五色悪鬼✮滅私譚(ジャンル:和風ダークファンタジー)

【あらすじ】

かつて残虐の限りを尽くした五色の悪鬼。

それらは高名な術師の手によって、道具へと封じられた。

しかし時を経て幕府の命を受けた陰陽師一同は、その封印を解いてしまう。

辛うじて生き残った信彦は、母を牢から出す為、鬼の代理戦に巻き込まれていく。

江戸の世を騒がせる和風ダークファンタジー、ここに開幕。



===



 あの子は生まれる家を間違えた。

 そんな陰口を、信彦のぶひこの母は幾度も耳にしてきた。


 本家つちみかどの血が混ざっているとはいえ、所詮しょせんめかけの子。十まで育てたところで才の芽すら出ない。

 当代きっての凡夫ぼんぷ揶揄やゆされる日々。


 今も昔も陰陽師という職は、仕えた主を信じさせなければならない。

 白を黒く塗り替える話術。ある種の狡猾こうかつさ。

 信彦は陰陽師としての素質どころか、そういった悪知恵すら覚えずに育ってしまった。

 心優しく、真っ当で、普通に。


 幕府が安泰あんたいであるほど、官職としての立場を危うくしている陰陽師にとって――まじないが使えない子は、何の価値も無い。


 いくら物覚えが良かろうと、占術せんじゅつ祭祀さいしといった形骸化けいがいかしたものは、分家で枠が埋まりきっている。

 元来、本家が務めるべき役目は、厄払い。

 信彦に出来ることなど、精々が雑用くらいなものだろう。


 いつ母子共に捨てられるか分かったものではなかった。むしろ十年も、よく待ってくれたものだと思う。

 信彦に罪は無い。ゆえに先んじて壊れてしまったのは、母の方だった。


 日増しにささやかれる皮肉と嘲笑ちょうしょう。それが胸の内でぞうへと変わり、愛で包み切れなくなった時。


 信彦の母は、本家の倉から秘蔵の品を盗み出し――それを砕いた。

 愛しの我が子、その夕食ゆうげに忍ばせて。


 ああ、あの子は苦しみ続けるだろう。

 人並みの幸せが望めないばかりか、人として死ぬことも叶わなくなったのだから。


 それでも――

 野垂れて死するより、呪われながらでも生きていて欲しいから。


「さぁ信彦や。たぁんと、お食べ」



▲▽▲▽



 その日は、いやに月明りが山道を照らしていた。


 比叡山ひえいざん。言わずと知れた京都御所の鬼門。かつての陰陽師が修練の場として利用した御膝元おひざもと


 林道を抜け、少し開けた場所は、名家に連なる陰陽師のみが辿れるという禁域。

 そこには、ただ一つほこらたたずんでいた。

 しかしまつっているのは神仏しんぶつの類ではない。


 悪鬼を宿すと伝えられた呪物――鬼具きぐである。


「相も変わらず、もろいのぉ人間は」


 見頃を過ぎ、地面に舞い落ちた紅葉が、なおも赤黒く染まる。

 先達せんだつの陰陽師によって作られた血溜まりの中へと、葉が沈んでいく。

 鉄にも似た死の匂いが、辺りを満たしていった。


 祠の前で四尺はあろうかという金棒をかついでいるのは、白い着物を返り血で汚し、尖った五教帽子を被る優男。

 一目で異様だ。

 何人もの同胞どうほうを手に掛けているにも関わらず、酔ったように赤らめた顔には下卑げびた笑みを浮かべている。


 月と提灯ちょうちんに照らされた光景は、まさしく地獄そのもので。

 数名は腰を抜かし、はたまた残った人間は身構えて動けずにいた。幕府直属のめいが無ければ、とうに逃げ帰っていた者も居ただろう。


 この場の誰もが思ったに違いない。

 こんなはずではなかった、と。

 口伝くでんという尾びれ背びれは、当時の恐怖心をも薄れさせ――あろうことか『封印呪物の収集』などという暴挙ぼうきょいたらせてしまう。


 その結果が、この有様だ。


 優男が金棒を祠から出そうと手に取った瞬間、惨劇は始まってしまった。

 あれだけ線が細いにも関わらず、剛腕の如く鉄のかたまりを振るう。

 まるで人が変わったかのように――そう、彼の者は鬼と化した。


「おのれ、気でも狂うたか。やはり胡散うさん臭いやからの目付け役など、請け負うのではなかったわ!」


 いち早く我に返ったのは、羽織とはかまを着た大男。帯刀したつかに手をすべらせ、すらりと抜く。

 天下泰平てんかたいへいの世になり、陰陽師と同じく官職を追われる身となった武士ではあるが、戦場での心得までにぶってはいない。


「いかなあやかしきとて、首を落とせば動けぬだろう。なに、こうなった以上、いくら死人が増えたところで御上おかみも文句は言うまいて」


 正中線に沿わせて刀を構える。立ち合いに慣れているのか、一連の所作だけで武士に余裕が生まれた。

 眼光、鋭く。息を整え。


っ首、叩き斬ってくれる」


 対して赤面の優男は、楽にしたまま金棒をトントンと首の付け根に当てる。


「どれ、ぼちぼち肩慣らしといくかのぉ。現世うつしよ如何いかほどか」

「――ほざけ!」


 一足、二足飛びで間合いを詰める武士。一文字を書いた刃が、首の寸前で空を切った。

 上半身を仰け反らせた優男は、その体制のまま金棒を横にぐ。


「ッちぇい!」


 返す刀で辛うじて弾き、武士は再び距離を取る。

 優男は、ほぼ直角に半身を曲げたまま「避けれたか」と呟いた。これも人の体幹たいかんが成せる技ではない。現に起き上がる際、はっきりと骨のきしむ音がした。


「凡夫にしては鋭い太刀筋じゃ。目も良い。手前、使のぉ」

「黙れ。上から物を言いよって」


 わず一合いちごう

 無茶な体制で放った一振りを弾いただけで、武士の手はしびれが解けずにいた。


 消耗戦では分が悪い。勝負は刹那せつな。一刀でどうと首を切り離すしかない。

 幸い、優男が刀を避けたということは、当たれば斬れる証左しょうさであろう。武士にも勝ち目は残っている。


 中段や上段といった真っ向から構えていては、打ち合いになるだけ。ならば八双はっそうにて肉を切らせ、首をつ。

 左足を前に出し、両手で持った刀を右上に寄せる。奇しくも八双は、金棒を担ぐような構えであった。


「いざッ!」


 左側面の骨はくれてやる。代わりに首を貰おうとした武士であったが――その狙いは、ことごとく砕け散った。


 赤面の優男が金棒を振るう。

 武士に視えたのは鉄の棒が描く軌道きどうまでだった。

 くの字に身体が折れ曲がる。足裏が地面から離れ、凄まじい勢いで横っ飛びに樹木まで打ち付けられた。


 ぐしゃり。

 まるで血の判子。

 またしても死体が増える。


「クカカ、惜しいのぉ。この身が術師でなければ、使やらんでもなかったが。いかんせん、こうももろくてわ叶わんなぁ」


 あっさりと頼みのつなは切れた。

 いよいよ気が触れ、そこかしこから悲鳴が上がる。蜘蛛くもの子を散らすように逃げ惑う、他の陰陽師。

 残ったのは、大筒を背負ってうずくまる少年と、悪鬼だけ。


「なんと情けないことか。現世の術師は気骨すら無くしたようじゃ。どうりでもろい。そこなわっぱ、手前は後じゃ。少し待っとれよ」


 言うが早いか、赤面の優男は森の中へと駆け出した。あれだけの金棒を持っているというのに、重さを感じさせない足取りで、逃げた陰陽師を追い詰めていく。


しげみの音が大きい! クカカ、それでは『鬼さん、こちら』と手を鳴らしているのも同義じゃぞ!」


 数度の地響き。それと呼応して聞こえるうめき声。楽しそうな悪鬼の高笑い。

 しばらくして、比叡山ひえいざんの森に静寂せいじゃくおとずれた。


 少年の前に何かが落ちる。

 薄く目を開けると、それは恐怖に歪んだ陰陽師の打ち首であった。

 ひゅっ、と驚きに呼吸が止まる。一瞬で汗が冷たいものへと変わった。


「あとは童だけじゃのぉ。逃げなかっただけ、こいつらよりは楽に潰してやろう」


 少年は――信彦は、顔を上げ、悪鬼を瞳に映した。

 どこかへ消え失せた五教帽子。振り乱れた長髪。

 返り血で全身を赤く染めた姿に、もはや優しい同輩だった頃の面影は無い。


 あまりにも無慈悲に、金棒が振り上げられ――


「お?」


 悪鬼の目から血涙が流れる。

 口の端からも血が伝う。

 それは悪鬼とて無自覚なものであった。


『ォン……アボキャ、ベイロシャノウ……マカボダラ……マニ、ハンドマ、ジンバラ……ハラバリタヤ、ウン』


 悪鬼の口からつむがれるまじない。次第に悪鬼の身体が震え、微動だにしなくなった。


『に、げろ……信彦、殿』


 名を呼ばれ、はっと目を見開く。

 悪鬼の顔が、苦悶に満ちている。妖憑きが解かれたのだ。


『長くは、持たぬ。早く』

「自害とは、無駄なことを――かふッ」


 白目をき、盛大に血を吐いて、優男は倒れ伏した。

 一人取り残された信彦は、ようやく忘れかけていた呼吸を繰り返した。


 亡骸なきがらを手厚くほうむりたいところではあったが――何故か鬼の金棒から、信彦は目が離せない。


 魔性の魅了。

 そう、優男が祠の封を解いた瞬間から、魅入られてしまったように。


 信彦は自然と立ち上がり、その手に金棒を握っていた。


「う、あ゛ああああぁ!」


 全身の毛が逆立つ。血が熱くなって煮えたぎる。

 暴力的な衝動が呼び起こされ、あの赤鬼が、またもや目を覚ます――


 そのはず、だった。


『おん?』


 先ほどの優男同様、姿は赤く鬼の如し。

 されど信彦は、自我を保っていた。

 心の奥底で、騒ぐ鬼の声を無視しながら。


「五色の悪鬼――赤鬼の金棒、使わせてもらいます」


 それは捕らわれた母への焦燥しょうそうが成す奇跡か、はたまたが打ち勝った必然か。


 いずれにせよ、信彦の鬼具収集は、ここから始まった。

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