紫陽花の花束
しーしい
紫陽花の花束
その娘は最敬礼して私に花束を差し出した。こぼれ落ちそうに咲く薄桃色の紫陽花の花束。
私が受け取るとその娘は一目散に校舎の方に走り去った。「待って、貴女の名前は」
追い付けるが、花束が揉まれそうで追いはしなかった。
私は花束を大事に抱えて教室に戻った。美しい花束。大き過ぎて目立つけれども。
「
「礼拝堂前で貰った」
「って、誰からって、いやいや……無粋か。日葵が告白されるなんて珍しい」
私は香織の男の事を聞いた事が無いし、香織は私のトラブルの事を聞かない。私達はその様な関係だ。香織がその事を覚えていてくれて嬉しい。
香織はモテる。しかし媚びを売っている様に見えるので女子からは嫌われている。私が唯一の親友だ。
私はお高くとまっているらしく誰からも人気が無い。香織が唯一の親友だ。
「これどうしよう?」
「気に入らないならば、捨てちゃえば」
「えっ、捨てるの?」
香織らしいドライさだ。
「ドライフラワーにでもする?」
「家に持って帰る」
それからの午後の授業、花束を机の上に置いたまま受けたので、クラスメイトからも先生からも注目を受けた。
午後のHRが終わり、花束を小脇に抱え、鞄と傘を持つと教室を出た。今日は雨が降ったので部活には出ない。毎日筋トレをしたからといって筋肉が付く訳では無い。
校門の所まで来ると、あの娘が立っていた。
はたと気が付いた。返事を期待しているのだ。花束の奥に指を入れると手紙が出てきた。どうしよう。
その娘のもとに歩み寄る。花束を受け取った時、彼女は最敬礼をしていたので分からなかったけれども、今は顔が上気しているのが見て取れた。黒色のショートカットで色白の肌。徽章からすると一年生だろうか。男女誰からも嫌われない可愛い顔の女の子だ。
「貴女の名前を聞いてなかった」
「五十嵐
「ごめんなさい。手紙に気が付かずに、まだ読んでいないの。今ここで読んだ方がいい?」
五十嵐さんの顔は赤熱し、両手を激しく左右に振った。家で読んだ方が良さそうだ。
「花束ありがとう。とても綺麗。また明日会いましょう」
「また明日、ここで」
彼女に軽く手を振り会釈して去る。さてどうしたのものか。告白されたのは間違い無い。
家に帰るとお母さんが引っ越しに向けて断捨離していた。我が家は九月に東京に引っ越しをする。
「お母さん、女の子に告白されたらどうすればいい」
「ははは……あはは、お母さんもあった。若い頃の気の迷いよ。付き合ってみれば」笑われて、適当にあしらわれた。その程度の恋愛、親が干渉するまでの事では無いのだろう。
「あと三ヶ月も無いよ」
「それはそうね、断る時は優しくね」
相手を傷付けない断り方なんて私はよく知らない。
「その花束ね。綺麗に飾ってあげましょう」
お母さんは花束を受け取ると水切りをして居間の花瓶に飾り付けた。
「大事にしてあげなきゃね」
「花の事?」
「人の事もね」
自分の部屋に戻って、鞄を机の脇に置くと中から手紙を取りだした。
『
前略
こうして、手紙でお伝えする事をお許しください。
私は女性として、女性である楓若葉先輩を好きになりました。
陸上部で颯爽と走る先輩の姿に憧れました。楓若葉先輩は常に自分自身と向き合っておられます。私は先輩から勇気を頂きました。今まで逃げてきた自分に向き合う勇気を頂きました。ですから逃げません。
私は、中学生の頃から女性が好きでした。男性と恋愛する事は出来ません。そしてこれからも変わらないでしょう。それを前提として楓若葉先輩とお付き合いしたいのです。
嫌悪感を抱かれるかも知れません。その時はこの手紙を破り捨ててください。
よい返事をお待ち申し上げております。
草々
五十嵐 皐月
XXXX@XXXXX.COM』
「買いかぶりだって」勇気だって挫ける時がある。
嫌悪感を抱きはしなかったけれども、五十嵐さんの脇の甘さが心配になった。『逃げてきた自分』とは、彼女の性の問題そのものだろう。思い詰めているけれども、それが彼女自身を傷付けはしないだろうか。
「引っ越しの事、素直に伝えるしか無いか……いやでも」
私は……私はどうなのだろう。
引っ越しの事が無ければ、私は彼女の思いに応えていたのだろうか。
五十嵐さんとキス出来るだろうか。実はまだキスをした事が無い。今まで恋愛をした事が無い。男の人を好きになった事が無い。彼女とあまり変わらないかも知れない。私も逃げてる。
「試してみなければ分からない事も有るか、いやいや」
頭を振ると机から立ち上がり、ベッドに寝転がる。
「花も人も」私の大事な物って何なんだろう。
考えがグルグル廻ってまとまらなかった。
翌朝辿り着いた答えは「正直」だ。
どうしても引っ越しの事は言わざるを得ない。正直も人を傷付けるが、嘘をついてどうかなる話でもない。五十嵐さんに真実を受け止めて貰わなければならない。後はどうなるか予想も付かなかった。
「日葵、今日は優れない顔だな」
「香織、今日はがんばる」
「なんだか知らないが、がんばれ」
朝のHR前に、香織と挨拶をする。何時もこの様な感じで、何も伝わらない。それで心地よい。
「紫陽花、話題になってる。気を付けろ」香織が囁く。
配慮が足りなかった。孤立には慣れている私だが、五十嵐さんは守らなければならない。あえて暗黙の了解を侵した香織に感謝した。
広々とした河川敷を五十嵐さんと散策する。
スマートフォンのメッセージで待ち合わせる場所を変更したのだ。
「返事はメールでも良かったのです、そのほうが……」
「口で言わなきゃ伝わらない事もある」とはお父さんの口癖だ。
「……」
「私、九月で東京に引っ越すの」
「えっ」五十嵐さんは絶句した。早く次の句を継がなければ。
「それで……」
「それじゃ無理ですよね。ごめんなさい」
「あっ、待って」
五十嵐さんは早足で歩き始めた。
「駄目という訳じゃ、五十嵐さん」
「良いんです。ごめんなさい」やはりこの娘全然強くなっていない。
走り始めた。私も走った。足の速さで私に適うはずもない。
「五十嵐さん、逃げないで」
「はっ、はい…」
彼女は不意に立ち止まった。五十嵐さんにぶつかった私は、彼女を胸に抱くと怪我をしない様に道脇の草むらに転がった。ちょうど押し倒す形となる。
「ごめんなさい」泣いている。
「ま、待って、いい言葉が浮かんでこないの、一分待って」
「はい」彼女は私の勢いに気圧されている。
押し倒したまま呼吸を整える。これくらい走った程度では息は上がらないはずなのに。
「試してみなければ分からない事があるでしょ」何を言っているのだろう。
「何を」
「五十嵐さん、初めてなんでしょ、お付き合い」
「なんで、でも楓若葉先輩は」
「初めてです、私も」
「そうじゃなくて、引っ越しするんですよね」
「あと三ヶ月だけど。試してみるには、十分に長いよ」
続く
紫陽花の花束 しーしい @shesee7
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