第6話 夜を裂く奇声

夜中、微かな物音を聞いたルドルフは、眠りを妨げられた犬のように体を起こした。

いつ何時、何が起きても対応できるよう備えておく。

冒険者や傭兵稼業特有の職業病だ。

いつの間にか、彼は獣にも似た防衛本能を身に付けていた。

部屋を見渡すと、窓から月明かりが差し込んでいる。

周りは真っ暗で、まだ目覚めの刻ではないことに、はたと気付いた。

ちょうどいい、祈りを捧げようか。

ルドルフが立ち上がって息を吸い込むと、何者かが廊下を駆ける。

真夜中に常識がないやつだ。

ルドルフは心の中で憤慨した。

しかし、それが一人二人でないことが分かると、ルドルフは状況を確認する為に、耳を凝らした。


「おい、一体何事だよ。こんな時間によォ」

「理由(わけ)を話してくれ!」


怒声にも似た声が、辺りに響き渡る。

只ならぬ雰囲気に、眠気はすっかり冴えてしまった。


「戦えるやつはとにかく武器を持って、一階に集まってくれぇ!」


どうやら小火(ぼや)騒ぎではないらしい。

何なのか確かめたい欲求を抑え、

これだけ慌てているのだから、万全の準備をしなければ。

カンテラを片手に、鞄の中身を弄る。

当然槍は持っていくべきだろう。

ナイフ、手斧も欠かせない。

そこまで長居はしないだろうから、流石に携帯食料はいらないか。

手早く必要な物とそうでない物の取捨選択をして、僕は一階へと向かった。

手摺の代わりに触れた石の壁は夜風に曝されていたせいか、骸の如き冷たさであった。


「急にどうした、いったい何が起こったんだ」


闇の中で集った冒険者たちがもぞもぞと蠢き、語らっている。

その様子を見てルドルフは死骸に群がるゴキブリや天井にぶら下がって群生するコウモリなど、洞窟に棲む生物や魔物を連想した。

冷静ではない彼らから、情報を引き出すのは難しそうだ。

見渡すとカウンターに誰かが立っている。

壁掛けの燭台に刺さった灯火が、人影をぼうっと照らし出す。

影の正体はハンナだった。

まだ寝足りないようで、彼女は猫のように手の甲で目の辺りを掻いていた。

下ろした髪は寝癖がついて、所々跳ね返っている。

白の寝間着を着用していて、少し色っぽく見える。

昼はみすぼらしい蕾が、夜は見事な花弁を咲かせるように、昼と夜のハンナではまるで違う印象を与えた。


「ハンナさん、この騒ぎは」


ルドルフは尋ねた。


「夕方に夜警が角笛を吹いていたの、聞こえたかしら」


彼女は至って冷静に、状況を説明する。

確か寝る前に、笛の音が聞こえた。

そのことが、小火騒ぎと関係しているのか。


「突然、トレヴァーさんが何者かに襲われて命を落としてしまったの。それを知らせてくれていたのね」


トレヴァー=ルーベンス。

全身黒ずくめのカラスを真似た服装で街角に佇み、目を合わせると屈託のない笑みを満面に滲ませる好々爺だった。

彼に見つめられた時、全てを見抜かれているかのような感覚がしたのを、ルドルフは今でも覚えていた。

彼はショヴスリと呼ばれる刃の根元が翼を広げた蝙蝠のような形状の槍を武器に、数々の伝説を残した歴戦の戦士。

ファーディナンド=マクリーンと共に《比翼連理の黒翼》と称えられていたが、片割れが行方不明になってからというもの、冒険者ではなく夜警としてルクス国内の治安維持に貢献していた。


「そうですか、僕にも平等に接してくれた方なのに。とても残念です」


面識は殆どなかったが、ルドルフは心臓に手を添えて、彼の死を追悼した。


「おい、やべぇよ。あの爺さんがやられるなんて……。もう、どうすりゃいいんだ」

「い、今は明るくねぇからな。朝になってからでも遅くは……」


顔を突き合わせて、冒険者たちが話しあう。

どうやら臆病風に吹かれているようだ。

非常事態だ、四の五の言ってられない。

それに父様は、この状況でも臆することなく立ち向かう筈だ。

真の英雄になる為には避けては通れない。

逃げてはいけないんだ。

追い詰めるが、ルドルフにも甘えの心があった。

彼らの台詞にも一理あるのでは、と。

下手をすれば犬死にだ。

しかしルドルフは、この選択が合理的かそうでないかは、考えないように努めた。

風船のように不安が際限なく膨らんでしまいそうで、思考している内にやらない方を選んでしまう。

停滞は死と、彼は自分に言い聞かせた。

退路を断ち、逃げられないようにしなければ。


「ハンナさん……。僕がやります」

「危ないよ、もし下手したら貴方だって!」


それ以上彼女は喋らなかった。

無理に引き留めれば、重荷になる。

それを理解しているからこそ、彼女は口を噤んだ。


「覚悟の上です」


力強くルドルフは返事する。

彼に二言がないことを察したハンナは


「やっぱり男の子なんだね。いい所見せようと、すぐカッコつけるんだから」


一呼吸置いて


「必ず無事に帰ってくること、いい?」


彼女のサファイアの瞳は微かに潤んでいた。

言葉を着飾るよりも、熱っぽい視線を送ったり、気丈に微笑んでみせる方が男の情緒に訴えやすいと、肌で理解していたのかもしれない。

ハンナに一礼すると、彼は冒険者の集う休憩所へと顔を向けた。

「皆さん、一緒に原因を突き止めましょう。外は真っ暗ですが、僕の光の魔術で照らせます」

ハキハキとした声で皆に呼び掛ける。

しかし返答はない。

芳しくない反応に、ルドルフは再度試した。


「僕と共に行動してくれる方、誰か居ませんか」


幾度となく、彼は言った。

だが、まるで存在していないかのように扱われ、次第に張り上げた声は徐々に弱々しくなっていった。


「るせぇんだよ! 誰がお前なんかと組むかよ、馬鹿が」

「そうだそうだ、長耳め。お前の口車には乗せられないぞ」


無視しても退かないルドルフに、罵声を浴びせる。

これまで僕が築いてきたものは無駄だったのか。

逃避してきた現実を突き付けられ、彼は視線を落とした。

三か月もの間、この国で活動した結果だ。

甘んじて受け入れねば。

ルドルフは一人、宿屋の出入口の扉に手を伸ばした時


「……さっきから聞いてりゃ、どいつもこいつもとんだ腰抜けだな」


怒気を含んだ口調で、誰かが言った。

ルドルフには闇の中でも、声の主が誰なのか瞬時に分かった。


「んだとォ、コイツの肩を持つ気かァ!」


表情は読めないが、声の調子から苛立っているのを察した。


「ルドルフには協力せず、自分たちだけでどうにかする気もない。ここにいる大半の連中が、己以外の誰かに解決を委ねている。これが腰抜けでなくてなんなんだ?  耳が遠いなら、もう一回言ってやろうか?」


子供の頃から聞かされた、いつもの憎まれ口。

だが自分をかばってくれているのだと思うと、ルドルフの胸の奥がじんわりと熱を帯びていった。


「今までこんな異常事態は起きなかった。お前らエルフのせいだ! お前らがルクスに災いを持ち込んだんだ!」

「何かあれば、すぐ他種族のせいか。そんなに人間様と獣人様は完璧なのかい」


アルヴィドが負けじと返す。


「ハハハ。馬鹿ほど差別主義に傾倒しやがるっつうのは、どの国でも変わらねーんだなァ」


彼の口撃はなおも続いた。


「あんだとォ、この野郎! ぶち殺されてぇか!」


堪忍袋の緒が切れた男は彼の襟元を掴み、激昂する。

一触即発の雰囲気だ。

早く止めに入らないと、アルヴィドの身に危険が及ぶ。


「おい、彼を離せ。さもないと永遠の眠りにつくぞ」


ルドルフは右手を突き出し、魔術を放つ準備を整えて警告した。

無論暗闇では照準を合わせづらい為、広範囲に効果のある魔術を使用しなければ当たらないが、それではハンナやアルヴィドまで巻き込んでしまう。

あくまで脅しであって、実際にルドルフが危害を加えるつもりは毛頭なかった。


「おい、聞いたかよ。今の……」

「やっぱりこいつらは野蛮な種族だな……」


この一件で偏見を強めてしまった。

今後ハーフエルフへの風当たりは、更に厳しくなるだろう。

だが友人を見殺しに出来る程、僕は大人になりきれていなかった。


「安心しろよ、ルドルフ。コイツに俺が殺せるわきゃねぇだろ」


アルヴィドは、仲裁しようと近付いた僕にチラリと視線を注いだ。

まるで俺を倒せるのはお前だけ、と言わんばかりに。

遠くから獲物を見据える鷹のような鋭い眼光に、ルドルフは思わず手を降ろした。


「お前みたいな小物に興味ねぇんだ。うざってぇから、黙って指を咥えて、俺らが解決すんのを見てるこった」


絡んでいた男が手を離すと、服に付いた埃でも払うようにアルヴィドは襟元を何度か叩いた。


「テメェが知りたいことは、テメェで調べりゃいいだろうが。それが冒険者ってもんだ」


言いたいだけ言うとアルヴィドは踵を返し、宿屋を後にする。


「フン、雛鳥みてェに一生喚いてろ。ボケ共」


扉を開けると同時に、捨て台詞を吐く。


「アルヴィド。僕も連れていってほしい」


ルドルフは許しは乞わなかった。

言葉は軽い。

だからこそ行動で示そうと、ルドルフは考えた。


「……お前は一度言い出したら聞かねェからな。好きにしろ」


振り返らず、平坦な声調でアルヴィドは告げる。

怒っているのか、あるいは悲しんでいるのか。

ただ昼間の出来事を気にしていないにせよ、態度から心の底から許しているようには、とても思えない。

アルヴィドの真意は読み取れなかったが、ルドルフは彼の言葉に従った。


「ダグマルはどうしてる?」

「起きてこないからな、ぐっすり寝てるんじゃねぇか」


素っ気なく彼は言う。


「アルヴィド、かばってくれてありがとう」

「別にお前の為じゃねぇよ。俺がただムカついたから、アイツに言い返しただけだ」


人差し指で頬を掻きながらアルヴィドが返す。

照れ隠しなのは、すぐに分かった。


「僕の為でも自分の為でも、どっちでもいいよ。助けられたのは事実だから。謙遜しないで、素直に感謝の気持ちを受け取ってよ」


以前と同じようにアルヴィドと会話できている。

その事実に彼の表情は、自然と顔が綻んだ。


「やっぱお前と一緒に冒険しないで正解だわ。喋ってると調子狂うしよ」


苦虫を噛み潰した表情で、アルヴィドが云う。


「全く。そういう部分も含めて好きだけど」

「……うっせぇよ、バーカ」


取り留めのない会話をしていると


「グォォォォ……」


突如、夜の闇を裂くような怪物の声が、街に轟く。

いったい、ルクスで何が起こっているというんだ?


「アルヴィド、今のは?!」

「そんなもん、俺だって分からねェよ。積もる話は後だ、先に魔物を片付けるぜ」

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