲者を増やそうとしているのか。

いや、もしかしたらトレヴァーを亡き者にした犯人を、夜警の人たちが捕まえたのかも知れない。

夜に笛の音がするという情報は、否定的にも肯定的にも捉えられた。

それっぽい理由は、いくらでも考えられるからだ。

しかし答え合わせをする為には、どうしても音の方へ向かわねばならない。

何故角笛を鳴らしているかは、行けば分かる。

単純だ。

だが、いざ行動に移そうとすると、なかなか踏ん切りがつかなかった。


「アルヴィド、あっちに向かおう」


ルドルフが提案する。

しかしアルヴィドは、眉間に皺を寄せて、糞を踏ん張っているような表情で、彼を見つめた。


「なんか怪しくねぇか。人間型の魔物は、知能が高い場合が往々にしてあるからな。群れのリーダーの雄犬が家族を呼んでるみてェだ」


不審に思うのは、当たり前だった。

自分の命に係わるのだから、警戒をしないのは頭のネジが外れている。

アルヴィドとルドルフは概ね同意見だ。

どうするべきか、導き出した結論は違うようだ。


「アルヴィドの言葉は最もだ。でも……」


一瞬流し目を送る。

「ここで逃げる訳にはいかないから」


ルドルフは彼を見据えて、問いに答えた。

その精悍な顔つきに真剣さを感じ、アルヴィドは自分の気持ちを言葉にするのを躊躇う。

迂闊な言葉は掛けられない、そう言わんばかりの表情で黙り込む。


「……そっか、それがお前の出した答えなんだな」


視線を逸らし、彼は呟く。

彼が乗り気でないのは明白だった。

だが、これは誰かがやらねばならないことだ。

解決さえすれば、人間の軽蔑するエルフの血が混じった僕やアルヴィドがやろうと、この国の誰かがやろうと構わない筈だ。

たとえ歓迎はされないことは、とうに分かっている。

看取る者もなく、死んでいくだろう。

《人型植物(マンドラゴラ)を抜いた犬、手厚く葬るべし》

マンドラゴラを掘る際に、必ず一頭の犬が犠牲になることに由来する諺が、ふと頭を過る。

物事を為す為には、尊い犠牲が付き物であって、それがあったからこそ社会は存続してきた。

仮にこの一件で僕が死を迎えるのであれば、変えられない宿命なのだろう。

これは明らかに異質な事件だ。

更に老兵とはいえ、熟練の戦士であるトレヴァーを屠った何者かは、相当な実力者であるに相違ない。

リスクを回避し、安全策を取るか。

危険を承知でついてくるか。

そればかりはアルヴィドの自由だし、強制は出来ない。

僕は素直に付いてきてほしいと言えない臆病さをひた隠しにして、振り返らずに走り出す。

心の中で唱えるのと、口にするのは雲泥の差があった。


「おい、待てって……。ああ、もう! 勝手にしやがれってんだ。っとに、自己中ヤローだな」


あとはアルヴィドの自由意思に委ねよう。

これは仕方のないことだ。

意見が食い違うことは、一度や二度ではないだろう。

それでも対立するのであれば―――別々の道を歩む他ない。

僕はもう大人だ。

我慢しなければ。

でも、本当にこれでいいのだろうか。

自問自答をしつつも、彼は走ることを止めなかった。

「ブォォォ……」

先ほどよりも、音の発生源に近付いている。

そのまま駆けていくと彼が辿り着いた先には、一人の男が立ち尽くしていた。  

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