いつかキレイになったとき

大和麻也

いつかキレイになったとき

…Age: unknown…


 カサカサと音を立てて紙風船が舞っている。数日前に投票所でもらってからというもの、娘は四六時中飽きずにそれで遊んでいた。

美優みゆうちゃんは本当にいい子だね」娘のその様子を見て、向かいでクッキーをつまむ彼女は感心している。「ゲームやスマホじゃなくて、紙風船でもこんなに楽しめるんだから。お菓子にも興味なし」

 皮肉ではないとわかっていたが、わたしの表情が優れないと感じたのか、彼女はすぐに訂正した。

「あ、うちと全然違って羨ましいってことね。まず以てうちのひとがゲーム好きでしょ? だから子どももずっと画面ばっかり見てて。この前の学校の健診なんか、もうちょっと悪ければ眼鏡をかけるようだって言われちゃってさ」

 彼女が娘を褒めたのが皮肉でないとわかっていたのは、彼女が夫と息子の趣味をしょっちゅう愚痴っているからだ。お茶に招いたときも、お互いの家族を連れて公園に出かけたときも、何かにつけて「もっと外で遊ばせたいのに」と不満を漏らす。

 目の前の彼女以上に彼女の夫との付き合いの長かったわたしに言わせれば、確かに、彼は昔からゲームが好きすぎるきらいもあった。

「わたしも夫もゲームはしないし、テレビもそれほど観ないから。これから学校に上がったら、流行から遅れているって言われるかもね」

「いやいや、絶対いまのままのほうがいいって。同級生が持っているってだけでねだってくるようになって、イライラするだけだから。大人も子どもも、一度与えるとキリがない。ゲーム脳ってやつ! 頭の中がゲームでいっぱいになって、視野が狭まるの」

 外で遊ばせたからといって、アナログのおもちゃで遊ばせたからといって、その子が感性豊かに育つと決まっているわけではないことは、母親になったわたしが充分証明しているはずなのだが。

 でも、彼女のような考え方がわたしにないわけでもない。別の友人から伝え聞く子どもの様子から、自分の娘がお金のかからない遊びでも楽しめる純粋な心を持っているようだと、ほっとするようなこともある。婚期が遅れたせいで、その伝え聞く子どもよりも娘がずっと幼いために生じる違いなのだとわかってはいても、かすかに抱いてしまう誇らしい気持ちを否定できない。

「ねえ、美優ちゃん。紙風船見せて」

 彼女に請われ、舌足らずな娘は「あい」とそれを手渡した。家族ぐるみの付き合いで何度も顔を合わせているから、わたしに似て人見知りな娘でも、母親の友人に対しては物怖じしない。

「へえ、紙風船の形は昔と全然違わないのね」

 カラフルなそれを手に取って、彼女は感心している。

 その「オバサン」臭いやり取りに、わたしも彼女も相応に年齢を重ねてしまったのだと実感する。夫婦揃ってわたしに会いに来て、彼女を初めて目にしたときには、わたしにはとても敵わない、キレイで素敵な人だと感動し、いろいろと納得したものである。いまとなっては、そうでもないのかもしれない。

 宝物を差し出してしまって手持無沙汰な娘は、わたしのもとへと歩み寄り、ひっかくようにわたしの足を手でさする。

「ママ、たけんぼであそびたい」

 娘はまだ「竹とんぼ」とうまく発音できない。

「あら、竹とんぼ!」わたしが娘に返事するより先に、ゲーム嫌いの主婦がまたも感心して声を上げる。「本当に美優ちゃんはレトロな遊びが好きなのね」

 それも皮肉っぽく聞こえるよ、とは心の中でだけ指摘しておく。

 お客さんがいるところで竹とんぼを飛ばしたら危ない、と丁寧に諭してみると、娘は少々ぶうたれて口を尖らせた。それでも紙風船を返してもらうと、それさえあれば満足なようで、再びひとりで戯れはじめる。

「いいなあ、うちの子なんて、竹とんぼで遊んだことないんじゃないかしら。というか、あのひとだってなかったりして」

 自分で言って自分で笑う彼女をよそに、わたしは遠くへ思いを飛ばしていた。竹とんぼに、彼女の夫の彼のこと――たったそれだけのことが引き金を引いて、わたしが幼かったころの記憶を呼び起こす。



…Age: 14…


 日に日に通学路から人の気がなくなっていることは明らかだった。

 わたしも通った小学校、そして現在通っている中学校までは、この道を真っ直ぐ歩いていくのが一番近い。道の入り組んだ住宅街では、友達と会えるからと言って遠回りをしようものなら、それだけで遅刻の原因となりかねない。それを救う一本道は、毎朝制服とランドセルとでカラフルだった。

 しかし、いまはそうではない。小中学生が歩かなくなった代わりに、野良猫とカラスばかりが道を横断するようになった。

 原因も明らかだった。

「うわ、臭い!」

「息止めろ! 走れ!」

 小学生はだれに聞かせたいのか大声でそう叫び、にぐやかな笑い声とともに駆け抜けていく。言葉の割には危機感がなく、はしゃいでいるようではあるが、客観的に考えてそれどころではない事態が起きている。

 わたしだって、駆け出したりはしないだけで、そこに立ち止まっていようとは思わない。一着しかないセーラー服に臭いがついてしまったら大変だ。そこからただよう空気に触れているだけで、汚れた何かにまとわりつかれるような感覚を覚える。

 ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ――その家はもはや家と呼ぶに値しない。

 玄関はもはや閉められない。家の中からあふれ出るゴミ袋が扉の開閉をさえぎるのだ。

 窓から中の様子は見えない。そこにはびっちりとゴミ袋の白色が貼りついている。

 そこには容易に近づけない。商売をしていたころの看板が落下するおそれがある。

 家の住人にとっては住環境がないわけではないらしい。玄関となっている引き戸の脇から、わずかに人が入れるような空間がある。そこへ洞穴を進むようにしてはって行けば、どうやらまだ込み合っていない部屋があるらしく、近所のコンビニのレジ袋を持って入っていく様子がしばしば見られている。のぞきこめば、そこにはコンビニ弁当やおにぎりのゴミがたまっているのを見られるという。

 ゴミがゴミ袋に入っているならマシなほうで、そうでないものはしばしば道路に転がってくる。なだれを引き起こしている山には、だれがどう見ても使い物にならないガラクタばかりが積み重なる。ぐしゃぐしゃの段ボールやぼろぼろと崩れる発泡スチロールの箱、ビニール紐でしばられた雑誌の束、板が折れて何も収納できなくなったカラーボックス、底に穴の開いたファストフード店の紙袋、破けて綿が飛び出たブランケット、持ち手を失ったキャリーケース、ひしゃげて曲がったハンガー、車もないのに置かれているタイヤのホイール、買ったばかりにも見える白熱電球の箱、端子が黒くさびついたステレオ、なぜそこにあるのか理解できないテレビのリモコン、使えそうなのになぜか気色悪い物干し竿、子どもに好かれるプラスチックの電車のおもちゃ、どう見ても中身が腐っている未開封の食品、気味の悪い液体が流れ出る缶詰、黒い何かがのぞく洋菓子店の箱、ぞうきんにしか見えないTシャツだったもの――これらは、立ち止まってじっくりと見つめることで認識したのではない。毎日そこを通り過ぎるたびに目に入るために、注意してみていなくてもそこに転がっていることを映像として記憶してしまったもののごく一部である。これらはもはや、ひとつひとつのモノとして認識されることはなく、全体として「ゴミ」を成すのみである。

 この山の上をひっきりなしに舞うハエや、時折駆け出してくるゴキブリなどは、小中学生をふるえ上がらせる。それに加えて、悪臭をまき散らしながら足を生やして歩き回るゴミ――もとい、家主の老人が子どもたちを遠ざける。

 中には面白がる子どももいるが、親がここに近づけさせたくないのだろう。通学路から外れることを承知で、子どもたちに別の道を歩くよう言いつける。わたしもそう言われたひとりなのだが、そうしないことのほうが多い。何か思い入れがあるから? いや、学校まで近いからだ。

「あれ、またそっちを歩いてきたのかよ」

 中学校の手前の丁字路で、同級生の幼馴染とばったり出くわす。クマも浮かぶような、くたびれた白い顔を見るに、きのうも時間に構わず夜遅くまでゲームに興じていたのだろうと想像がつく。カットシャツや学ランにごまかせないシワが寄っているのは、乱暴にそれを脱ぎ捨てるような生活を物語っている。

 彼はわたしが一本道を歩いてきたことに疑問を述べる。

「隣の道を歩いていたってひどい臭いなのに、よく目の前を歩けるな。俺の母さんが、どこの家もそこを歩かないよう言っているって聞いたから、お前の家でもそうだろ?」

「……まあ、なんとなく。近くて早いし」

「いやいや、まだ遅刻する時間でもないじゃん」

 本当になんとなくだから、彼に説明することが何もないのだ。

「マジで近づかないほうがいいって。どう考えてもヤバいじゃん、あそこのジジイ。昔から子どもに声かけたり、学校行事に顔出して口出ししたり、おかしな奴だったらしいしさ」

「うん、知ってる。お母さんたちがいつもママ会でその話をしているから」

「なんだ、知ってるんじゃん」

「奥さんが亡くなってから、余計におかしくなったんだって」

 あんな奴に奥さんいたのかよ、と彼はゴミ屋敷とは関係のないところでおじいさんをののしった。

「子どもはいなくて、兄弟も死んじゃった人が多くて、ほとんどテンガイ孤独になっちゃったらしいよ。片づけの世話をしてくれる人もいないの」

「片づけの世話って何だよ。自分で散らかしているんじゃないか。そこら中からガラクタを拾ってきて、ゴミ捨て場のゴミも盗んでくるらしいぜ?」

 わたしがおじいさんをかばっているように聞こえたのか、彼はのどの奥から声を吐き出した。もちろんわたしにそのつもりはなかったのだが。

「というかさ、お前――」

 校門をくぐろうというとき、彼が少しばかりわたしに顔を寄せた。

「臭わないか?」

「え」

 時間が止まったような感覚。

 どうしようもない冷たい感情が胸の奥でうごめきだす。

「……なんて、ウソだよ。ジョーク。でも、あんなところを毎朝歩いていたら、いつか本当に臭いが移るかもしれないぞ」

 そう言い残すと、彼は昇降口に男友達を見つけて駆けていった。

 ひとりクツを履き替えるわたしは、下駄箱にローファーを入れがてら、こっそりとそでのあたりを嗅いでみる。臭くはない、と思う。しかし、臭いに慣れてしまって自分では気がつかないだけなのではないかと思うと、恐ろしくなる。

 あしたからは、彼と同じ道を歩いて登下校しようと心に決める。

 そして、あの家のそばを通るときは、息を止めて歩くのだ。



…Age: 12…


 昔はよくおじいさんと話していた。いまは、あいさつにおじぎすることさえほとんどない。

 気のいいおじいさんだと思っていた。学校の行事や授業公開の日にはしばしば顔を見せて笑顔で接してくれていたし、道ばたで会えば声をかけたり手をふったりしてくれた。わたしの通学路ではないけれど、横断歩道のところで旗をふって低学年の子の見守りをしていたというから、まさか悪い人なはずがない。

 でも、前々から服が汚いとか、体から変な臭いがするとか、そういう悪口を聞くことがあった。ただし、同級生や学校の先生から聞かれるのではなく、親や近所のおばさんの口からもれ聞こえていた。

 かつてはぶかぶかだったランドセルがすっかりきゅうくつになり、革がぼろぼろとはげてまだら模様になってしまったいまなら、それが単なる「悪口」ではないとわかる。おじいさんとは仲良く話せていた時期もあったから、そのころに耳に入ったなら「悪口」であると不満に思ったのかもしれないけれど、そうではない。

 大人たちのあいだでは、それを「評判」というのだ。

 わたしも春から中学生だ。制服も部屋にかけてある。だから大人の評判というものがどういうものかわかってきたし、それを知っていようと知るまいと、賛成していようと反対していようと、評判と違うことをする意味もなんとなく理解できる。これは決して、理不尽なことではない。このごろ彼が公園で走り回るよりゲームをするほうが好きになって、一緒に遊ぶことが減ってきたのと同じことだ。

 彼は以前からおじいさんのことが好きではないようだった。やたらとかまってくる人が好かないのだろう。わたしも最近うっとうしく思うようになってきた。一言で言うならば「うざい」

 彼も同じ町に住んでいるのだから、有名になっている不潔な年寄りの評判をよく知っているはずだ。

 おじいさんとは、話さないようにしなければ。

 ちょっとくやしいけれど、仕方がない。

 怪しい年寄りと仲良しな中学生なんて、普通じゃない。



…Age: 17 (2) …


 開校記念日には両親が出かけていたので、昼食はもらった五百円でコンビニ弁当を買うことになっていた。

 珍しくも平日の道を歩くのは気分が良かった。住宅街には自分以外に同年代の人が見当たらない。主婦と思しき人か、すでに仕事を引退したような高齢のほかには、近所の保育園の子どもたちが散歩して歩く列とすれ違っただけだった。中には高校生が平日の昼間にふらふら歩いているのを不思議そうに見る人もいたが、気にしなかった。

 魔が差したのは、めんの太いカルボナーラを手にして歩く帰り道だった。

 きのう彼との別れ際に話した、行政代執行――お母さんから聞いた執行の時間は、そろそろだったはずだ。

 興味本位で、歩かないことに決めていた一本道を進む。ここを歩くのは二年、いや、三年ぶりだろうか。だれが見ているわけでもないし、ほんの少しなら洋服に臭いがついてしまうこともないだろう。

 いま、おじいさんの城に近づいていくと、悪臭もさることながら、いままでにない異様な雰囲気をかなり手前から感じとれた。清掃業者と思しき大きなトラックや、市役所の人が乗ってきたのであろうライトバンが家の前に停められているのと、その周囲にできた人だかりとで、二重の囲いが道を塞いでいた。囲いの隙間を見つけて、背伸びして覗きこんでみると、まず青色のつなぎを着た人たちが見えて、その向こうに件の家が見える。

 その有様は、わたしが中学生のころに見て記憶しているよりもずっと悪い状況に陥っていた。

 ゴミ屋敷がますます汚くなっていることは、年々強くなる悪臭から想像できたのだが、しばらく間近で見なかったうちに、想像をはるかに上回って悪化していたらしい。ゴミが明らかに増えている。悪臭がひどくなるのも当然だ、遠目に見ていても腐ったものが転がっているとわかる。数年前までは、家の中でガラクタが溢れていたから、それこそ「ゴミ屋敷」で済んでいたのに、いまやそれらは城塞を築き上げていた。ゴミ袋やガラクタが表の道路にまで広がっていて、迷惑の度合いが増している。崩落の危険から規制線が張られていたのか、つなぎを着た男の人たちは市の名前が書かれたパイロンを回収しているところだった。

 汚れているなどという程度では済まない、破壊されているというべきだろうか。住むべき場所としての家屋がもはや機能を果たせないように破壊されているのだ。かつては玄関の脇に洞穴のような居住スペースがあったはずだが、玄関はゴミが作る斜面の下に隠れてしまっているから、もうそこで生活することも叶わないだろう。このような場所で、おじいさんにどのような生きる術があったのか、まったく想像できない。この山のどこかに風雨や寒暖をしのげる場所を見つけて、拾ってきた段ボールや毛布を布団にして寝食を過ごしてきたのだろうか。

 ギャラリーたちはにぎやかだ。うわさ好きなオバサンたちがおじいさんの悪口、もとい、評判を口々に並べている。「近所の人が何人も引っ越した」とか、「学校の先生もこの道を通らないように指導するようになった」とか。わたしも耳にしたことのある評判も繰り返し聞かれた――ゴミ屋敷を作る前から変な人だった、独り身になってから余計に頭をおかしくした、ゴミを盗んでいるらしかった、天涯孤独で誰も処理できなかった、などなど。

 そして「ようやくキレイになる」とは、数分おきに聞かれたのだった。

 まもなく、観衆が「おお」と声を上げた。いよいよ代執行が始まったらしい。道路に転がったガラクタを皮切りに、ガタイのいい男の人たちが次々とトラックの荷台にゴミを移動させていく。

 そのとき、市や業者の人ではない男の人の声が聞こえてきた。

 やめてくれ、まだ使えるじゃないか、それはゴミじゃない、捨てないでくれ、大切なものなんだ、片づけなら自分でできる、人のモノを勝手に取るな――ひ弱なそれらの声は、おじいさんの悲鳴だとすぐにわかった。

 その嘆きが妙に耳に付くものだから、声の主はすぐに見つけられた。ゴミ屋敷が巨大化するのとは反比例に、おじいさんは以前にも増してみすぼらしい姿になっていた。ハゲた頭に、真っ白な頭髪がホコリのように散らかっている。洋服からのぞく首や手首は皮と骨だけのようにさえ見える。頬はこけて、縮こまる肩幅が体を小さく見せる。糸のほつれたベストや穴の開いたズボンは、ひょっとするとわたしの記憶にあるおじいさんが着ていたのと同じものかもしれない。

 ついおじいさんの姿を見つめてしまっていると、おじいさんの視線がわたしのほうを向いた。はっとして目を逸らすが、相手に気づかれたかもしれない。しばらく顔を合わせなかったとはいえ、わたしの顔には覚えがあるはずだ。どうか、わたしに気がついていないようにと祈る。

 でも、真っ暗な空洞のように落ちくぼんだ目は、間違いなくわたしをとらえて吸いこもうとしていた。あの人は、わたしがここにいると認識してしまった。

 ここを離れよう。カルボナーラに臭いがついたら大変だ。

 一本道をコンビニのほうへと戻って、隣の道へ逸れるまで、騒ぎに気づいて門を開いた人たちのひそひそ話を聞くことになる。どの人も、ついにこの日が来たと待ち遠しかったかのように言う。無理やりにでも片づけないと、どうにもならなかったのだと。

 こうなる前に、自分でどうにかできていればよかったのだ。それができなかったから、有無を言わさない人たちに踏み込まれて、どうすることもできずわめくしかなくなってしまった。そう、こうなってしまったのは、おじいさん自身の責任なのだ。

 自業自得である。

 そうだろうか。

 わたしのせいかもしれない。



…Age: 9…


 最近あいつがゲームばっかりで遊んでくれない。

 わたしは、ゲームは好きではない。画面にうつっているキャラクターを動かすよりも、自分の手で紙飛行機や竹とんぼを飛ばしているほうがずっと面白い。ゲームでキャラクターが動いているのは、機械がそうしているだけで、本当に自分の手で動かしているわけではないと、どうしてだれも気がつかないのだろう。

 もちろん、ゲーム機を買ってもらえない負けおしみではない。

 その日も、あいつと遊ぼうとして断られた。男は男、女は女で遊ぶものなのだそうだ。どうやらゲームの性別は男らしい。それで放課後の用事がなくなったから、わたしはゆっくりと、小学校から家までの真っ直ぐな道を歩いていた。

「やあ、こんにちは」

 のろのろと歩くわたしに声をかけたのは、真っ黒になった毛布を引きずるおじいさんだった。おじいさんはいつも、わたしを見かけると声をかけてくれる。わたしが低学年のころ、いっしょに遊んだことがあるのだ。

「こんにちは。おじいさんは、それ、何持ってるの?」

「これ? また何かの役に立つと思って。河原で見つけてきたんだ」

「ふうん」

 おじいさんは工作が得意だ。きっとその毛布からも、何かを作ってくれるのだろう。おじいさんの家にかかげられている、かたむきかけて文字もかすれてしまった看板には、読めなくなってしまったが「ナントカ工務店」と書かれている。

「久しぶりに顔を見た気がするね、いい友達ができたのかい?」

 おじいさんはにこやかに問いかけてくる。言われてみれば、行事などのときにおじいさんを見かけることが少なくなった気がする。お母さんは、おじいさんは学校にめいわくをかけるから困ると、友達のお母さんといっしょに話していた。

 わたしもわたしで、あいつといっしょに公園に出かけることが減ったので、おじいさんの家の前を通るのも登下校のときくらいになっていて、ますますおじいさんと会わなくなっていた。

「友達はわたしよりゲームのほうが好きみたいだけど」

「ああ、そうなのか。仕方ないかもね、ゲームは面白いから。私はゲームなんてやったことはないし、面白そうとも思ったことはない。紙飛行機や竹とんぼで十分さ」

 わたしもそう思う。

 おじいさんは、持っていた毛布を家の中に投げ入れると、表におかれていたベンチにこしかけた。低学年のころは、木でできたボロボロのそれに、わたしもならんですわっておじいさんとお話しすることがあったけれど、きょうはそうしない。しばらくそうしていなかったし、きょうのスカートはお気に入りなのだ。

「たいくつだったら、ランドセルを置いてうちに来ればいい。いっしょに何か作って遊ぼう」

 少し考えた。

「やめとく。おじいさんのうち、汚いから」

 スカートが汚れてしまう。それに男は男同士、女は女同士で遊ぶものだ。

「そうかい……また来てね」



…Age: 21…


 ゼミに出席するために街を歩いているとき、ゴミ屋敷のお爺さんが亡くなったという、近所のおばさんの噂話を小耳に挟んだ。

 夜は雨になるという薄暗い夕刻、久しぶりに真っ直ぐなあの道を歩いて帰ることにした。現在でも、よっぽどのことがなければあの家のある通りを使って出かけることはない。

 家主を失ったというのに、その家の存在感は相変わらずだった。百メートル以上手前から、鼻をいじめる刺激臭で以て家の位置を知らせてくる。しばらく歩いていけば、ほかの家と輪郭の違う、黒々とした影が浮かび上がる。

 何年か前の代執行のころから、幾分かはマシになったとはいえ、お爺さんの家はゴミ屋敷へと逆戻りしていた。

 以前とは違う姿も見られる。傾いていた工務店時代の看板は、危険だからと撤去された。ひどいときにはゴミが溢れて閉まらなくなり、しまいには埋もれてしまった引き戸の出入り口も、いまはちゃんと開閉して出入りができる。行政が指定した有料のゴミ袋が用いられるようになってからは、公然とゴミ捨て場から持ち帰ることがなくなったようで、絶対的なゴミの量はピークのころから比べれば格段に減っている。それでも、人はこの家をゴミ屋敷と呼ぶしかない。

 最後にこの家の正面に立ったのは、十年以上前だろうか。悪臭は漂っているが、我慢できないほどではない。主人を失ったその家はどこか寂しそうで、お爺さんが集めてきたゴミも、古い建物に絡みつくツタのように、汚いだけとは違う意味合いを持っているかに感じられてしまう。


「やあ、こんにちは」と、いまにも聞こえてくるような気がした。


 そのとき、ふわりと風が吹いて、その向きが変わった。

 わずかばかり臭いが風に流れていったせいか、その一瞬だけ、ゴミ屋敷へと変り果てる以前のこの場所に立っている感覚がやってきた。あのときを象徴する、一緒に並んで座った古ぼけたベンチは、代執行の折に撤去されていたはずなのに。

 その懐かしさが長く続くはずもなく、すぐに現実に引き戻される。

 割れた窓や歪んだ外壁、人の気のないゴミ屋敷が見せるものは、わたしが心の奥底ではあのベンチに並んで座った時間が大好きだったのだと、どうしようもなく訴えかける。それなのに、悪意も善意もなかったわたしは、大人として普通になろうとしていたわたしは、淡い想いを信じたわたしは、わずかに芽生えた罪悪感だけで反省したつもりになったわたしは――それによって崩れていくものに対してあまりにも鈍感だった。

 かくいういまも、わたしはどうしてここに立っているのか。いまここに立っていることが、いまさらになってここに立っていることが、わたしの性根がいかなるものなのかをよく表している。

 遅すぎる気づきに、目の前が涙で滲んでいく。もう手遅れだ、どうしようもない。零れ落ちるそれは、自分の大切な足跡を人からゴミと断じられ、処分されるのをただ見ているしかなかった、あのときのお爺さんの嘆きとまったく変わらない。

 このゴミ屋敷は、わたしのせいだ。

 このゴミ屋敷は、わたしだ。



…Age: 7…


「ちらかしたらダメだよ」と言ってみたら、

「やあ、こんにちは」とおじいさんは言ってへんじをしてくれない。

「おそうじしないと、おこられちゃう」とまた言ってみると、

「あとでしっかりやりますよ」と言っておじいさんはわらった。

 おじいさんが手にもっているのは、たぶん、竹だ。竹をかかえて、カッターのようなものでけずっている。けずったカスはぱらぱらとおちていって、ちからっている。ちらかしたり、よごしたりしたら、おかあさんがこわいかおをしてやってくる。それなのに、おじいさんは気にしないで、むちゅうで竹をけずっている。

 なにかをつくっているのかな。

「気になるなら、すわっていきなさい」

 わたしは、おじいさんのとなり、ベンチにすわった。ベンチはぼろぼろで、すわっただけで足がチクチクする。

「なにをつくっているの?」

 おじいさんの手をよく見ようとかおをちかづけると、あぶないからと手でさえぎられた。

「竹とんぼをつくっているんだ」

 竹とんぼ……あれだ、手の中でまわしてプロペラみたいなものをとばすやつ。

「じぶんでつくれるの?」

「もちろん。竹とんぼは、どこかからかってにとんでくるわけじゃない」

 あたりまえだ。竹とんぼはひとりでにとんだりしない。わたしが手でとばすのだ。

 かちっと音がしたので見てみると、おじいさんがほそ長く竹をわっていた。

「これをプロペラにするんだ」

「ふうん」

 プロペラにはとても見えない。竹とんぼのはねは、もっとスリムだもの。それに、おじいさんのもっているものは、まがっていてまっすぐではない。これではとんでいかない。

「おじいさんは、どうして竹とんぼをつくっているの?」

「学校のみんなの前で、つくって見せてあげるのさ。先生におねがいされてね。いまは、見本をつくっている」

「先生が見せてって言ったの?」

「そうとも。きみは、この竹を見てもガラクタとしかおもわないだろう? でも、すててしまったらもったいない。竹をつかえば、いろいろなモノをつくることができる。ぼくは、工作がとくいで、だいすきだからね」

 みるみるうちに、おじいさんの手にしていた竹がうすくまっすぐにかわっていく。おじいさんがカッターのようなものでけずるたび、だんだんと竹とんぼのはねのかたちになっていく。

「そろそろかんせいするよ。ここで、かぜをきってうまくとんでくれるように、ななめにけずっていくといいんだ」

 あっとおもった。せっかくまっすぐにしたプロペラを、かたほうだけ、でこぼこにけずってしまう。はんたいがわにもくぼみをつくってしまい、プロペラはねじれたようになってしまった。

 そのへんてこりんなプロペラのまん中に、おじいさんはとがったものであなをあけた。そのあなに、竹ぐしをとおす。

「よし、これでもうとばせるよ」

「見た目は竹とんぼだけど、やっぱりプロペラがへんなかたちしてる」

「まあ、やってみればいい」

 言われたとおり、手の中でまわしてとばしてみる。

 ふわりと上へとんだ竹とんぼは、いきおいがなくなってからも、ゆっくりと空をすべるようにしてとんでいく。上を見るとひっくりかえってしまいそうなほど高く、手がとどかないくらいとおくまで、ふわりふわりと、あとすこしでおちそうなのに、おちない。生きもののように、力づよい。

「すごい!」

 ベンチから立ち上がって、竹とんぼをおいかけて走った。

 かつん、と音をたてておちたのは、どうろのはんたいがわだった。こんなにとおくまでとぶ竹とんぼは見たことがなかった。

「そんなによろこんでもらえたのは、ひさしぶりだよ。その竹とんぼは、きみにあげるよ」

「いいの?」

「ああ、またつくればいいんだ」

「ほんと? ありがとう!」

 竹とんぼをひろったとき、やくそくをわすれていたことをおもいだす。きょうは、こうえんであそぶやくそくをしていたのだ。

 また学校であおうね、とおじいさんにあいさつして、わたしは竹とんぼをもってこうえんへと走った。

 きっと、みんなもすごいって言うにきまっている。



…Age: unknown…


 入学式がちょうど満開の時期と重なったのは嬉しかった。

 といっても、入学式の主役は我が子であって、わたしではない。その日が花の時期とどう噛みあおうと、わたしがそれを喜ぶよりも、彼女自身がどう受け止めるかのほうがずっと重要である。その娘はというと、あまり喜ばしいスタートを切れなかったようだが。

 早生まれで、人見知りで、少し変わった趣味の娘は、一日の行程が終わってすぐにわたしのもとに駆け寄って来た。新しくできた友達と別れを惜しむとか、校庭の遊具で遊びたいと駄々をこねるとか、ほかの家の子がするような様子を見せていない。早生まれはともかく、性格も好みも顔もわたしに似てしまった彼女は、これからの友達付き合いも、わたしと似たような歩みを見せるのかもしれない。

「帰ろうか」

 と手を差し出すと、娘は手を繋ぐのを躊躇った。

「もうしょうがっこうだし、おねえさんだから、てもつながないの」

 ようやく舌足らずが改善しはじめたばかりのくせに、一丁前のことを言う。

 娘が人目を気にしているのに気づけない母親ではない。きょろきょろと周囲を見回しながら歩く姿を見て、「買い与えるとキリがない」と友人から伝えて聞いているというのに、ふと衝動的に、提案をしてみたくなってしまう。

「ねえ、美優。学校で頑張ったら、ゲーム、買ってあげようか」

 いまどき、ゲームを持っていないどころか、スマホで動画を見たこともほとんどないような子どもが何人いるだろうか。入学初日からこんなにつまらなそうな顔をして帰ってきた娘に、何か友達づくりに役立つものを買ってあげてもいいと思った。

 ううん、とこれまた一丁前に唸って悩んだ末に、美優はぴしゃりと告げた。

「いらない」

「どうして? ゲームじゃなくて、何で遊ぶのが好きなの?」

「えっとね、かみパックとかたけぐしとかつかって、くるまをつくるほうがすき」

 強がりを言う……という年頃でもないか。

 わたしは、娘の手を取った。

「小学生は、まだ手をつないでいてもいいんじゃないかな」

 将来娘がわたしと同じ苦労をするとしたら、わたしはいまのうちに、自分が子どもだったころ人にしてあげられなかったことを、娘にしてあげよう。この先娘が、小学生になったとき、中学生になったとき、高校生になったとき、大学生になったとき、わたしとは違った思いを優しく抱いて生きていけるように。

 わたしにも、竹とんぼとか作れるかな。

 娘の手の温かさを感じながら、懐かしい真っ直ぐな道のりを歩んだ。


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