腹八分目に勇者は要らず!(ジャンル:異世界転移+飯テロ+コメディ)
この場合、どちらの方が不自然なのだろう。
国の一大事に、王と位の高い神官達が、こぞって調理場に居ることなのか。はたまた調理師の一人が、それと対峙していることなのか。
騎士として鎧を着込んでいる俺もまた、場違いな一人なのかもしれないが。
「……準備は出来ておるな」
静寂を破り、
「お任せください。既に整っております。苦労しましたが、なんとか作ることが叶いました。必ずや満足いただけるものと」
「それは余が見て決めることだ」
「し、失礼いたしました!」
足を震わせている中年の調理師は、ヘルゼン国王を先導するように
ふたを開けると、中で淡い色の炎が揺らめいている。木で出来た長い柄の先端に、金属製の大きいヘラが付いている物を差し込むと――調理師は勢いよく引き抜いた。
香ばしい、何とも言えない匂いが調理場を包む。
ヘルゼン国王は、調理師が焼き上げた平べったい円形のパンに顔をしかめた。
「これが古文書に載っていた『ぴざ』なのか……?」
「そうでございます。小麦を原料に、水、砂糖、塩、少量の動物油で生地をコネり、その上に具を乗せております」
「ふむ、具とは?」
「香り付けの薬草と、焼くと甘みが増す野菜、そして『ちーず』にございます」
「……ちーず」
「こちらも古文書の通り再現しております。動物の乳から取れたものを発酵させて作りました」
したり顔で胸を張る調理師。なるほど俺なぞ見たこともない料理である。ジュクジュクと音を立てる『ちーず』なるものから、皆は目が離せない。
だが、肝心なのは料理を作ることではない。
「して、美味いのであろうな?」
「まず間違いなく。“儀式”にも耐えうるかと。ただ料理である以上、作りたてが一番美味でございます。お早く」
「うむ」
王は調理人の言葉に、つばを飲み込んだ。
「では始めるとしよう。六等分に切り分けよ」
「ははっ」
調理人は長いナイフを持ち出し、『ぴざ』を均等に分けていく。
その一片を小皿へと移す際、『ちーず』が糸を引くように伸びていった。俺は『ぴざ』というものを知らない。そのはずなのだが、自然と喉が鳴るのは、どういうわけなのだろうか。
小皿に盛られた『ぴざ』を並べ、調理人は後ろへと下がった。彼の役割は、これで終わりだ。あとは神官達の出番である。
厨房の床に描かれた、複雑怪奇な六芒星。
その端々に先程の『ぴざ』を置き、神官達は胸の前で手を組むと、何やら唱え始めた。
それを見届け、王は手招きで俺のことを呼ぶ。
「そなた、名は」
「は、ランページ=フォカッチャと申します」
「うむ、ではフォカッチャよ、どんな化物が現れるか知れん。しっかりと余を守るのだぞ」
「……承知しております、陛下」
俺は構えた盾と、腰に掛けた
そう、ここに俺が居る理由はヘルゼン国王をお護りすることだ。騎士団の中でも高位じゃなく、けれど実力が無いわけでもない――そんな俺が若くして選ばれたのは、『戦死しても問題ない兵士』と判断されたからだろう。
厨房の外、城内には何百という近衛兵がいるものの、狭い室内に集めるわけにはいかない。だから王が逃げる合間の捨て駒として、俺一人きりなのだ。
当然、犬死にするつもりなど毛頭なく。最悪、相討ちしてでも戦果を挙げなければ、村から送り出してくれた両親に顔向けできない。これは変事にして好機だ。勝ち目のない魔物の大群に突っ込むよりは、まだ命の張り甲斐がある。働きによっては、一気に昇格が狙えるかもしれないのだから。
神官達が唱える怪しげな呪文。輝きを増していく魔方陣。そして『ぴざ』の芳しい香りに、否応なく緊張してしまう。
どこからか紫煙が立ち込み始め、パリパリと稲妻が走った。
いよいよだ。ばあちゃんから昔語りに聞いた伝説。
一騎当千の『勇者』が、召喚される――
王は魔方陣へ向け、高らかに叫んだ。
「いでよ、救いにして災厄の勇者よ! 今こそ我らを導きたまえ!!」
爆発が起きたのは、その直後だった。
黒白の明滅。吹き飛んだ厨房の破片が盾に跳ね返る。
「お引きください、陛下!」
身の危険を察して、剣を引き抜く。
それは人型の、黒い物体だった。全身が影に覆われ、だらんと力なく腕を垂らしている。確かなのは、その瞳が栗色に光り、禍々しく不穏な気配を発しているということだ。
あれが、あんなものが、この国を救う勇者だと?
「そんな、あり得ない……!」と、赤毛の若い女性神官が悲鳴を上げる。「あれからは、全く魔力を感じません!」
俺の背後からは、王族に相応しくない舌打ちが聞こえた。
「やはり失敗か……大臣め、たぶらかしおって。フォカッチャよ、やれ!」
「お任せください!」
俺は剣と盾を前に、にじり寄っていく。相手の出方が分からない以上、慎重にならざるを得ない。
すると黒い物体から、辛うじて何かが聞こえた。
「う、が……」
うめき声だ。ゆらゆらと頭を揺らすと、そいつはピタリと止まった。
今度は荒々しい呼吸音。多少の距離があっても、奴の肩が上下しているのが見て取れる。
何かを……嗅いでいるのか?
「動いたぞフォカッチャ! 剣を突き立てろ、命令だ!」
「ッ」
迷っている暇さえ与えてくれないのか。俺は盾を構えたまま、刺突の体制になった。
相手が人型だろうが関係ない。魔物だと思え。我が身を第一に、心臓を一突き。すぐ後ろに下がる。よし、これで。
覚悟を決めようとした、その瞬間――
おそろしく
俺ではなく、『ぴざ』に。
四つん這いになったソレは、まるで獣の如く『ぴざ』を食らっていた。むしゃむしゃと、干からびた大地が雨粒を吸い込むようにして。
一枚数秒もしない内、あっという間に切り分けた六枚を平らげていく。
「何が……一体、何が起きているのだ!?」
王がうろたえるのも頷ける。
そうだろうとも、この場に居る誰もが、その光景に目を疑った。俺だって体が固まって動きやしない。
ぼさぼさの乱れきった黒い髪、上半身には白くスベスベとした衣類を身に着け、下半身は秘部を隠すだけの布切れ。
全ての『ぴざ』を片付けた後は――小汚く小太りな、下着姿のおっさんが尻を向けていた。
いや、体格すら変わってないか? あいつ。
「そんな、あり得ない……!」またしても同じ台詞で驚く神官。「彼から、わずかに魔力が感じられます!」
その言葉に、全員が目だけでなく耳も疑った。
人が持つ魔力の絶対量は不変だ。厳しい鍛錬で魔力の扱いが上達したとしても、持たない者が持つことは無い。俺が騎士の道を選んだのも、そういった理由なのだから。
「勇者、なのか?」
知らず口から漏れた。初めと比べると、確かに禍々しさは消えている。ある意味では不気味だが、嫌な感じはしない。不潔そうだけれども。
ゆっくりと、勇者――もとい、おっさんは立ち上がり、
「ぽき、お腹が減ったでふぅ」
「……しゃ……喋った、だと?」
ついにヘンゼル王は腰を抜かし、その場に膝を折った。
頭が追いつかない。さっきから俺の想像を軽々と超えてきやがる。しかも斜め上の方向に。
「お、お前は、何だ?」
剣先と声を震わせて、俺は目の前の不審者に問うた。そうすることが精一杯だった。
奴が『ぴざ』を食らう度、黒い影が薄まっているのだ。おぼろげだった輪郭も定まっていき、より“人間らしく”変貌を遂げていく。
おっさんは残念そうに眉を下げ、下唇を突き出す。おい、いい加減に腹を擦るのを止めろ。
「ぽきは勇者でふぅ。
何か物音がして振り返ると――若い女神官と老いた王が、仲良く揃って卒倒していた。
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