審判者のファクトチェック(ジャンル:ミステリー)
【あらすじ】
犯した罪を裁く権利は、誰にあろうか。
突如として密室に閉じ込められた五人。
刑事、推理作家、弁護士、ジャーナリスト、探偵――それらは真実を見抜き、時に嘘を創り出す者達。
犯人は五人の中に紛れ、無理心中を企てる。
期限は三日。唯一の解放条件は、犯人を納得せしめるだけの推理。
繰り広げられる職種毎の多重推理。騙し合いの果てに、何が潜むのか。
審判者による究極の
===
どうして悪い人は、すぐ嘘をつくのだろう。
ふと、そんな考えが頭をよぎった。
幼い頃、私は同じ質問を父にしてみたことがある。
返ってきた答えは明確なものじゃなくて――人は何故やましくなるのか、という教え。
嘘をつくのは、良心に負けた悪い人だけ。
自分を正しいと思わせたいから、誤魔化す為に嘘をつく。
続けて父は『嘘に騙されるから、悪い人が得をするんだ』と言った。
少し考えて、私が『じゃあ騙される人がいけないの?』と不思議そうに訊いたら、父は口を閉ざした。
代わりに、繋いだ手が強く握られたのを覚えている。
あの時、父は嘘をつこうとしたんだと思う。けれど、やましさからの言動だと悟って、思い留まった。
少なくとも私の前でだけは、父は嘘をついたことがない。
ただ本当のことを言ってなかっただけで。
母に
父は、はたして悪い人なんだろうか。
私と母は、
大人になった今――その問いに、はっきりと答えられる。
他の誰でもない、父は自分自身に嘘をついたんだ。だから悪い人になった。
嘘の代償は罰。
こうして私が大人になれたのも、父が支払った慰謝料と養育費があればこそ。それに感謝する一方で、親としては疑問が残る。
父が身をもって教えてくれたことは、たった一つ。
損得で考えても、人の道として考えても――
「嘘をつく方が、悪いに決まってる」
呟いた私は、デジカメのシャッターを切った。
真夜中のホテル街。どう見ても年齢的に不釣り合いな男女が、建物へと入っていく。
その証拠写真を撮った私は、すぐに
女性顧客専門の探偵事務所に勤めるようになって、もう三年。どんな社会情勢になっても依頼は後を立たない。
本当のことが知りたい。そう言った人達の願いを叶えてきたけれど、今まで幸せに終わった仕事は一件も無い。
きっと皆……傷を負ってでも、前に進みたいんだと思う。
私自身が、そうだったから。
酔っ払いや居酒屋の客引きが嫌で、あえて脇道を通る。早く帰って寝てしまおう。
頼りない街灯に目を向けて、暗がりを見ないように。
それが、目覚める寸前の記憶。
▲▽▲▽
「……歩いている途中に、ですか」
冷たい声が、一面コンクリートの壁に響いた。
七三分けでグレーのビジネススーツを着た、三十半ばの男。彼はアンティークショップにありそうな肘掛け付きの椅子に座って、細長い脚を組んだ。銀縁のメガネと革靴が、豆電球の光に
「そうです。それで起きたら、こんな所に」
彼と同じ形の椅子に座りながら、私は再び辺りを見回した。
窓の無いコンクリートの壁と床は、約二十
それと――椅子の数は、私のを含めて五つ。まるで円を描くかのように、フロアの中心に配置されている。
「薬品を
「それも……無いです」
「なるほど、あなたも覚えていないのですね」
組んだ脚を解き、スーツ姿の彼は神妙な顔をした。
「ここに居る五人、それぞれが気絶した理由を知らない。さらに閉じ込められた経緯も分からない、と」
「ごめんなさい。なんの手掛かりもなくて」
「いえ、謝ることはありませんよ。むしろ統一性があって良かったくらいです」
ほっと胸を
「しかし
「だから言ってんじゃねぇか。人質なんだよ、俺らは」
野太い声が、扉の方から聞こえた。オーバーコートを着た男。私には四十代後半に見える。刈り上げの短い髪に
さっきまで扉に体当たりしていた所為か、肩で息をしている男。今なお怒りが収まらないといった様子だ。
「くそったれ、びくともしねぇ」男は乱暴に扉を蹴って、「よー兄ちゃん、そうやって探りを入れても無駄だと思うぜ。とりあえずは犯人からの要求待ちだ。こりゃあ人質事件だからな」と振り向いた。
「……それなら僕らを拘束すべきでは? 自由に動き回られると、犯人側にとっても不都合だと思いますが」
「ぺちゃくちゃと。素人は黙ってろ。俺には長年の勘で分かる。こいつはな、ただの人質事件じゃねぇんだよ」
男は汗で湿ったネクタイを緩めながら私達の方へと歩き、空いてる椅子に座った。
「と言うと?」
「おそらく身代金目的の犯行じゃあない。なんたって効率が悪すぎる。大金だけ欲しいなら、それ相応の奴を標的にした方が早え。俺に言わせりゃあ、人数も人選も最悪だしな」
「……一理ありますね。ならば、やはり我々は人質ではないのでは?」
「いいや。間違いなく人質事件だな。ただし、こいつは外に向けたもんじゃない。内に向けた要求なのさ。よー、嬢ちゃんも、そう考えてんじゃねぇか?」
反応しかけて止まる。無骨な男が目を配ったのは、私より若い女の子だ。
小さな体を折りたたみ、椅子の上で両膝を抱え込んでいる。あったかそうなパジャマ姿。肌ツヤは高校生か大学生くらい。ボサボサの髪は黒色で、無造作に肩先まで伸びているものの、どこか不潔な印象は受けない。
女の子は豆電球に向けていた瞳を、ゆっくりと下ろした。
「……普通じゃ、無いよね。クローズドサークルって感じで」
「あ? くろーずど……何だって?」
「クローズドサークル。推理小説でありがちな設定。外界との往来が断たれた状況。密室もの」
「はっ、まだ下は見てきてねぇけどな」
「出口があったら、ここまでしないんじゃない? 犯人さんも」
「だろうなぁ」
ケラケラと無骨な男が笑った。私とビジネスマン風の彼は1ミリも口角が上がらない。少しずつ現状が分かってきたけれど、それを知るほど絶望的な意味合いも増していく。
早い話、私達五人は何者かによって閉じ込められた、らしい。私が起きてから一時間ほど経っただろうか、どうにか各々で冷静さを保とうとしている。
誰も取り乱さないのが、せめてもの救いだ――あの人を除いては。
頭を抱え、フロアの隅で震えているのは、
混乱しているのとは、少し違う気もする。
何か……心当たりでもあるのだろうか。
そう思って腰を浮かせたところで――『お集りの諸君』と、低い合成音声が聞こえた。
『これはワタシの知的好奇心を満たす試みであり、遠回しな無理心中である』
声が流れてきたのは、豆電球を吊り下げているコードソケットの根本。よく見ると細かな穴が開いている。照明の光にばかり目がいって気付かなかった。
『ここに集められた諸君らは、虚構を創り出し、また暴くことを
この音声が何を言っているのか、さっぱり分からない。
審判者? 無理心中? 何の話よ。
そんなの――
「――ふざけんじゃねぇぞ」と、私の代わりに無骨な男が愚痴った。
けれど
『用意した水と食料は三日分。その間に、誰が犯人なのかを当てて欲しい。ワタシが納得いく答えであれば、諸君らを外へと帰そう。そう……お察しの通り、ワタシも五人の内の一人である』
合成音声が途絶えて、数秒。無骨な男が勢いよく立ち上がった。赤くした顔は、まさに鬼の形相で。
「誰だ、こんな真似をした奴は! とっとと言いやがれ!」
容赦ない怒声が鼓膜を打つ。いきなり
「少し落ち着きましょう、刑事さん。我々は状況を整理する必要があります」
ビジネスマン風の彼が口を開く。刑事と呼ばれた無骨な男は、彼を見るや、眉間の力を和らげた。どうやら怒りより、疑問を処理する方が勝ったのかもしれない。
「おい、何を根拠に言ってんだ」
「あなたの言動ですよ。いち早く扉を調べ、僕を素人呼ばわりしました。それだけで十分です。この推測も違っていますか?」
「……いいや、お前が正しい。流石は口が達者な弁護士だ」
「分かりますか」
「そりゃあ胸に御大層なバッジなんざ付けてるのは、政治家か弁護士くらいだからな」
ふっと弁護士の口元が
「で、あんたは……?」
「確か、彼女は探偵事務所で働いていると言っていましたが」
やり取りを見ていた私は、静かに頷いた。
「そうかい。あとは消去法だな。歳だけで判断すりゃあ、嬢ちゃんが推理作家で、あの隅に居る野郎がジャーナリストか」
まず間違いないだろう。この中に犯人が居て、それを当てない限り外へは出れない。三日分の食事だって、切り詰めても何日持つか。
長い沈黙が流れる。
きっと誰もが腹の中で疑心を抱いているんだろう。
私だって例外じゃない。少しでも早く、ここから出て警察に駆け込みたい。
こんな状況でも変わり続けるのは、時間のみ。
黙っているだけ死に近づく。
犯人の言う『審判者』が何かは分からないけれど。
私は――
あの人が一体どうして、あんな嘘をついたのか。それを訊くことから始めようと思う。
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