偽書の本懐(ジャンル:宗教+成り上がり)
【あらすじ】
とある星の、はるか昔。
人が粘土板から紙に文字を書くようになって久しく、ようやく国という社会に慣れてきた時代の最中。
特殊な貴族の生まれであったアータは、奴隷上がりのザラスに話を持ち掛けられた。
「アータ様。貴方は世界征服に興味がおありですかな?」
まんまとザラスの口車に乗せられたアータは、神を騙った偽書の作成と、自身の成り上がりを目指していく。
これは人類最古の宗教生誕と、何もかも真反対な二人が信者を集めていく怪奇譚。
===
人生とは何かに従い続けることだと、私は思う。
幼い頃は、育ててくれた親や周りの大人に。
物事を考えられるようになってからは、社会基盤という名の秩序に。
この身を
誰が、いつ決めたのかも分からない道徳。
真に正しいのか判然としないまま従うことが――私は、ひどく不快なのである。
ともあれ不快であるからといって、秩序の外へ行くことはできない。
さながら、闇の中で光を求めるように。
なにも、このような悪天候に呼び出すこともなかろうに。まったく奴は、ことごとく私の弱みを突くのが好きらしい。
街の中心部から程なくして、
私は家の前に立つと、辺りに人の目が無いか
唯一の光源となる、机の上に置かれた太いロウソクの炎。
その近くで作業をしているのは、枯れ木のように細い、白髪の男だった。私に気付いていないのか、後ろで束ねた長い髪を揺らしながら、羽ペンを動かしている。
「来てやったぞ、ザラス」
「おやおや、これはこれは」男は手を止めて振り向くと、うやうやしく「大変長らく、お待ちしておりました。アータ様」と頭を下げた。
どこか人を食ったような笑みで出迎え、底無しの黒い瞳に私を
私は鼻を鳴らして、乱暴にフードを取った。
「いくら何でも時は選んで欲しいものだな。よほど火急の用でなければ割に合わんぞ」
「それはもう。一世一代、我々の今後を占う方針でございますれば」
「聞こう」
近くにあった椅子に腰かけ、私は腕を組んだ。
またぞろ議会の
さてはて、この頭だけは回る奴隷上がりは、何を
「アータ様。貴方は世界征服に興味がおありですかな?」
「……写本のしすぎで狂ったか、ザラス」
冷ややかな視線を送ってやると、奴はクツクツと笑った。腹立たしい。
「突飛な冗談に付き合うほど暇ではないのだよ、私は。奴隷制度の改善案を通してやったので、図に乗ったか?
世界征服だと。そのようなものは誇大妄想に過ぎん。
「
「何が言いたい」
「その
僅かに目尻がヒクついた。どうやら私は心の底から怒っているらしい。
「……なるほど、一世一代の意味が分かったぞ。共に暗躍した
「ご
たとえ喉元に刃先を当てられようと、論が
「アータ様。貴方の野心を満たすのは容易ではありますまい。こびりついた倫理、道徳そのものを塗り替えなければならないのです」
「故に世界を征服、か。実現不可能なことを除けば、まあ道理ではある」
「国を支配し、民衆に問答を投げたところで、私の野心が満たされるとは思えんがな」
「ええ、その通りです。貴方の野心は国という単位には収まらない」
「……待て。お前は
「権力は必要不可欠ですが、武力による支配は恐怖しか残さない。それでは民草の意識は変わらないでしょう。ましてや誰が国を動かそうとも、隣国の二つや三つを奪うのが精々。到底、世界を征服するには至りません」
「ザラス。度を越した回りくどさは悪癖だと思わんか?」
「では率直に申し上げます」
一呼吸ほど間を置き、ザラスは丸まった背筋を伸ばした。
「我々が創る善悪の価値観を、あまねく世界に信じさせるのです」
瞬間――閃光が走り、地を揺るがすほどの雷鳴が轟いた。
ザラスは瞬きも動揺もせずに、じっと私を見定めている。
雨音が、忘れていたかのように耳へ届き始めた。
「価値観を、信じさせる」
意識せず口にすると、胸の内で晴れることのなかった
「我々は何を持って善とし、悪としてきたのか。それは幼き頃から
ザラスの前に積み上げられた写本の束。情報は形となって、後世へ残っていく。
それは技術だけに留まらない。
物語とて例外ではないのだ。
「お前と私で偽書を作れ、と。捕まれば大罪どころでは済まんな」
「然り。それもまた我々に言わせれば、誤った価値観の押し付けでしょう。故に塗り替えるのです。偽りの神、偽りの魔、しかして真に近しい人の物語。あらゆる国を股にかけ、時代を越えても尚、変わることのない普遍性を」
「馬鹿な。いくら真理を紡ごうが、都合の良いように歪められるだけだ」
「ただの物語であれば、そうでしょうとも」
この男は、一体どこまで遠くを見据えているのだろう。
私に進言し、それなりの身分で暮らしを送るだけでは飽き足らず――ともすれば初めから、この話に持っていく為の布石だったのか。
むしろ今の姿こそが、ザラスという男の本質なのかもしれない。
まるで真綿が水を吸うかの如く、数限りない写本から知恵を身につけて。
読んで理解し、書きながら覚え、活かしてきた。
天によって与えられた才、か。
認めざるを得まい。
糸のように張り詰めた空気が、ザラスに続きを
「書というのは、有益であるほど残るものです。どれだけ後世で書き換えられようと、意図せず
水の波紋は石を投げたからこそ起きる。線を引く為には、まず点を打たなければならない。
星の倫理を変える。
平等とは言えずとも、公平ではありたいと願う。善が正しく救われ、悪が
人が人らしく生きられる未来。
私に『女を捨てろ』と吐いた父の考えですら、根底から
途方もない話だ。
「幸せへと至る教え、か。その偽書が世界を征服する前に、私達は死んでしまうのだろうな」
「しかし起源であることには違いありますまい。貴方様の野心は、道半ばだろうと確信さえあれば満たされましょう。もし死後の世界があるのなら、そこで行く末を見守るのも一興かと」
「……大筋は、理解した」
私とザラスで偽書を作り、世界に布教していく。
私は権力を
今以上の運命共存体。
で、あるならば――――
「ザラスよ。二つ問いたい」
「なんなりと」
「何故、私にだけ明かした」
「それはアータ様を
「なるほど。確かに、お前の怪しげな世迷言を真に受けるのは、私くらいなものだろう」
では二つ目だ、と前置きをして。
「お前は、偽書でもって絵図を描き、何がしたいのだ」
ザラスは予想だにしなかった問いに目を丸くさせ、すぐに
「それは、アータ様が御自身だけで国を動かせるようになってから、語りましょう。楽しみは取っておくものです」
「この詐欺師め……」
いつの間にか雨は止み、空が白んでいた。水平線から姿を見せたであろう朝日が、まばらに散った雲を黄金色へと染め上げる。
まるで私達の
「して、ザラス。どこまで偽書は進んでいるのだ?」
「まずは使えそうな紙を集めているところです」
「……先は長いな」
「左様で」
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