エペ道(ジャンル:スポーツ)

【あらすじ】

中学の三年間を剣道に費やした串中直は、女子に「臭い!」という理由で振られてしまった。

県大会でも体格差で負け、自分の実力に限界を感じていた最中、オリンピックの放送でフェンシングの存在を知る。

これは後に、串中直が『エペ道の神速突き』と呼ばれるまでの物語。



===



 高等学校選抜フェンシング大会。

 某アリーナを貸し切って行われている会場内には、静寂せいじゃくと熱気が入り混じっていた。


「お、個人戦の本戦トーナメント。間に合ったか」


 どかりと観客席に座った無精ひげの男は、おもむろにかばんの中からカメラを取り出した。


「遅いです、岩波いわなみさん」


 隣に座っている若い女性記者は、カメラを構えたまま呆れたように口だけ動かす。

 互いに気は使えるのか、ひそめた声でもって会話を続けた。


「私の推し選手、もう試合中ですよ」

「んぁ……なんだっけ。個人戦にしか出ない、フェンシングクラブの奴?」

「そうです、串中くしなかなおくん。あ、ほら――」


 女性記者が言い終わる前に『ビー』と電子音が鳴り、後を追うようにして歓声が沸き起こる。

 電光掲示板で得点を増やし続けているのは、ただ一人。

 その姿をとらえようと、岩波は撮影用のカメラを限界までズームさせた。


「珍しい構えだな」

「でしょ? 彼、なにかと独特でえるんです」


 フルーレ、サーブル、エペ――フェンシングは各種目によって構えに多少の差があるものの、両足を肩幅に開き、軽く屈んだ前傾姿勢が基本だ。

 しかしくだんの串中は違った。

 ぴんと背筋を伸ばし、前後左右どちらにも体重移動できるように、足は浅く開いている。剣を持っている方の右手は中段に、左手は力なく腰へ回していた。


 大よそセオリーを無視した構え。ともすれば挑発と受け取られても不思議ではない。

 それに苛立っていたのは対戦相手だ。顔全体を覆った金網かなあみのマスク越しに、串中をにらみつけた。


 どうせ絡め手だろうと油断があったのかもしれない。良いように先制されたが、これまで。強豪校の面子にけても勝たなければ。


 柔らかくさせた手首で無数のフェイントを作り出す。そこへ足のステップを織り交ぜ、カンカンと串中の剣先に何度も触れるが、一向に反応は返ってこない。まるで仏像の如き串中を前に、対戦相手は不気味さを感じていた。

 背丈など一回りは小さい。こちらの方が腕のリーチはあるはず。それなのに、何故か圧迫感がある。気迫が違う。


 いざとなった時、信じられるのは日々の努力と経験。

 顧問の指導を胸に、じりじりと間合いを詰め、不規則なリズムで一気に飛び込んだ。


 次の瞬間――――


 対戦相手の剣を持っていた右手首に、痛が走る。

 どうを狙ったはずの刺突は、寸前のところで半身にかわされ、腕を引き切る前に穿うがたれた。

 稲妻のような一閃いっせん突き。


「……せん、カウンターか」

「反撃するのはリポストって言うらしいですよ、岩波さん」

半田はんだ、お前いつからフェンシングに詳しくなったんだ?」

「もちろん推しが出来てからです!」


 鼻息を荒くする半田を横目に、岩波はカメラを構え直す。

 一意専心いちいせんしん。カウンターという駆け引きやタイミングをうかがう忍耐。常人離れした動体視力と反射神経。そして隙を見逃さない電光石火の突き。


「なるほど。あの構え、覚えがあると思ったんだ」

「え、ちょっ岩波さん、どこで見たんです⁉」

「まったく別の大会だよ。ありゃあな半田、フェンシングというより――」


 エペ道だ。

 岩波が呟いた言葉は、再び電子音と歓声にき消されていった。



▲▽▲▽



「ごめんなさい! 私、臭いのだけは無理なの~!」


 中学三年の三学期。

 部活動が終わって受験も落ち着いた頃、串中直は校舎裏で盛大に振られていた。

 元より上手くいく算段があったわけじゃない。なんとなく可愛いから好きになって、青春の一ページを飾れるかと告白してみたのだ。

 まさか……ここまで、こっぴどく振られることになるとは考えもせずに。


「ひっでぇ。走り去ることないのに。そんな臭かったか? 俺」


 すんすんと肩の辺りをいでみる。何も感じない。いや、これは染み付いた悪臭で、鼻がバカになっているのかも。

 後悔先に立たず、備えあればうれいなし。祖父から口すっぱく聞かされた言葉が、串中の頭に思い浮かんだ。

 明日から、どんな顔をして教室へ行けば良いのやら。


「……寒すぎて震えてくるな」


 半べそをかきながら、串中は家路に着いていった。


 部活界隈かいわいにおいて、剣道は『きつい・汚い・臭い』の3Kという称号を欲しいままにしている。

 道場という点では柔道も同じ扱いを受けることもあるが、あちらは『胴着を洗う』という明らかな強みがあった。


 剣道は防具を拭いて乾かすことしかできない。ましてや思春期特有のアレで謎に硬派だと思われたかった串中は、消臭剤の類を一切使っていなかった。

 礼に始まり、礼に終わる。色恋沙汰ざたにも作法はあるのだ。


 帰宅して夕食時。風呂上がりの串中は、和室の居間で横になりながらテレビをつけた。

 わざと薄暗くした会場で、二人の選手がスポットライトを浴び、互いに向かい合っている。真っ白い着衣、金網のフェイスマスク。手に持っているのは、しなるほど細長い刺突剣。

 競技というより、まるで舞台役者のような華やかさだと串中は思った。


「夏にやったオリンピックの特集……フェンシングなんてやってたんだ」

「おーい直や。暇なら飯を運ぶの手伝ってくれぃ」


 ふすまの奥から祖父の声がした。串中は「あいよ」と言って立ち上がり、昔ながらの台所へ向かう。

 ふすまを開けると、味噌汁と焼き魚の良い匂いが漂ってきた。

 年の割に背筋が伸びた祖父は、今にも閉じそうな目でいぶかしく串中直を見る。


「なんじゃい直、もう風呂に入ったんか」

「風呂掃除のついでにね。今日の鍛錬たんれんも終わらせた」

「ほっ、関心じゃの。ようやく直もワシの後を継ぐ気になったかい」

「後を継ぐって……じいちゃん、道場なんて俺が生まれる前にたたんでるじゃんか」

「剣の道に生きてさえいれば、おのずと継がれるんじゃよ」

「そういうもんかね」


 適当に聞き流しながら、テーブルの上に茶碗やらはしを置いていく。

 告白した彼女からは散々な言われようだったが、串中は剣道が嫌いではなかった。


 中学校に入学早々、両親は祖父に一人息子を預けて仕事で海外へ。年に片手で数えられるくらいしか帰ってこない。

 そんな寂しさを埋めてくれたのが祖父の存在であり、剣道だった。

 何かに熱中している間は、嫌なことも考えずに済む。

 心も身体も鍛えられて一石二鳥。そんな風に思っていた。

 負け続けるまでは。


「いただきます」


 両手を揃えて、白米にありつく。

 なにかと礼儀作法に細かい祖父ではあったが、食事中のテレビは許されていた。画面の中では変わらずフェンシングの試合が行われている。


「そういえば剣道ってオリンピックに無いね」

「他国の人口が少ない上に、武道だからの。なんでもスポーツになるのが良いとは、わしは思わん」


 スポーツと武道の線引き。人が増えるほど伝統が薄まる。誤審は品格を下げ、ルール化された礼儀は根付かない。祖父らしい意見である。


 世界的なスポーツの祭典、オリンピック。剣道にも世界大会はあるけれど、それほど有名なわけではない。もちろん祖父のように実績を積めば、あるいは仕事として成り立つ人も居るのだろうけれど、串中直には無理な話だった。


 いくら武道とはいえ、剣道にも勝敗はある。

 昔と今とでは違う。主に体格差が。50年前と比べて平均身長は20cmも開きがある。

 つば迫り合いでは押し負け、祖父直伝の突きは相手まで届かず、面を喰らえば脳天が揺さぶられた。

 中学三年間、家でも欠かさず鍛錬を続けてきたのに、結果は県大会止まり。

 部活動の終わりと共に、串中直の心もポッキリと折られていた。


 高校生になったら何をかてに生きていこう。

 先が見えない漠然ばくぜんとした不安と、祖父からの無茶な期待。


 思わず箸が止まりそうになった、そんな時。

 わっとテレビの方から歓声があがる。見れば、日本人選手の金メダルを懸けた試合が放送されていた。


 個人男子エペ決勝戦。

 頭一つ分は小さい日本人が、本場ヨーロッパの選手を打ち負かしている。

 ステップの度、靴底が床との摩擦でキュッと音を鳴らす。

 攻守の入れ替えが速い。


 しかし――串中直の目は、はっきりととらえていた。


(ここ、仕掛ける)


 読み通り、一瞬で間合いを詰めた日本人選手が、相手の胴に決定打を入れた。

 割れんばかりの拍手。スタンディングオベーション。互いにマスクを取り、健闘を称えあっている。

 スタジオに切り替わると番組のコメンテーターも絶賛しており、その場に居た女性アイドルは『爽やかで素敵ですね』とか『まるで王子様みたい』と黄色い声を上げていた。


「まったく、ちゃらちゃらしおって。これだから同じ剣でもスポーツは」


 その祖父の悪態は、串中直に青天の霹靂へきれきを浴びせた。

 体格や筋力ではない勝負。

 相手の何処を刺しても良いルール。

 臭いとは無縁そうな真っ白い清潔感。


 そして何より、女子にモテる!


「……じいちゃん。俺、やっぱ剣士になろうと思う」

「どうしたんじゃ急に⁉ 悪いもんでも食ったんか!」


 嬉しさの余り両肩を掴んで揺らす祖父。それを尻目に、串中はフェンシングのことで頭を一杯にしていた。


 これは後に、串中直が『エペ道の神速突き』と呼ばれるまでの物語。

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書き出し置き場 真摯夜紳士 @night-gentleman

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