チャイルド・エランド~お子様に雇われた働き手~(ジャンル:成り上がりビジネス)

【あらすじ】

金だけが人生ではない。が、金が無い人生は送れない。

競馬場で暇を潰していた亀井は、ひょんなことから鶴野という少年と出会う。

鶴野は大企業の御曹司でありながら、家訓により家を追い出されてしまったそうだ。

家へ戻れる条件は、五万円を千倍に増やすこと。

子供だけの力では限界を感じた鶴野は、大人である亀井を雇う。

晴れて働き手となった亀井は、今日も子供にお使いされるのであった。


===


 ひんすればどんする――という言葉の意味を、ここでは嫌というほど思い知らされる。

 ギャンブルは人の心を狂わす、魔性の娯楽だ。


「いっけぇ! 差せぇ!」

「ちょっと、なんで簡単に抜かされるのよぉ!」

「ざけんなゴラァ! 金返せ竹騎手が!」

「よーし、そのまま! オッケー来た来た来たぁ!」


 怒号と歓声が混ざり合って熱を帯びていく。

 わめき散らかしているのは、老若男女の金を求める連中だ。普段なら小声で話すような見た目をしているのに、今じゃ周りの目すら気にしていない。

 誰が掃除するのか考えもせずに、大量の馬券が宙を舞い、落ち葉のように地面を覆う。


 なんてみにくいんだろう。

 どれだけ負けようが『ああはなるまい』と思い、俺は汗ばんだ手で馬券をクシャクシャにして、ポケットに突っ込む。


 ギャンブルの何より悪いところは、たまに勝ってしまうことだ。

 あの脳が痺れるような感覚を一度でも味わってしまったなら、あとは沼に沈んでいくだけ。次こそは――と、確率の低いけに身を投じさせる。射幸心をあおるのが、とにかく上手い。犯罪的だ。いっそ明日から不法行為で取り締まってくれ頼むから。


 しっかり最終レースまで見届け、俺は大画面のあるホールからきびすを返した。

 こんな劣悪な環境にも関わらず、最近の競馬場には家族連れが多い。動物園のように馬が見れるというのもあるんだろうけど、キッズエリアや飲食店が豊富なのも理由の一つなんだろう。


 ゲートへ帰る道すがら、楽しそうに子供と手を繋いでいる夫婦が目に入る。

 なんてこった。あまりにもまぶしすぎる光景だ。

 有名なレースがあるわけでもないのに、わざわざ休日を潰して競馬場に来るような独身中年には、もう手が届かないんじゃないか?


 せめて金さえあれば、何もない俺にも多少は見栄が張れたかもしれない。

 宝くじよりかは、当たると思ったんだけどなぁ。

 やってられん。酒でも買って帰るか。


 と、そんなことを考えていた矢先。よれたシャツの後ろを引っ張られた。


「んあ?」


 酔っ払いに絡まれたかと後ろを見ると、そこには誰も居ない。いや訂正。少し目線を下げると、小学生くらいの男の子がシャツの端をまんでいた。


 人違いか? にしては俺の顔を見ても離さないし。じゃあ迷子か。

 まいったな。めんどくせぇや。

 力任せに振り解いて無視するのは簡単で。別に俺じゃなくても助けてくれる奴は居るんだろうけれど。

 でも、まあ……不運続きな人生だからこそ、誰かに感謝されたい気分だった。


「どした? 親は?」


 俺の問いかけに、男の子は黙っている。

 親とはぐれて泣きそうになってるわけでもなし。かと言って知らない大人に怯えている感じもしない。

 利発そうな、やけに『はっきり』した面構えで、そいつは俺のことを瞳に映していた。


「おーい、黙ってちゃ分かんないだろ」


 安心させるように少しかがんで、目線を合わせてやる。ようやく男の子はシャツから手を離した。

 よく見ると、男の子が整っていたのは顔回りだけで、長袖やズボンは所々が汚れていた。一瞬、嫌な予感が脳裏を掠める。芝生エリアで遊んでいただけ……だよな、きっと。


「うん、決めた」

「あ?」

「おじさん、僕にやとわれてみない?」


 やっと口を開いたかと思ったら、なんだ。わけが分からん。おちょくられてるのか?

 最近の子供は賢いってニュースで流れていたが、どうやら小賢しいって意味らしい。

 付き合って損した。下手に人助けなんて、するもんじゃないな。


 肩で息を吐いて、俺は無感情に立ち上がった。冗談を言うくらい元気なら、一人でも帰れるだろう。なんなら、そこら中に居る係員を頼ればいい。

 再びゲートの方へと歩み出す。


「待ってよ。ちゃんと見返りは渡すから」


 だからシャツを摘まむんじゃねぇって。

 すごんで後ろをにらむと――男の子は、もう片方の手で馬券を差し出していた。


「最終レースの。これが頭金」

「は、どうせ嘘だろ」

「確かめるだけならタダだよ?」


 立ち止まる俺達の横を、家路に着く人々が通り過ぎていく。

 どこで拾った馬券かは知らないが、大人を馬鹿にするもんじゃない。しかりつけてやる。


 ひったくるように馬券を奪い。最終レースの順位を思い出す。

 着順は、確か……3番、5番、7番?

 馬券に書かれた番号と合う。おいおい、というか賭け金、めちゃくちゃ高いじゃないか! 俺だって万札なんて賭けないのに!

 払い戻し金額が安い複勝だって、これだけ賭ければ倍にはなる。


「どこで拾った? これ」

「自分で買ったんだよ。誰も見てない券売機で。お金さえあれば簡単。競馬のコツも何度もシュミレーションして、完璧に学んだよ」

「そういうのはいいから! もし落としてる人が居たら大変だぞ」

「おじさん、やっぱり『お人好し』だね。思った通りだ」


 クスクスと品のある笑い方で、楽しそうにしている男の子。

 この子供は、何かが変だ。妙な冗談を言うにしてはりすぎている。何がしたいのか、目的が分からない。

 正直、不気味だ。


「金とか要らないから。もう俺に構わないでくれ」


 馬券を返そうとすると、男の子は心底意外な顔をした。


「何で? 当たり馬券だよ?」

「だから要らないっての。そういうつもりで話しかけたんじゃないし」

「じゃあ、どういうつもりで止まってくれたの?」

「……そりゃあ親切心で……いや、本当は誰でもいいから感謝されたかったんだよ。お陰様で台無しだがな、ったく」


 慣れないことをするから、余計な面倒事に振り回される。なら最初から関わらなければいい。

 何かに熱中することなく。ひたすら冷めたままで。


「そっか。感謝されたいだけなら、まだ間に合うね。おじさんみたいなタイプはからめ手より、真正面から向き合った方が上手くいくかも」


 まだ男の子は諦めていないのか、姿勢を正して俺を見上げた。


「僕の名前は鶴野つるの忠助ただすけ。年齢は十歳。とても困っているので助けてください」


 うさんくせぇ。いかにも演技っぽい棒読みだ。なめてんのか。


「父様の言いつけで、僕は家を追い出されました。五万円をに増やすまでは帰れません。いわゆる『初めてのお使い』です。でも子供だけで稼ぐのも限界でした。だから、大人の手を借りたいです。おじさん、僕に雇われてください」

「……は?」

「おじさんが協力してくれなければ、また一週間後までホームレス生活です。頭だけしか洗えないのは衛生的に不潔です。とても困ってます」


 いや、いやいやいや。どこまで嘘を吐けば気が済むんだ、こいつは。


「おじさん、独り身だよね。髪はボサボサで、シャツもアイロンがけされてないし。毎週のように競馬場へ通って、いつも退屈そうにホール席で座ってる」


 ぞくりと背筋が凍った。鶴野とかいう変な小学生を相手にしているはずが、何故だか凄みに気圧される。


「本当は周りの人みたいに熱狂したかったんでしょ? でも競馬くらいじゃ熱くなれなかった。理性のタガを外すには、もっと夢中になれる何かでないとダメ。けれど僕になら、それを与えてあげられる」


 どうしてか、こんな子供に心が動かされそうな自分が居た。

 その道は平坦じゃない。もろく危ういいばらの道だ。ちょっとしたことで人として踏み外すかもしれない。今すぐ引き返せ。代り映えしない普通な日々でいい。

 ああ、だけど……どうかしちまったのか、損得だけで考えられない。


「おじさん、僕と一緒にもうけたり落ちぶれたりしよう。今の景色が気に入らないなら、上か下に行ってみたくない?」


 この子供は、一体どんな教育を受けてきたのか。世間が甘いだけじゃないことを知っている。ひんしてもどんしない。ひたすらに空を見上げて羽ばたいていく。

 見てみたい。どこまで行けるのか。どこに行ってしまうのか。


 俺は鶴野に渡された馬券を、ポケットの中へ仕舞った。


「とりあえず、おじさんって言うのはやめろ。俺は亀井かめいだ。雇い主だろうと、ちゃんと年上には『さん付け』しろよ」

「ありがとう、亀井さん。さっそく換金ついでに残りの当たり馬券も、お願いね」

「……マジかよ」


 手渡された高額配当の数々。これは何の頭金になるんだろうか。

 馬券より、宝くじの一等より――ひょっとしたら隕石が降ってくるよりも低い確率を、俺は今日ここで、引き当てたのかもしれない。

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