偽書の本懐

【あらすじ】

とある星の、はるか昔。

人が粘土板から紙に文字を書くようになって久しく、ようやく国という社会に慣れてきた時代の最中。

特殊な貴族の生まれであったアータは、奴隷上がりのザラスに話を持ち掛けられた。

「アータ様。貴方は世界征服に興味がおありですかな?」

まんまとザラスの口車に乗せられたアータは、神を騙った偽書の作成と、自身の成り上がりを目指していく。

これは人類最古の宗教生誕と、真反対な二人が信者を集めていく怪奇譚。


===


 人生とは何かに従い続けることだと、私は思う。


 幼い頃は、育ててくれた親や周りの大人に。

 物事を考えられるようになってからは、社会基盤という名の秩序に。

 この身をしばられ、付き従う。それに対して不自由だとは感じないが、わずらわしいとは幾度も思った。


 誰が、いつ決めたのかも分からない道徳。

 真に正しいのか判然としないまま従うことが――私は、ひどく不快なのである。

 ともあれ不快であるからといって、秩序の外へ行くことはできない。


 ゆえ、そういった不条理を変える為につとめているわけなのだが、未だ目的も手段も見えぬまま足掻いていた。

 さながら、闇の中で光を求めるように。


 今宵こよい、街中を出歩いているのは私くらいなものだろう。

 外套がいとうのフード越しに大粒の雨が当たる。まるで万雷の拍手かのような雨音が耳元で鳴り止まずにいた。


 なにも、このような悪天候に呼び出すこともなかろうに。まったく奴は、ことごとく私の弱みを突くのが好きらしい。


 街の中心部から程なくして、くだんの平屋が顔を覗かせた。石や粘土のレンガで建てられた手狭な家だ。小窓の奥に、ほんのりと明かりが灯って見える。


 私は家の前に立つと、辺りに人の目が無いかうかがいながら戸を開けた。

 羊皮紙ようひしとパルピス、それと灰汁インクの混じった匂いが鼻につく。寝室と仕事部屋が繋がった一間。その壁沿いは、ずらりと書棚で埋め尽くされていた。


 唯一の光源となる、机の上に置かれた太いロウソクの炎。

 その近くで作業をしているのは、枯れ木のように細い、白髪の男だった。私に気付いていないのか、後ろで束ねた長い髪を揺らしながら、羽ペンを動かしている。

 じょうもせずに不用心なことだ。私は暗がりの中を進んでいった。


「来てやったぞ、ザラス」

「おやおや、これはこれは」男は手を止めて振り向くと、うやうやしく「大変長らく、お待ちしておりました。アータ様」と頭を下げた。


 どこか人を食ったような笑みで出迎え、底無しの黒い瞳に私をとらえている。一見して老人かと思わせるが、その声音こわねと肌は私と変わらず若い。


 私は鼻を鳴らして、乱暴にフードを取った。外套がいとうを羽織っていたとはいえ、こうも雨脚が激しいとれネズミだ。ひたいに張り付いた茶色い短髪を、後ろの方へでつける。


「いくら何でも時は選んで欲しいものだな。よほど火急の用でなければ割に合わんぞ」

「それはもう。一世一代、我々の今後を占う方針でございますれば」

「聞こう」


 近くにあった椅子に腰かけ、私は腕を組んだ。

 またぞろ議会の御歴々おれきれきを丸め込ませる算段であろうか。しかしまつりごとへの進言であれば、今である必要はない。

 さてはて、この頭だけは回る奴隷上がりは、何をつむいでくれることやら。


「アータ様。貴方は世界征服に興味がおありですかな?」

「……写本のしすぎで狂ったか、ザラス」


 冷ややかな視線を送ってやると、奴はクツクツと笑った。腹立たしい。


「突飛な冗談に付き合うほど暇ではないのだよ、私は。奴隷制度の改善案を通してやったので、図に乗ったか? わきまえろ」


 世界征服だと。そのようなものは誇大妄想に過ぎん。


しかり。貴方様は実に賢い。手の届く範囲は掴み取り、目で見えていれば策をろうして手繰り寄せる。しかし想像だにしないことに関しては、思考さえ止めてしまう」

「何が言いたい」

「そのくすぶった野心を、消したくはないのです。一介いっかいの貴族として順番を待ち、議席の一つに座ることが、はたして貴方の望みなのでしょうか。違う。断じて、そうではない」


 僅かに目尻がヒクついた。どうやら私は心の底から怒っているらしい。


「……なるほど、一世一代の意味が分かったぞ。共に暗躍したよしみだ、飽きるまで語るがいい、ザラスよ。だが私の胸を打つことが出来なければ、後が無いものと知れ」

「ご随意ずいいに」


 たとえ喉元に刃先を当てられようと、論がにぶる奴ではない。そこいらのおどしに屈するようであれば、とうに私が切り捨てていただろう。


「アータ様。貴方の野心を満たすのは容易ではありますまい。こびりついた倫理、道徳そのものを塗り替えなければならないのです」

「故に世界を征服、か。実現不可能なことを除けば、まあ道理ではある」


 ちまたで流行りの……確か『哲学』といったか、あれに近い考えなのだろう。


「国を支配し、民衆に問答を投げたところで、私の野心が満たされるとは思えんがな」

「ええ、その通りです。貴方の野心は国という単位には収まらない」

「……待て。お前はいくさをしろとでも言うつもりか?」

「権力は必要不可欠ですが、武力による支配は恐怖しか残さない。それでは民草の意識は変わらないでしょう。ましてや誰が国を動かそうとも、隣国の二つや三つを奪うのが精々。到底、世界を征服するには至りません」

「ザラス。度を越した回りくどさは悪癖だと思わんか?」

「では率直に申し上げます」


 一呼吸ほど間を置き、ザラスは丸まった背筋を伸ばした。


「我々が創る善悪の価値観を、あまねく世界に信じさせるのです」


 瞬間――閃光が走り、地を揺るがすほどの雷鳴が轟いた。

 ザラスは瞬きも動揺もせずに、じっと私を見定めている。

 雨音が、忘れていたかのように耳へ届き始めた。


「価値観を、信じさせる」


 意識せず口にすると、胸の内で晴れることのなかったもやが次第に薄まっていった。


「我々は何を持って善とし、悪としてきたのか。それは幼き頃から連綿れんめんと刷り込まれた物語によって、選ばされてきたのです。いにしえより語り継がれる神話、あるいは英雄譚――そういった口伝により、道徳は決まってきた。そして、まもなく口伝の時代は終わりを告げようとしております」


 ザラスの前に積み上げられた写本の束。情報は形となって、後世へ残っていく。

 それは技術だけに留まらない。

 物語とて例外ではないのだ。


「お前と私で偽書を作れ、と。捕まれば大罪どころでは済まんな」

「然り。それもまた我々に言わせれば、誤った価値観の押し付けでしょう。故に塗り替えるのです。偽りの神、偽りの魔、しかして真に近しい人の物語。あらゆる国を股にかけ、時代を越えても尚、変わることのない普遍性を」

「馬鹿な。いくら真理を紡ごうが、都合の良いように歪められるだけだ」

「ただの物語であれば、そうでしょうとも」


 この男は、一体どこまで遠くを見据えているのだろう。

 私に進言し、それなりの身分で暮らしを送るだけでは飽き足らず――ともすれば初めから、この話に持っていく為の布石だったのか。

 むしろ今の姿こそが、ザラスという男の本質なのかもしれない。


 まるで真綿が水を吸うかの如く、数限りない写本から知恵を身につけて。

 読んで理解し、書きながら覚え、活かしてきた。

 天によって与えられた才、か。

 認めざるを得まい。小癪こしゃくにも、奴ははるか高みから私の目線まで降りてきたのだ。


 糸のように張り詰めた空気が、ザラスに続きをうながしていた。


「書というのは、有益であるほど残るものです。どれだけ後世で書き換えられようと、意図せずまつりごとの道具に成り下がろうとも――幸せへと至るならば、決して歪まない。人は、それを信ずるほど生涯の訓戒くんかいとすることでしょう」


 水の波紋は石を投げたからこそ起きる。線を引く為には、まず点を打たなければならない。

 星の倫理を変える。

 平等とは言えずとも、公平ではありたいと願う。善が正しく救われ、悪がまごうことなく裁かれる。

 人が人らしく生きられる未来。

 私に『女を捨てろ』と吐いた父の考えですら、根底からつくがえすような。

 途方もない話だ。


「幸せへと至る教え、か。その偽書が世界を征服する前に、私達は死んでしまうのだろうな」

「しかし起源であることには違いありますまい。貴方様の野心は、道半ばだろうと確信さえあれば満たされましょう。もし死後の世界があるのなら、そこで行く末を見守るのも一興かと」

「……大筋は、理解した」


 私とザラスで偽書を作り、世界に布教していく。

 私は権力を掌握しょうあくするべく立ち回り、ザラスは書で信ずる者を増やす。どちらも国をおびやかす行為であることには相違ない。

 今以上の運命共存体。


 で、あるならば――――


「ザラスよ。二つ問いたい」

「なんなりと」

「何故、私にだけ明かした」

「それはアータ様を畏敬いけい申し上げているに他ありません。げに強く美しき男装の麗人れいじんは、神をも恐れない。加え、知恵があるからといって、弁が立つとは限りますまい。如何せん回りくどさには定評があるものの、他者へ雄弁に語るなど、とてもとても。そして何より、この奴隷上がりめの言葉を信じてくださった」

「なるほど。確かに、お前の怪しげな世迷言を真に受けるのは、私くらいなものだろう」


 では二つ目だ、と前置きをして。


「お前は、偽書でもって絵図を描き、何がしたいのだ」


 ザラスは予想だにしなかった問いに目を丸くさせ、すぐに破顔はがんした。


「それは、アータ様が御自身だけで国を動かせるようになってから、語りましょう。楽しみは取っておくものです」

「この詐欺師め……」


 いつの間にか雨は止み、空が白んでいた。水平線から姿を見せたであろう朝日が、まばらに散った雲を黄金色へと染め上げる。

 まるで私達の盟約めいやく言祝ことほぐように。


「して、ザラス。どこまで偽書は進んでいるのだ?」

「まずは使えそうな紙を集めているところです」

「……先は長いな」

「左様で」

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